みしょのねこごや

Diary - 2009年10月

10月になりました

僕は大学入学当時から概ね日本経済新聞を読んでいますが,特に今年の頭からは出来る限り毎日読むようにしています。

で,最近になってようやく,書いてあることが「分かる」ようになってきました。そこで,そろそろ世の中の色々なことに対して自分なりの意見みたいなものをまとめ始めようかな,と思い立ったわけです。

なんか10月1日ってことで区切りも良いし,今日から始めて見ようと思います。

もとより研究や仕事や趣味に忙しい僕なのでどこまで時間が取れるかは分かりませんが,なんとか時間を作っていきたいな,と。(趣味っていうか,研究以外の勉強ですね。汉语とかDeutschとかの学習も一応細々と続けてるし,TopCoderとかもやってるし……。)


「一票の格差」訴訟について

今日は,昨日最高裁で判決が出た,所謂「一票の格差」訴訟について思うところを書きます。参考文献として,

を挙げておきます。(ちなみにhouko.comと法令DATA提供SYSTEMは一長一短ですが,個人的には参考法令を引きやすいhouko.comが好きです。)


さて,そもそも本件は2007年の参院選の議員定数配分が憲法第14条等に違反するため意見無効であるとした訴訟の上告審なわけです。まず参議院の選挙制度は

  • 選挙区選出(都道府県・小選挙区ないし中選挙区制)73人+73人
  • 全国区選出(非拘束名簿式比例代表制)48人+48人

となっていますが,本訴訟は,選挙区における「定数÷人口」が,2007年参院選において最大4.84倍であったことを問題視しています。主要な根拠は憲法第44条「両議院の議員及びその選挙人の資格は,法律でこれを定める。但し,人種,信条,性別,社会的身分,門地,教育,財産又は収入によつて差別してはならない。」です。

で,結局最高裁は,

本件選挙の後には(中略)定数較差の問題について今後も検討が行われることとされている。そして,(中略)本件選挙までにそのような見直しを行うことは極めて困難であったといわざるを得ない。以上のような事情を考慮すれば,本件選挙までの間に本件定数配分規定を更に改正しなかったことが国会の裁量権の限界を超えたものということはできず,本件選挙当時において,本件定数配分規定が憲法に違反するに至っていたものとすることはできない。

しかしながら,本件改正の結果によっても残ることとなった上記のような較差は,投票価値の平等という観点からは,お大きな不平等が存する状態であり,選挙区間における選挙人の投票価値の較差の縮小を図ることが求められる状況にあるといわざるを得ない。(中略)国民の意思を適正に反映する選挙制度が民主政治の基盤であり,投票価値の平等が憲法上の要請であることにかんがみると,国会において,速やかに,投票価値の平等の重要性を十分に踏まえて,適切な検討が行われることが望まれる。

として,合憲を以て本請求を棄却しました。

以上が事実関係。


で,これに対する僕の意見なのだけれど,まず第一に数字の問題について。選挙区選出における1票の価値は4.84倍の較差があるけれども,小中選挙区と比例代表の並立制として参院選が行われる以上,「1票の価値」はその両方を合一して計算するのが適切だと考える。その結果,較差は2004年の参院選が2.89,2007年が2.83倍ということになる。この意見は那須弘平裁判官の意見に基づいており,数字なども判決文中の那須裁判官の反対意見に依った。ただしこれは単純に数字を弄っただけであることと,合一して計算することの適切性は通説とは異なることに注意が必要だと思います。

次に,この2.83倍という較差をどう考えるのか,という難しい問題になる。僕は,参院については人口比で定数を決める必要は無い,つまりかなりの較差は容認できると考えている。それは,参議院が「上院」であるからである。僕の主張は以下の通り。

  • まず,下院は世論を適切に反映すべきであり,較差は1倍に近くあるべきである。
  • そしてその付和雷同性を押さえるために,上院は「良識の府」であるべきである。
  • 具体的には,世論を適切に反映することよりも,少数意見の尊重や,あるいは地方の声の尊重などを重視するべきである。
  • ゆえに,較差があるということ自体を問題視することはできない。

