みしょのねこごや

Diary - 2013年3月

四月から東京大学の大学院へ進む人へ

みしょは三月に東京大学の大学院を修了します。大学院生活に於いて最も重要だったことを書きます。

マイスリーは保健センターで買うと安いです。10mg 剤の方が割安ですので割って使いましょう。

ご利用は計画的に。僕はどうしても寝たいときだけ,3-5mg ぐらい飲みます。

参考:『四月から大学院へ進む人へ - bluelines


マイスリー 10mg は 78.70 円なので,保健センターで 14 錠買うと,調剤料と併せて 1400 円ぐらいです。5mg は 49.60 円ですが,原則的には 14 錠までしか買えないので調剤量が負担になります。

ちなみに,院内処方の医療機関 << 院外処方の医療機関(再診扱い)≦ 保健センター << 院外処方の医療機関,です。

院外処方だと初診料 2700 円+処方箋料 680 円がかかり,更に薬局で調剤基本料 400 円+調剤量 630 円+向精神薬加算 80 円+薬剤服用歴管理指導料 410 円がかかって合計で 1700 円強。再診の場合は再診料 690 円なので 3 割負担で 1200 円ぐらい。でも数ヶ月おきに通った場合は普通は初診扱いでしょうね。

まぁ,お金より何より,いちいち病院と薬局のハシゴをしなくていいので,保健センターおすすめです。

追記(2013年3月6日)

以下の日記を書いた後,秋田放送に次のような意見を送りました。

『秋田新幹線・新型車両を緊急停止させたことについてのお詫び』ですが,テキスト形式ではなく画像形式で掲載されております。このため音声読み上げソフトなどでの閲覧ができず,視力の十分でない視聴者の方々に不便だろうと思いましたので、当方で文字起こしをさせて頂きました。音声読み上げソフトウェアを使っている方をこちらのURLへと誘導していただくと良いのではないかと思い、ご意見を差し上げました。

その後,謝罪文が画像から text によるものへと変更されました。視覚障碍者などが音声読み上げなどの機能を利用していることに配慮した素晴らしい変更だと思います。とても迅速な対応を歓迎します。

(URL: http://www.akita-abs.co.jp/owabi130305/index.html

以下の文字起こしは参照のため残しておきます。

ABS 秋田放送がどうしても謝罪文を検索可能にしたくないみたいだったので,視力が十分でない皆様のために,代わりに僕が掲載しておくことにしました。

秋田新幹線・試運転車両を緊急停止させたことについてのお詫び

弊社では今月4日,大仙市神宮寺のJR奥羽線で,脱線事故の後,運転を再開した秋田新幹線「こまち」号の撮影を行いました。この際,弊社報道部記者が線路近くに立ち入ったことが原因で,試運転中の新型車両「E6系」を緊急停止させる事態を引き起こしました。

この影響で新型車両「E6系」が現場に17分間停車したほか,下り「こまち13号」に3分の遅れを生じさせました。

こうした事態を引き起こしたことは誠に遺憾で,東日本旅客鉄道株式会社並びに「こまち13号」の乗客の皆様をはじめとする関係各位に多大なるご迷惑をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます。今後,取材の有り方等を総点検し,再びこのようなことを起こさないよう厳しく指導して参ります。

株式会社秋田放送 代表取締役社長 立田 聡

ちなみに日本語の誤りは原文ママです。以下が参考画像です。


おまけ。http://www.misho-web.com/tmp/g/4b80be265d808424c882649889127fd2.png

Nothing can be seen from our eyes.

人類文明 -Civilization- の進歩には驚かされる。

20 年前に Sim City 2000 を作った人たちは,未来技術として『マイクロ波発電所』や『核融合発電所』を描いたが,shale gas だとか methane hydrate だとかの技術革新は想像していなかった。

日本の近海で methane hydrate の試掘が成功したことには,Civilization で戦略資源が突然自国の(しかも小国の)領域に出現したかのような感動を覚える。Game の流れは,つまり世界史は,これによって大きく変わる。しかも,もちろん Civilization の中には描かれていない新資源だ。過去に鉄・石炭・石油・Uranium を発見した人類もこのような感動を覚えたのだろう,という感慨もある。

Higgs 粒子の発見は,人類の『無』の概念を書き換えることになった。もちろん人間の能力が貧弱なせいで,ほとんどの人間はその変革に気づくことができない。気づくのは,あの忌々しい場の量子論を攻略した者のみだ。

