みしょのねこごや

Diary - 2013年8月

Italia に来ているので,祖母の話をしようと思う。父方の祖母の話で,もうだいぶ前に死んだ。名前を吉田静世(岩本静世)という。

Internet で軽く調べてみたが,記録は見つからなかった。もしかしたら筆名で調べれば見つかるのかもしれないが,恐らくこの日記が最初の記録となるのであろう。余談だが,僕の祖母は両方とも筆名・雅号を持っていて,その名前でそこそこ知られていた。僕もみしょとしてそこそこ知られている。なんとなく親近感を感じる。みんな多趣味なのだろうか。

確か 8 年ぐらい前に死んだ。と思って日記を見返してみると,2005年の1月3日 10時52分に死んだらしい。日記とは便利である。ちなみに祖母も数十年間日記を付けていた。さすがに web にではないけれども。

僕の母親は教育熱心だったのだろうか,少なくとも,読み聞かせに始まり,「読み書き」に関してはとても熱心に僕を教育した。大変なことである。

なぜ Italia に来て突然祖母のことを思い出したかというと,日本人は "mottainai" の精神がある,ということになっているけれども,現代の日本人は別にそんなこと考えていないのではないかと思ったからだ。彼女は絵に描いたような典型的な日本人だったのだ。つまり「もったいない」と「おおきに」の精神を体現していた。そういえば祖母は「おおきに」という言葉をよく使っていた。別に京都の人ではないのだが,不思議である。「おおきに」といえば,祖母はよく赤飯を炊いて重箱にいれて知人に配っていた。そのときに「おおきに」という言葉をよく聞いた記憶がある。僕が 4 歳のころの話だ。

具体的に言うと,いま泊まっている albergo では毎日使い捨ての shampoo が配られるのだが,これってちょっともったいないよなぁ,と思ったのだ。

まあ別に shampoo はどうでもいいし,資本主義というのはそういうものであって,しかも工業化が進んでいるので "mottainai" の重要性はどんどん薄れているのだけれども,しかし祖母は mottainai の時代に生きていたのだ。


「もったいない」で印象に残っていることがある。新聞広告の中には,片面印刷のものがある。そのようなものを彼女は全部とっておいて,弥生にある家の彼女の小部屋の押し入れの中の上段の小棚の下の謎の空間に保存していた。僕はそれを画用紙代わりに使っていた。ツルツルの紙は書きづらく,黄色くてざらざらなやつが書きやすかった。多分小学校低学年ぐらいまで,僕はそれにいろいろなものを書いていた気がする。

不思議な話だ。落書き帳なんて 100 円ぐらいで売っているのに。……と思うが,そういうものではないのだろう。

そういえばだから僕には「正月に帰省して祖父母とわいわい」という記憶が無いのだった。最初に帰省したときは既に祖父が肺炎で倒れていて,帰省中に葬式をした。次に帰省したときに祖母は死んだ。そういうものだろうとおもう。

その割には,僕の家には祖母からもらった手紙が大量にある。よく考えたら,僕が上京してから祖母が意識不明になるまで 4 ヶ月しか無かったにも拘わらず。祖母は筆まめな人であった。教育熱心な人であった。高校時代の僕の模試の成績(全国 16 位とか 200 位とかそんな感じのものたち)を全部 copy して日記に張っていた。死ぬまでに東京大学に合格できてよかったなぁ,というのはいつも思うことである。


大正の生まれである。例の日記には祖母の享年が書かれていない。大家族だったらしい。戦後は染物屋をやっていたと聞く。いや,僕が生まれたころもまだやっていたらしいが,そもそも染物屋という職業は 4 歳の子供には理解できないので仕方が無い。祖父と結婚して,男と女を一人ずつ産んだらしい。

貧乏だったのだろう。いや,そもそも日本が貧乏だった時代なので,当たり前なのだけれど。だから「もったいない」には敏感だったのだろう。いや,きっと大正生まれの人たちはみんなそうだったのだろう。僕(ら)が鈍感なのだろう。そういう時代なのだろう。

