4月11日
あれから一ヶ月が経とうとしている。あの日はとても多くのことがあったから,記憶が hour を単位としている。
あの日,またあの日から,本当にいろいろなことがあったので,何か書こうとはしたのだけど,結局何も書いていなかった。何からも書けないので,ごく私的なところから始めたい。
あの日は某所で目覚めて,ちょっとイライラしつつ,大きな諦念と若干の清々しさとともに,午前8時頃に某所で列車に乗った。よい朝だった。
午前10時過ぎに,僕の新しい論文が preprint server に載ったので,列車の中でそれを確認してから,この web page にそれについての情報を載っけたり,Facebook でささやかに宣伝をしたり,という作業をしていた。その後は PC の充電も切れたので,あとは本を読んだり,寝たり,次のネタを考えたりして過ごしていた。
某県某市の某駅に停車しているころ(そこは海が綺麗であったが),列車が「風に揺れた」。風の強い場所だったので,ずいぶん風が強いなぁ,と思っていた。が,風にしては揺れが長続きする。あぁ,地震か。
いつものように列車は止まって,しばらく運転できないとのこと。それほど強い揺れではなかったので,まぁいつものように 2 時間ぐらいすれば動き出すだろうと思いつつ,本を読んでいた。食料を確保しておく必要があるだろうと近くの商店でお菓子を買いまくって,飲み物も十分に買った。お菓子を食べながら,海を眺めたり本を読んだりして過ごした。
同じ車両の人たちが,震度 7 だ,とか喋っていたけど,まぁ震度 7 ならよくあることだし,時間的にも火事の心配もないし,せいぜい家が崩れる程度だろう。Momentum magnitude が 8 だと聞いたときには,科学者として驚いたけれども。
携帯も PC もほとんど充電が無かったために外からの情報はまったく得ていなかったので,何も知らないまま地震から 3 時間が過ぎた。先頭車両だったので運転士の無線交信を聞いていたのだけれど,3 時間経っても交信内容が「復旧のめどが立たない」だったので,(充電の切れた状態での徹夜を回避するため)街に電源を求めて出て行った。近くに公民館があった。民家よりは公民館の方がよいだろうとして,公民館にお願いしたら快諾してもらえた。そこに TV があって,そこで初めて惨状を見た。18時頃だったと記憶している。
列車はそのまま動かず,足止めされた人たちは近くの学校の体育館に避難させてもらえることになった。4体育館にいっぱいだったので,200人ぐらいいたのではないか。小学校の備蓄の素晴らしさに驚いた。毛布が無限に出てくる。電源も大量に供給してもらえた。おにぎりなどももらえた。(僕はお菓子があったので食べなかった。)視聴覚室は NHK を見る部屋として一晩中機能していた。そうして僕はほとんど一晩中 NHK を見ていた。(落ち着いたら手紙を書こうと思っているが,まだ書けずにいる。そろそろ書いてもいいかもしれない。)
とても綺麗な朝日だった。
多分,あの日で戦前は終わったんだろう。あるいは始まったのかもしれない。
Comments
owata 2011/04/19(Tue) 02:34:49
学内のことならまだしも、理系専攻、工学専攻論はやめい。みっともない
みしょ 2011/04/19(Tue) 09:09:11
ゴミはゴミ〜〜〜
神山 2011/04/24(Sun) 11:23:32
博士課程の学生=ニート