人間の世界に対する認識は実に貧弱だ。夜空を見上げた時に見える満天の星空も,しかし実は本当にあるものの 4% に過ぎない。我々にはなにも見ることが出来ないし,結局『見る』という動詞に置き換えることしか出来ない,人間の視覚偏重あるいは語彙不足にはいいかげんうんざりだ。しかし僕も人間なので,その枠組みを超えることは出来ない。「Higgs 粒子が見えた」,「発『見』された」などと言ってしまうあたり,人間の思考体系の限界を感じさせられる。数学の助け無しには,誰も量子論を,世界を理解できない。

研究者をやっていて良かった,と思えるのは,そのような思考構造の変化に真っ先に立ち会えることだ。その営みが,人類の思考構造を変える試みだということだ。暗黒物質は我々の『存在』の概念を懐疑している。いずれ,『存在する』が変革されるのだろう。

Fantasy の世界……たとえば『魔王勇者』……も面白いけれど,やっぱり Civilization のような「歴史」に心惹かれる。だから,最近,世界史を勉強している。世界史には,人類の思想・科学・技術・思考体系が記録されている。

また迷惑をかけちゃったなぁ。

いつも,また迷惑をかけたなぁ,と思う。そして今回も。まぁそれでもいいかな,という『開き直り』ができるようになった。意識的に迷惑をかけて開き直っていくのも,悪くない気がしてきた。


実家でゆっくりしていると,時間があるので色々なことを考えることができる。たまには良い。

現在だけしか見ない,という生き方を始めてから 2 年ぐらいが過ぎた。その生き方を意識し始めたのはもうちょっと後だけど。

僕は他人のことをちゃんと考えるのが苦手なので(努力すれば出来るけど,そんなことをすると結局疲れてしまって全部壊してしまうので),この「現在主義」は今のところわりとうまくいっている気がする。

でも,現在だけしか見ないということは,「いま自分がどうしたいのか」をわりと真剣に考えなければいけないという大変さもあるみたいだ。将来にわたる契約の下にいるのであれば,そのままだらだらと生きていけばいいのだろうけれども(そういうやり方があると知ったのはわりと最近)。

あと,わりと致命的な問題があって,「現在主義」でない人とは全く話が合わない。この前も友達に『僕は万年 PD でも(=終身雇用契約にならなくても)いいなぁ』みたいな話をしたら,もっと精力的にいこうよ,みたいなことを言われた。


と,ここまで書いて,「現在」って何なのだろう,という,いつもの定義問題が気になった。

現在主義というのは,いったいどの程度の未来までを考えるのか。3 秒後だとしたら,僕は永遠にラーメンを食べることが出来ない。50 年後までだとしたら,それは現在主義ではない。2 年後のことを考えると,もう次の PostDoc のことを考えねばならない。だから 2 年以下でなければならない。


いつもここで「その定義問題すら気にしない」という立場に立って議論を終える。

佐伯市論

丸一週間,実家のある大分県佐伯市に滞在していた。車で市内南部(とはいえ九州で最も広いので数時間かかる)を周ったり,市街地を歩いたり(二日で30kmぐらい歩いた)した。山にも登った。まるで斥候だ。

周辺部が荒廃しているのはもう仕方がないし,むしろ荒廃して compact city 化した方が強い時代なのだけれど,市街中心部が帰省するたびにひどいことになっていくのには毎回驚かされる。

結局,原因は単に motorization に対応できなかったというだけなのだ。市街中心部は古くからの狭い路地が多いので,motorization に対応した商業施設を作ることができない。歩行者を供給できる唯一の施設だった病院も移転してしまったので,道を歩くのは近所に住む老人しか居なくなった。購買力の高い 30 〜 50 代は,自宅の玄関・職場の駐車場・商業施設の駐車場でしか車から出ない。駐車場の小さな商業施設には人は来ない。

それでも飲み屋街はまだ良いのかなと思う。飲んだら歩くしかないからだ。希望的観測かもしれないけれど,景気の回復があれば,現在の飲み屋街は維持可能かも知れない。(しかし商業が荒廃する中で景気は回復するのか?佐伯は工業都市だからという期待もあるが,工場の集約化と海外進出という動向もある。)


Motorization が進展したのだから,motorization に適応した街を作れば良いじゃないか,と,理論的には思う。病院・介護施設とその駐車場と,大規模商業施設とその駐車場と,歩行者を対象とした商店群を接続すれば,と考える。実際に大分市などでは,これまでは駅と商店街(セントポルタ中央町など)と大規模商業施設(PARCO・FORUSなど)が一体となって駅前街を形成していたはずだ。