よくわからない。父は教師であった。公務員なので「中流」の生活をしていた(のだろう(自分の両親の経済状況なんて詳しくは知らない。))。さすがに 1980 年代ぐらいまでは想像がつくので,僕の両親の生活まではわかる。結婚して公務員住宅に 4 人で暮らし,数年経って念願の my home,というやつなのだろう。絵に描いたような一億総中流生活だったはずである。しかし祖父母の生活はよくわからない。

本当にわからない。つまり1960年頃の,高度経済成長期(だけども佐伯にその流れがやってくるのはもうすこし後なのだろう)の,祖父母が 40〜50 代とかで,父が高校生とかだったそのようなころの話である。全く想像がつかない。図書館の本には,あんな中途半端な田舎のことは書かれていないだろう。 Internet を調べれば出てくるのだろうか。祖母の日記を読めばわかるのだろうか。


不思議な話だ。祖母の生きた時代と,僕の生きている時代は,何にも変わってしまった。考えてみれば,祖母の祖母が生きた時代は江戸から明治への変わり目なのだった。何も変わってしまった。

たった 2 世代の間に,世の中は全て変わってしまう。時代の変化って,そんなに速かったっけ?あの 400 年間続いた江戸時代にも,そんな何もかもの変化が 8 回ぐらい起こったのだろうか?


もちろんそんなことはない。宇宙膨張が加速しているように,時代の変化も加速している。

祖母は一度だけ U.S.A. (New York など) に行ったことがあるが,一生の殆どを日本で過ごしたはずだ。そういえば祖父(父方)は満州に住んでいたらしく,祖父(母方)は台湾(日本領)で教員をしていたらしいが。しかし僕は Italia で,現地の人と Italiano で会話し,世界中の人と English で議論している。不思議な話である。

世の中というのはそんなに単純ではないだろう。ここ 10 年の変化はそれほど大きくない。1993 年から 2003 年にかけて,一般家庭に Internet が普及した。2003 年から 2013 年にかけて,ubiquitous Internet が当然になった。2023 年までに,Google glass のように 「Internet を身にまとう」時代が来るだろう。

しかしそれは些細な問題であって,もっと大きい問題,例えば経済だとか放射線だとか福島県は人間の住めるところではないと思っている。それと,日本産の魚は食べられなくなりそうだ。戦争だとかは,いつ起きてもおかしくない。


10 年後に,僕も片面印刷の広告を集めてたりするんだろうか。

と思ったが,僕も研究室で,片面にしか印刷していない copy 用紙をあつめて,計算用紙として使っていた。祖母は身近なところに居た。

SimCity 2000 というゲームにハマっていたことがある。小学生の頃だ。SimCity 2000 では原発を建てることができる。2050 年頃に核融合発電所が開発されるまでは最も安価な電力源であり,僕もお世話になっていた。

時々 meltdown する。Meltdown すると,その一帯が核に汚染されて使えなくなり,一帯の地価が下がって人口が減る。だから,meltdown が起きたときに reset しない,というのはなかなか難しい。Meltdown というのは「Game の終わり」だった。


短絡的に,naïve に考えた方が正しい結論に近づけるのかもしれない。原発が爆発したら,その近くには人は住めない,立ち入れない。Чорнобиль のことを考えると半径 30km ぐらいには人間は住めないし,半径 300km ぐらいにはあまり立ち入りたくない。アッでも千葉県柏市は 200km ぐらいですね……!!!福島の特産品として有名な被曝水が大量に海に流れてしまったらしいので,太平洋で獲れた魚を食べると被曝するのだろう。

Naïve な当てずっぽうであり,根拠は無い。けれども,誰も知らないことなので,何を言っても自由である。


大事なこと。科学的手法は無意味だ。科学的手法・論理的推論は『間違っていることが証明できることを言わない』ためにある。もう少しまともに言えば,『知っていることから何かを知る』ことの professional である。千年前に科学は無かったので,千年に一度の地震・津波から原発を守れないのは当然である。大規模低線量被曝は人類史上 2 回目なので,どのような結果をもたらすかはよくわかっていない。ましてや被曝水が海に流れたのは人類史上初なので,何が起きるか誰も知らない。だから科学者はまともな結論を出せないだろう。だから科学者としての僕は何も言えないし,人間としての僕はあてずっぽうでいうしかない。