さらに言えば,そもそも原告側は,選挙が違憲であるとする根拠を憲14・憲44に求めているけれども,僕は憲法第14条・第44条は,選挙権の「権利の大きさ」が都道府県間で異なることを否定するものではないと考える。特に上院に当たる参議院議員の配分は,人口比だけでなく,面積比だとか自治体数の比だとかの要素を加味して計算してもいいのではないか,とすら考えている。

もちろんこれは昭和58年大法廷判決以来の最高裁判例とは一致しておらず,通説と異なっている。しかし,この「一票の格差」の議論における本質的な問題は何かというと,それは国会が参議院のあり方に対する確固たる信念というものを創立しないまま,小手先だけの対応を以て現状を漫然と追認しているという状態である。すなわち,この種の選挙無効訴訟を議論する上では,国民あるいは国会は「格差を何倍まで下げる」ことに注力するよりは,参議院はどのようにあるべきか,それを達成するためには選挙制度はどのようなものがこのましいか,ということについて考えていくのが建設的であると考える。その上で僕のような考え方も,一つのあり方として考えられるものであるし,確固たる見解のもとでの格差であれば最高裁は違憲としないと考える。実は僕は三権分立の精神について,すなわち「政治的に高度な判断が求められる領域をどこまでとすべきか」ということについてよく理解していない。だから僕の考えが法学的・政治学的に正しいかどうかについてはあまり自信がない。

ちなみに竹内行夫裁判官が類似の議論を行っており,判決の中で

私は,衆議院議員の選挙においては,人口に基づいて議員定数を配分することが重視されることが当然であると考えるが,参議院も同様の厳格な人口比例原理を選出基盤とした議員により構成するとすれば,参議院は「第二衆議院」ともいうべきものとなりかねず,憲法が採用した二院制の趣旨が損なわれる結果になることを危惧する。むしろ参議院議員の選出基盤が衆議院議員のそれと異なる要素を有することによって,両院あいまって,国会が総体として公正かつ効果的に国民を代表する機関たり得ると考えられるのである。

(中略)

多種多様の問題に対応して国土のバランスの取れた発展を期するためには,地方の実情と問題意識に通暁した者が国政に参画することが必要であるが,人口の多寡により定数配分が定められる仕組みにおいては,国会議員が国民全体の代表者であるとしても,人口の少ない地域の問題意識を国会に十分反映させることには実際上困難を伴う。単純な人口比例原理の問題点を補う仕組みを設けることには十分な合理性があり,人口比例原理により選出される議員から成る衆議院とそれとは異なる選出基盤をも併せて用いる参議院とがあいまって,多様な民意を二院制の国会に反映させることができるとされてきているのである。

と述べている。


最後にいくつか,これまでの議論で触れられなかったことについて付言しておきます。

まず,2004年の参院選では格差は5.13倍であり,これを改善するために2006年に「4増4減」により4.84倍まで縮小させたが,その後も格差が広がって2007年選挙では4.86倍になった,ということ。つまり,国会もなにもしなかったわけではなく,「小手先の対応」はしていたわけ。ただしその対応は小手先にとどまっており,すなわち「選挙区定員の増員」「定員の奇数化」などの劇的な対処は行っていないわけ。

次に,今後の方針。判決は2009年9月に出たわけで,次の選挙は2010年に予定されている。次の選挙までに出来ることはほとんどないだろう。なぜなら,政権与党が交代したために経済政策やその他政治の運営方針などに大きな変化が生じており,選挙制度の議論をする余裕がないから。ただし,国会の立法不作為が問題である以上,何もしないというわけにはいかない。格差是正,あるいは参院のあり方についての議論を進めていかなければならないことは間違いない。参院のあり方についての議論は二院制の改廃とも関係しており早急には出来ないだろうから,とりあえずは穏健な対策として,「選挙区定員を奇数にする」「選挙区と比例区との振り分けを見直す」などが考えられるだろう。(議員数を増やすのも手であるが,最近の世論とは相反するものであり受け入れられない。)

最後に,実は僕は判決文を全て読んでいないwww。明日の午前に研究の打ち合わせが入っているため,明日は午前中に起きねばならなくて,ゆっくり判決文を読んでいる時間がなかったのです。あとでじっくり判決文を読んでみようと思いますwww。

こんなところかしら。これだけ書くのに90分もかかっちゃったぜ……。。。。。寝なきゃ寝なきゃ寝なきゃ寝なきゃ!!!!!!!!