しかし民主主義ではそのような理想論は機能しない。特に地方部では,変化に対応できない老人(60歳以上)のみしか発言権を持たない(これが民主主義だ!)。さらに,同調圧力が強いので,革新的な人間は地方に残ることが出来ないだろう。いかなる変化からも取り残される。とにかく彼らは,変化せずに縮小均衡の中でゆっくりと衰退していく道を,いつも選択している。老人は年金で生活できているし,衰退する前に老人は死ぬので,全く問題ないのだ。


現在どうなっているか。

中心部の商店街は完全に荒廃し,老人向けの店しか残っていない。中心市街地から遠く離れたところに,トキハインダストリー(大規模商業施設)ができた。みんなそっちに行くようになった。高校生ですら,放課後に自転車でトキハにいく。

その後,佐伯に高速道路が開通した。大分市まで 1 時間となったので,今度はみんなそっちに流れた。中心市街地から IC へと向かう道路が整備され,その道沿いにコスモタウン(大規模商業施設群)が生まれた。中心部にあった病院もコスモタウンに移転したので,佐伯市全域 - コスモタウン - IC という流路が確立した。トキハインダストリーも客をごっそり奪われたので,縮小(撤退?)するのも時間の問題なのかもしれない。


ここで注意しなければならないことがある。コスモタウンにある店舗は,殆どが大分県外の大資本なのだ。地方の小資本には,開拓した土地に移転/新規出店するだけの体力は残っていない。結果として,地方の労働力と購買力が都会の大資本に吸収されるという構図になる。資本主義であるから富める者がなお富むのは仕方が無いのだけれど,それを全く利用できずに地元資本が敗退するのはもったいない。都会にある商業施設が進出することをもって「都会化」と言う向きもあるが,本当におめでたい話だ。ちゃんと調べたところ,大分3(うち佐伯1),その他九州6(うち福岡4),九州外13(うち東京5)だった。

余談だが,大分駅の周辺でも似たような状況が起きつつある。大分駅が高架化し,駅が高層商業施設になるらしい。そして高架化に伴い,旧来の商店街から改札までの距離が,かつてよりも非常に遠くなってしまった。かつての,駅 - 駅前商店街 - 駅前大規模商業施設,の連携が崩れ,駅ナカの店舗と駅前商店街とが隔絶することになった。そして駅の中には福岡資本の会社が多く入るらしい(伝聞)。(JR 九州が福岡資本だから,というのはうがち過ぎか。)駅ナカ〜駅前の人の流れがどうなるかはわからないが,駅には大きな駐車場があることと,電車通学の高校生にとっては改札の近くの方が都合が良いことから,おそらく駅ナカに人が集中するだろうと考えている。まぁ,PARCO の跡地に病院・介護施設が進出するらしいので,その辺の連携が進めば良いかなと思っている。


さて,中心がコスモタウンになってしまったのなら,開き直ってコスモタウン中心の街作りをすればよいのでは,と思う。しかしそうはいかないらしい。荒廃してしまった旧市街地に,再び大規模商業施設を建設して復活させる,という計画が浮かんでいる。大手前再開発事業というらしい。

理論的には非常に愚かなことに見える。旧市街地トキハインダストリーコスモタウン,というばらばらの場所をばらばらに開発してどうするのだろう。人口は減少しているのだから,どれかに集中したほうが住みやすくなる気がする。3 つも中心を作ってしまったら,2 つは荒廃し,残りの 1 つも中途半端なままだろう。

しかしどうやら,大手前再開発事業は遂行されることになりそうだ。おそらく土建業者のためであろう。コスモタウン周辺の開発が終了したので,次の開発場所をあたえなければ,土建業者(いまや地元資本の代表格となった!)は生きていけない。かつて公共事業として税金がばらまかれた時代があったが,あれを続けなければ佐伯市の資本は生き残れないのだろう。


僕はトキハインダストリーが出来て,大手前(旧市街中心)にあった壽屋が撤退したとき(高校1年頃?)に,これはもうダメだな,と感じた。将来も戻ってくるつもりはないから,完全な部外者である。もともと佐伯市に受け入れられなかった(受け入れられようのない)人間であり,佐伯の人々のことは嫌いだ。だから,佐伯市が荒廃する様子を,嘲り笑いながら生暖かく見守っている。

@isotaku503 さんからの mention に返信しようと思ったのですが,長くなりそうなのでここに書きます。結論からいえば,高架道路や盛り土道路を作っても無意味なのでもっと別の形で人命救助したほうがいいという話をします。