科学者とか知識人も,なにもしてくれない。正確に言うと,原発が爆発して海や街が放射能で汚染された場合に何が起こるのかの専門家であれば,原発が爆発して海や街が放射能で汚染された場合に何が起こるのかにとても詳しいので,原発が爆発して海や街が放射能で汚染された場合にどうすればよいかを教えてくれるだろう。しかし残念ながら,日本の憲法には「原発は爆発しない」と書かれている。その件については言論統制が敷かれていた。ので,原発が爆発して海や街が放射能で汚染された場合にどうなるかを喋ってしまうと警察につかまってしまう。ので,原発が爆発して海や街が放射能で汚染された場合に何が起こるのかについての専門家はいない。だから,日本にいる科学者は,何もしてくれない。

いや,何かをするかもしれない。しかし,いま我々は『科学的手法』が役に立たないことを見たばかりである。ので,彼らのやることは役に立たない。間違っているかもしれない。科学者は,間違っていることが証明できることは言わない。しかし,専門家がいないので,間違っているかどうかの証明ができない。だから,間違っていることを言うかもしれない。

いや,「科学者」という肩書きを持っているだけ,むしろ危険である。無能な働き者。これは処刑するしかない。理由は働き者ではあるが,無能であるために間違いに気づかず進んで実行していこうとし,さらなる間違いを引き起こすため。

知識人?あれは単にテレビに出てちやほやされたいだけの人たちでしょう。

そういえば,「世界にはもっと放射線量の多い地域があるからダイジョーブ」という論理に誤謬があることに気づけるだろうか。そういう土地に住む人間は,自然淘汰によってそういう土地に適した遺伝子になっているかもしれない。例えばちょっと傷つくとやばいことになる遺伝子が,ちょっと傷ついただけではやばいことにならないようになっているかもしれない。放射線量の多い地域に居る人間にとっては日常的に被曝してもダイジョーブな量かもしれないが,僕がダイジョーブであるということは証明できない。


大事なこと。国は国民を守ってくれない。「住めないから避難しろ」っていうと後から損害補償しなきゃいけない。そんなことしたくないから,自発的に避難するか放射線の中に住むかを選ばせる。もしかしたら数十年後に,やっぱり危険だった,ということが判明するかもしれない。そしたら,水俣のときみたいにやればよい。どうやるかって?『当時は低線量被曝の危険性が証明されていなかった』と主張すれば良い。なぜかいまは《みんな》が,科学的手法は『正しい』,と思っている。ので,その主張で責任を逃れることができる。とても不思議だが,そういうことになっている。わからなかった人への hint。正しさってなんだろう,正義ってなんだろう,という問題である。あとはよくやるように,大量の証拠資料やら科学的で難解な論文やらを提出して,審理を引き延ばしてみんなが死ぬのを待てばよい。

僕の認識では,国家は国民のためのものではない。最近世界史をかじっているのであるが,その浅い理解と記憶から推測してみると,そうなる。

国家というのはもともと支配者が作ったものである。誰のために?もちろん自分の為に。何のために?農民を統治するために。どうやって?警察権力に暴力を集中させて。いわゆる刀狩りである。そのあと,17世紀あたりの欧州での国家間戦争などを通じて,国と国との『境界を定める』必要ができた。ので,対外的な脅威から「国民と領土を守る」ためのものになった。主権,領土,国民,がここでそろった。そのあとで哲学者がいろいろと都合の良い妄想をして,国家による統治を正当化する論理を後付けした。具体的に言うと,暴力を警察と軍隊に集中させて,警察暴力をもって国民を統治し,軍隊暴力をもって領域を守ることは「正しい」ことなのだ,ということにした。

ので,どうせ国は何もしてくれない。


はー。こまった。科学者は無力だし,さらには危険だ。国も何もしてくれない。結局,自分の身は自分で守るしかない。そういえば 600 万年前からそうだったではないか。

なるほど。原発のそばに家を買った人間がバカだっただけなのだ。他人の不幸は蜜の味,メシウマwwwである。結局,無知な人間と運の悪い人間は財産を失ったり健康を害したりするという,それだけの話なのだったのだ。原発は爆発しない,という憲法の下に暮らしてきた日本人がダメだったという話で,そういう言論統制を許していたのだったら,当然起こるはずの帰結だったのだ。