さて,次は何をやろうかなー。なんか面白そうなことはないかしら?

時間がない!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

こんにちは。

実は,「官僚機構が有効に機能しなくなった理由のうちの或る1つ」というのを先日思いついて,その論理を補強するために日本国の財政状況(国家歳出)やらGDP(国内総支出)やらを調べていたら面白いことがわかったので,ココに書いてみたいのです。

しかしながら,僕の生活は最近かなり忙しくなっていて,なかなかそういう時間がありません。困ったものです。

というのも,先週末はDomino's Pizzaの創業感謝祭ということで,anemoyuyarinなどと,デブを食べてピザになる会をやったので,なぜか週末がつぶれました。

更に昨日は東北大学の浅野さんがseminarに来て下さって,そのあと浅野さんたちと(いつものようについうっかり)さくら水産に行ってしまったので,それで全てが終わってしまったのです。

あと,最近は雨が良い感じにしとしとと降っていやがるので,ついつい『落葉松』を弾きたくなってしまい,2食のhallに出かけてpianoを小一時間弾くなどしていることもまた,僕の忙しさに拍車を掛けています。

さらに言えば,もう単位はとっくに揃っているのに,またいつものように,ついうっかり,漢字の字体の変遷だとか,Grimm童話だとかの講義を受講してしまったりしているのも大変よろしくありません。

というわけで眠いので,おやすみなさい。

質問技能について,或いは僕はどうやって質問技能を手に入れたか。

今日はたまたま,まとまった空き時間が出来ています。あと2時間弱を無為に過ごさなければなりません。というわけで,「『なんでも質問する』姿勢と『ググってから質問する』行動」という記事がとてもおもしろかったので,「質問するという技能」について思うことを書いてみようと思います。

この記事は,発声練習というblogの記事です。はてなbookmarkをご愛用の,はてブ厨のみなさまはよくご存知かと思いますが,このblogの内容は大学生や大学院生にとっても役に立つと思うので,読んでみるとよいとおもいます。


その記事の「まとめ」の所に,

  • なんでも質問する」姿勢は重要!
    • 適切な答えは適切な質問からしか得られない。
    • 適切な質問をするのは簡単ではない。たくさん質問をしてみるということだけが適切な質問を得るための唯一の方法。
    • 「他人に向けて発するのは適切な質問だけ」という内部規定を作るとまったく質問できなくなる。

という記述がありますが,僕もこれに全面的に同意します。というか,この4行が全てです。

僕がだと思うのです。


僕は地方の,いわゆる「普通の」高校から大学に入学してきたので,最初の2年間の駒場時代(教養学部時代),特に初めの頃は,周りは天才ばかりなんだと思ってました。講義中に分からないことがあっても,それは単に自分の理解力が低いだけで周りの秀才たちはみんな分かっているのだ,と思っていたので,講義中にはあまり質問せず,講義が終わった後に教員に質問しに行くという形をとっていました。講義中に質問をすると,それで講義の進行が阻害されて,周りの人にとって迷惑になると考えていたのです。

僕は他人の頭で黒板が隠れるのが嫌だったので,出来るだけ前の方に座るようにしていました。で,教員に近いから比較的講義中に発言しやすかったのですが,板書の明らかな間違いを指摘することはあっても,あまり「質問する」ということは無かったように思います。

ただ,数ヶ月もすると,だんだん「僕が分からなかったところはみんな分かっていない」ということが分かってきます。講義後に質問に行ったときに,他の人の質問を聞いていると(実はこれは講義を理解する上でとても重要なことなのですが),僕が分からなかったことと同じことを他の人が質問しているのです。

