1月1日
あこ。
あこ。
今日,寝台特急『富士』号で東京に戻ってきました!!
実は富士に乗るのはこれで2度目なのだけれど,前回は体調の悪い中の行軍だったので,ちゃんと乗ったのは今日が初めてです!
昨日(5日)の16:43に大分駅を発車して,門司で富士ぶさに進化,下関で機関車を付け替えて,加古川付近で下りの富士ぶさとすれ違い。米原で運転手交代して朝の10時に到着致しました。
やっぱり旅充としては寝台特急で寝ちゃまずいわけなのですが,途中で1度,あの退屈な山陽本線前半でついうとうとしちゃいました。それ以外はちゃんと起きてられたから良かったかな。
一番印象に残っているのは,東加古川付近での下り富士ぶさとのすれ違いかしら。長い長い道のりをやってきた富士ぶさがほんの一瞬だけ出逢って,あっという間に帳中に消えていく様は,まさに旅そのもの。CLANNADは人生だろjk。
あ,あと海から昇る朝日はまさに天照のごとく荘厳でしたし,富士山も相変わらず雄大でした。真っ白な富士山が眼前に広がった辺り,車内大盛り上がり。更に機関車の切り替えが合計4回も見られるというあたりも魅力的ですね。もう鉄オタ大歓喜。あと,富士から富士ぶさに進化するとき,ちゃんとhead markも変わるんですよ。いいねぇ。
もう多分乗る機会は無いだろうけど,だからこそ良い旅でした。
そんなこんなで今日は非常に眠かったので,文京区と荒川区の図書館巡りをしてきました。一応両方の利用証を作ったのだけど,荒川区の日暮里図書館はびみょぉに遠いので,多分文京区を主に使うことになるんだろうなぁ。
大体の本は東京大学の図書館で揃うのだけど,話題書とか一般小説,新しめの新書が沢山ありました。今年はその辺りの本も少し読んでみようかと思っているのです。
困ったなぁ……。また別の方法を探さないと。。。。
あ,バーババのはこそーり消しといたよ!!!
ありがとね!!!
Alhambra, اصفهان, Caserta, Linderhof, Cheval, Bomartzo, Flora, Mathias, Versailles, Obelisk, Zámek, Isola Bella, 'Αμφιθέατρο, Ορφεύς grotta, Neuschwanstein, Santa Maria della Concezione!!
相変わらずid:Hashはおもしろい場を提供してくれる。というのも,彼がconsulting corp.の就職面接で「74冊読みました」と言ったら「それは何がすごいの?」と返されたというのだ。
まぁ別に僕にとっては,その面接の時の彼が如何に浅はかだったか,なんてことはどうでもよいのだけど,なんか間違った方向に進んでるようなのでまぁ一番の浅はかさは,「社員さんの反応が『微妙』であることを悟」って諦めたあたりじゃないのかね。
とadviseしてみた。彼は(進む向きは別として)進む速さはだいぶ速いので,きっと何とかするだろう。
そんなことよりそのcomment欄のバカらしさと言ったら無い。「面接官が何を聞きたかったのか」に始まり,「どう答えるべきか」「どのような訓練をすれば受かるか」といった『技術論』が延々と続いている。もしconsulting companiesがこういう流れを意図していたならば,つまりこの質問をされたときにまず面接官が何を聞きたがっておりそれに対してどのような回答をするのが望ましいのかを理解した上で質問に答えてほしいと思っているのならば,それは結局consultingという業種が『相手のほしがっている回答を与える』という仕事,(まさに某先輩が2年前に仰っていたように)中身のない『虚業』である,ということになる。虚業はいずれ化けの皮が剥がれ,中身の無さを露呈して崩壊するのだろう。
僕はconsulting業はそういう業種ではなく,もっと頭の良い人たちの集まっている場所だと思うのだけれど,「Consulting company内定者」やら「業界人」やらが似たようなことを言っているのを見ると,やっぱ虚業なのかなぁという気もしてくる。
前置きが長くなってしまったけど,僕がこういう記事に対してreplyするなら,次のようなことを書く。というわけで本題に入る。
何だろうなぁ,とちょっと考えてみたのだけど,結局のところ「生きていること」なのかねぇ。こんな複雑な世界の中で生きてるってことが一番すごいことなのかな。周りから空気の分子がぶつかってくるし,上には大量の空気が気圧となってのしかかってくるし,重力とか電磁気力とか光がガンガンかかってくる中で,なんかよくわからないけどご飯食べて動いて考えて排泄して生きてますよってのが一番「俺ってスゲー」なことなのかね。
これだとconsulting companyの就職面接での回答としては不適切なんだろうかねぇ。確かに他の人から見れば「スゲー」とは思われないかも知れないけど,でももっと人々は「生きてることがスゲー」と思って良いと思うんだよね。だってそうでも思ってないと生きて行けないじゃん。「他人からスゲーって言われなきゃダメだ」なんて価値観だと,上ばかり見てしまって,過去ばかり,先人ばかり見てしまって押しつぶされちゃて,結局何も向上できないような気がするんだよね。
生きてるってコトはそれだけで進歩なんだから,昨日の自分より多くのことを考えてるし,多くのモノを知ってる。それだけで十分すごいんじゃないかね。
でもやっぱりconsulting companyに対する就職面接での回答としては不適切でしょうかね?「もっとこう……客観的に評価できることで」なんて言われちゃうかもね。でもそれなら「最近"俺ってスゲー"と思ったことは?」じゃなくて,「最近なにかスゴいことをしましたか」って聞いてよね。そしたらまた答えるから。
……僕だったらこんな感じで答えるかな。
昨日,研究室でひっそりと,修士論文発表の練習会が行われました。僕らの1つ上の学年。その練習会の中で,先輩方の発表を見ていて感じたことや,或いは教授らからの「発表はどうあるべきか」という助言などを,簡単に覚え書きとしてまとめてみようと思います。
……と思ったのですが,よく考えたら1年ほど前にid:yuyarinが4年生の卒研発表を見学してきて感じたこととして似たようなことを書いていて,それがとても本質的なので,彼のに若干補足したり修正したりする感じで書いてみようかと思います。
勿論僕は素粒子理論なので,特に理学的な視点から見た形になると思います。学術的価値観が違う場所では,以下はその価値観にあわせて修正されるべきです。
と,寝なければいけない時間になってしまったのでこの辺りで。また気が向いたら書きます。おやすみなさい!