みしょのねこごや

Diary - 2015年4月

סדר פסח

היועצה יעל に invite されて סדר פסח に参加してきた。סדר פסח では הגדה של פסח という本をみんなで読むことになっていて,それに従って晩餐が執り行われる。עברית を勉強していたおかげでみんなが לקרוא するのに何とか着いていくことが出来て,英語の対訳も参考にしながらそこそこ להוינ ולקרוא できた。

最も impressive だったのは,הגדה של פסח の中に普通に aramaya の歌が出てきて,子供達を含むみんながそれを歌っているということだった。一度は滅びたけれども尽力によって復活した עברית と共に,紀元前の人たちが喋ってきた(そして今では使われていない)言語が現代に受け継がれ,古形を保ったまま自分よりも 1 世代後の人たちにも伝わったというのは偉大なことだ。似たような事例古代語の近隣語が verse などの形で古代語話者に包摂されて現代まで保存された例を僕は知らないし,特に日本語圏においてはそのような状況は起きなかった。

もちろん食文化も面白くて,たとえば Gefilte fish が魚のすり身に似ていたり(というかそれそのもので,薩摩揚げを思い出した),מצה が本当に味も食感も boring なんだけど Gefilte fish や מרור と一緒に食べると美味しかったり,これは完全に食文化だった。言うまでも無く supermarket では פסח-illegal なもの,or food not guaranteed for פסח, は入手不可能な感じになっていて,これは近所のアラブ人街に行くしかないなという感じだ。


翻って,日本には סדר פסח のような一族みんなが集まって楽しむ会というのはあったのだろうか,ということが気になった。もちろんあるのだけれど,סדר פסח は子供が主役の祭で,それゆえに家族みんなが楽しめる。そういう会が,

とここまで書いたところで,しかし自分が子供だった頃も日本の盆正月の会を楽しんでたよな,と思って,まあ結局,自分たちの文化を家族を単位として受け継ぐために「親族」という巨大な関係を maintain する,という tough work を行うかどうか,それを support/push する文化があるのか,という話になるのだろう。

歴史的日本文化を脱退して 21 世紀の文化へと鞍替えした僕にとっては,ちょっと羨ましい話だった。と書いても意味解らないだろうな。現代社会には,たぶん時間軸を貫いている文化と空間軸を貫いている文化,つまり特定地域で代々受け継がれてきた文化と,(Internet と高度交通によって可能になった)現時点においてのみではあるが汎域に存在する文化とがあって,僕は(とりわけ家族という単位を再生産していないがゆえに)前者の一つである日本文化から脱退して後者に重点を置いているという意味です。

חג שמח!

פסח なので McDonald's に行きました。פסח לויאל という פסח 専用の hamburger が売られていました。פסח では当然 חמץ は食べられないので,לא חמץ な buns を使っている,とのことでした。

日本の pancake みたいな食感で,これ本当に לא חמץ なのかな?と不思議に思いながら食べたのですが,お店の人に聞いたら לא חמץ だと言っていた。それなりに美味しかったので,企業努力というか,文化を感じました。

הגדה של פסח

先日の סדר で,さまざまな הגדה של פסח を見せてもらった。重厚な装丁の,それ自体が美術品であるようなものから,子供向けの絵本や,英語との対訳の書かれたもの。

そういうわけで,日本語との対訳版があったら面白いかな,と思って調べてみたが,見当たらなかった。以前にミルトス社が出していたようだが,限定生産品らしく,どこにも在庫はなかった。

日本は翻訳文化が発展しているからだいたいのものは日本語で手に入る,と思っていたが,そうではなかった。日本と ישראל との距離,あるいは日本の翻訳文化の退潮,を感じた。

יום השואה

Holocaust の被害者だからといって世界は優しくしてくれないし,核兵器の被害者だからといって誰もそれを知りはしない。

昨日は Holocaust memorial day だった。午前10時の黙祷 siren を街の中で聞こう,と思って近所の広場で聞いた。Siren とともにみんな直立して,すべての車の運転手までもが車から降りて直立して黙祷していたのが,Jewish の国であることを感じた。

それで,Jewish・Holocaust・日本人・原子爆弾,などについて色々考えていた。


のだけれど,それが全部「女性器アート「ろくでなし子」 初公判で無罪主張」という日刊スポーツの記事で吹き飛んでしまった。

「ろくでなし子」の漫画家五十嵐恵被告 (43) の初公判が 15 日,東京地裁(田辺三保子裁判長)で開かれ,「私のアート作品はわいせつではない」と無罪を主張した。法廷で女性器を意味する 3 文字の呼称を使い,表現の趣旨を説明した。,という記事,完全にアートだし,女性器が 3 文字であるという点まで含めて最高の joke だと思うし,日刊スポーツは最高の記事を作ったと賞賛する気持ちでいっぱいであり,このような記事の因となったろくでなし子は最高の自称芸術家だなと改めて認識した。

おもしろそうなので僕も自称科学者を自称することにした。