みしょのねこごや

Diary - 2015年11月

旅人について

この文章は,僕が以前,ある人に個人的に送った「旅人について」という手紙を元にしたものです。近年みしょの書く日本語の文章の希少性が増しているため,その手紙を再編して,ここに載せておきます。

日本にいるみなさん,日本にいないみなさん,お元気ですか。僕がパレスチナの地に来てから 1 年がたちました。「イスラエルは良いところです」と書きたいところですが,イスラエルは日本とは何もかも違って,何が良いことで何が悪いことなのかの判断が難しいので,「イスラエルは良いところなのか悪いところなのかよくわかりませんが,まあとにかくやっていっています」としか書けません。それでも,万事につけて親切で明るく朗らかで雑でいい加減で不親切な人たちとやっていく生活を楽しんでいます。とりわけこの街では,昼間はきれいな海を,夜は橙色の夜景を,いろいろなところから見ることが出来るのがすてきです。浜辺のことを חוף といいますが,חוף で夕日を眺めるのはよい気晴らしです。先日初めて swimming pool に行きました。Sauna/spa が併設されているので,それ目当てで定期的に行くことになりそうです。

このパレスチナの地,あるいはもうすこし広く,現在のエジプト~メソポタミアは,人類の文明の母胎,とりわけ一神教の発明された地として理解できます。ところで,もう一つ重要な観点として,この地は交易の結節点である,ということがあります。アラブ人街に行くと,様々なスパイスが入ったたくさんの大きな壺が置かれている,日本には見られない「スパイス屋」という店が至る所にあるのも,その名残でしょう。先週末に,スパイス屋までスパイスを買いに行きました。いろいろな種類のスパイスがあるので,いろいろ買ってしまいます。今まで持っていたやつの補充に加えて,新しく 5 種のスパイスを買ってみました。手持ちのスパイスが 10 種類を超えました。しばらく,魔法使いになった気分で遊べそうです。

交易商人の道ができると,その道を商人以外の人々も使うようになります。彼ら「旅人」は,その道を定期的に使うというわけではありませんし,ましてや十分な路銀を持っているはずもありません。ですから,その旅は困難な冒険であったでしょう。そのようなことに思いをはせると,イスラム教において旅人を丁重にもてなすことが求められているのは当然のことのように感じられます。次にいつ来るのかわからない旅人との邂逅は儚いものですが,だからこそその邂逅を大切にしたのだろうと勝手に考えています。

イスラエルについて考える上でもう一つ重要なのは,この国が常に戦争や紛争,衝突,terrorism の危険にさらされていることです。僕の住んでいるハイファはかなり融和的な街なのでそのような危険は全く感じませんが,先月からエルサレムを初めとするいくつかの街では小~中規模な衝突が起きているようです。僕もこの秋にエルサレムに観光に行こうと思っていたのですが,本場のイスラエル人に「今は行けないよね~」と言われたので,さすがに行けません。落ち着くのを待っています。

そういうことを考えると,以前「イスラエルに来るのなら初夏がよい」と言ったことはやや不正確だったと思います。イスラエルには来たいときに来るのがいいと思います。また,来られる時に来ておかないと,いつ来られなくなるかわからない,そういう不安定な場所です。もちろん初夏がとても過ごしやすく,たまに猛暑の日はありますが,毎日きれいな青空が広がっているので海に行くのにとても良い季節です。冬には嵐が来ることがあるので,それに当たるといろいろ大変です。そういうことも含めて,それはイスラエルがそういうものだということでしょう。

僕は一年中仕事をしているので,休暇などはないのですが,逆に,いつであっても,旅人を案内するだけの時間と気持ちの余裕は持っているはずです。この前(9~10月)僕が訪日したときに日本で僕と会った人なら,どなたでも歓迎します。

この国では曜日が意味をなしていて,たとえば金曜日の午後~土曜日の夕方に空港に着くといろいろなことが難しくなるので,旅程を確定する前に連絡をしていただけると,より快適な旅ができるとおもいます。イスタンブール・ソウル・ローマ・ウィーン・フランクフルトなどいろいろな経由地があって,どの経由地を選ぶかで,それぞれ違った困りごとがありますが,まあそれもイスラエルへの旅の醍醐味なのかもしれません。直行便が早く設定されてほしいです。