今後は,南海トラフ地震による十数㍍の津波が予想されているので,避難路としての高架道路や水密壁としての盛土道路が必要となるのだが,人命救助と地域対策とを,どのように両立していくのだろう。 #oita #saiki @Misho http://twitpic.com/bgnot5
Twitter: @isotaku503 / 五十川卓司 (IsogawaTakuji) []

2011年の震災で我々が学んだことの 1 つは,津波が起きたら人間は死ぬ,ということである。海域を震源とする大地震が起きれば,沿岸に津波が押し寄せる。津波は人間の想定を超え,人間の作った堤防を越え,家を壊し,車を流し,人間が死ぬ。特にその被害は Rías 海岸の場合に拡大する。湾口の狭い湾内に入った波が増幅され,局地的に予想される高さよりも遥かに高い波がやってきて,人間が死ぬ。

具体的にどのような形で人が死んだのか。一つ印象的だったのが,車で逃げようとして渋滞に巻き込まれてみんな死んだ事例だ。教訓。車で逃げると渋滞に巻き込まれて死ぬ。もちろん,他にも,いわゆる「正常性 bias」に陥ると死ぬ,ということも重要である。

どう逃げれば助かるのか。速やかに高いところに逃げれば良い。

その点,実は Rías 海岸では逃げやすいのかもしれない。山が海のすぐそばまで迫っているため,すぐ側にある山へと気力を振り絞って登ることで助かることが出来る。特に,そのような場所では,山や海の神を祀るため,山の上に神社がある場合が多い。東日本大震災の津波でも,山の上にある神社は津波の被害を免れたという報告もある。山の上にある神社は,避難場所・高度の目安になるのではないか。(と思って山の上に登ると,こんどは土砂崩れに襲われて死ぬかもしれない。世の中は厳しい。。。)


以上のことから,避難路としての高架道路や水密壁としての盛土道路は無駄である。三陸でも,津波を防ぐための堤防が作られていたが,津波は人間の想定を超えて,堤防を軽々と乗り越えた。高架道路も不要であり,土台ごと流されて死ぬ。

津波が起きた場合,自分で動ける人間は徒歩か自転車で山の上へと逃げる。自分で動けない人間はもう諦める。あるいは,そのような人間こそ,車で道路を避難するしかないだろう。もちろん人間はバカなので,道路が渋滞してみんなまとめて死ぬことになるかもしれないが。


具体的に佐伯市の場合に,どう逃げれば良いか。どこまで逃げれば良いか。国土地理院の地図で等高線を探してみよう。上岡の辺りですら,標高は 5m 程度なので,10m の津波が来るとみんな死ぬ。番匠〜上小倉のあたりで大体 10m。津波が川を遡上することを考えると,20m の津波が来るとここもみんな死ぬ。車で逃げるのだったら,弥生に逃げてもなお安心できないだろう。だったら,近所の山に逃げた方がいいだろう。きっとみんな城山に集中する気がするが,あの辺りは渋滞しそうなので,できれば自転車で行きたい。市内中心部から城山までは 3km もないので,ゆっくり走っても 25 分で行けるだろう。十分な時間はある。


ところで,@isotaku503 さんは人命救助と地域対策に言及しているが,地域対策ということであれば,道路を作るのではない,別の方法がある。地域防災だ。日頃から地域で防災教育を,特に子供と老人に行う。子供と老人が知り合いであれば,避難したあとの安否確認や,あるいはその後の復興において役に立つだろう。まぁ,その辺僕はよくわからないので,行政の人たちにちゃんと頑張って欲しい。

残念ながら,元々の「高架道路や盛土道路」は,東日本大震災で破壊されたはずの「人間は自然に克己できる主義」の残滓であり,土建業の利益にしかならないかつての公共事業の再来にしか見えない。「コンクリートから人へ」とは何だったのか。

もちろん,「高架道路や盛土道路」は土建業のためには有効な施策だろうから,土建業関係者はイイカンジな論理をでっち上げて市民を騙して利益誘導するのがよいだろう。これは仕方が無いことだし,実際僕は科学者なので,科学にもっと税金が投入されるように世論を誘導するような行為もしている。人間なんてそんなものだ。

ところで,地域防災でもお金を儲けることができませんかね?その手法を思いつけば,チョット金が稼げるかもしれませんよ。地域防災と地域振興を両立させたい自治体は日本の至る所に沢山あるので。