というわけで,それに気づいてからは,講義中にも少しずつ質問をするようになりました。この頃の僕は

  • 講義後にはできるだけ教員の所に質問に行くようにしていた。質問が無くても,とりあえず行って他の人の質問を聞いていた。(実際,時間的制約でこれができなかった講義は,よく理解できなかった。)
  • 「僕が分からなかったところは実はみんな分かっていない」ということに気づいた。
  • 講義中であっても,「他の人も分かっていないだろう点」については質問するようになった。

というところです。

つまり講義中の質問は,『良い質問』に限って質問していたということです。これが出来るだけでもだいぶ質問技能が高いと言えるでしょうが,しかし今から思い返すとこれではちょっと不十分です。本当は,講義中に質問を思いついたら,自分で考えても分かりそうにない場合には何でも質問する,というのが,自分の質問技能を高める上で最良の手段なのです。


僕がこのことに気づいたのは,大学に入ってからかなりの時間が経った頃です。だいたい大学4年のころ。大事なことは,

  • 教員は,「質問が講義の流れを阻害する」などとは思っていない。
  • 教員は,ときどき「講義内容が多いから急いで進めなきゃ」と考えるけど,大体の場合は「進度よりも理解してもらうことが大事だ」と考えている。
  • バカな質問があると,質問のhurdleが下がって他の受講者が気軽に質問できるようになり,他の人が「素晴らしい質問」をしてくれることが期待できる。

ということと,更に

  • これは「度胸」さえあれば誰にでも今すぐにでもできる

ということです。最後のコレが一番大事なところです。つまり,質問技能を向上させるには,「度胸」が一番大事なのです。

ちなみに,質問するのに必要な度胸は,後ろの席に行くに従って指数的に上昇します。 \(n\) 列目に座っているときに必要な度胸は,最前列に座っているときのおよそ \(1.5^n\) 倍ですので,僕のようにあまり度胸の無い人は最前列に座るとよいと思います。度胸のある人と質問技能を高める気のない人は僕に前の方の席を譲ってくださいww。


ところで,質問する機会というのは別に講義の時に限らず,研究をしているときや仕事をしているときにも生じるわけです。で,2ちゃんねるなんかで質問するとググレカスと言われるわけですね。

講義をしている教員は教えるのが仕事だから,(講義中であれば)ググる前に質問しちゃえばいいのですが,こちらはそうは行きません。というわけで,「他の人に質問するときにはググってから質問すべきなのか,それとも思いついたらすぐに質問するべきなのか」という問題が生じるわけです。で,この答えについては元記事の「『なんでも質問する』姿勢と『ググってから質問する』行動」が正解を書いているので,そちらを参照してください。

僕が言いたいことは,「講義では思い切って質問しちゃえ」ということです。


ところで,最近僕は大学院ももう2年目になり,他の大学の人を講師として呼んでseminarをしてもらったり,いろいろと研究会などに出かけて発表を聞いたりしているわけです。で,そこで大量の度胸を消費しながらいろいろと質問を繰り出したりしているわけですが,そういった中で自分の「質問技能」にもいくつかの課題が見えてきました。つまり

  • 「質問を思いつく」のは案外むつかしい!!!
  • In international conferences, I have to ask questions IN ENGLISH!!!!
  • 何もかもわからないときにはただ黙って座っているしか無い!!!

という3点です。最後の2つはどうしようもない(場数を踏むしか無い/知識を増やすしか無い)として,最初の課題は早急になんとかしなければなりません。おそらく「話されている内容を自分の頭で考えてきっちり咀嚼して,その中から自分の分からないところを見つける」しかないのでしょう。そしてたぶんこれが,「質問技能」の最大の本質なのだと思います。あー,がんばらなきゃなー。

明日はHALLOWEENですね!!!この秋の収穫に感謝をしましょう!!!

TRICK or 金くれ!!!!!!