9月23日
結局さあ,日本が完全に過去になっちゃったってことなんだよね。
8月31日から9月1日にかけて Budapest に1泊2日で行って,apartment の契約を済ませてきた。その次の月曜日,わずか20分,200mほどの間に key case を落としてしまった。すぐに戻って探すも見つからない。まあ Italia はそういう国で,とにかく人々が適当だから,何かあると systematic には解決しない。市の遺失物係に届けられる場合もあれば,店が勝手に保管している場合もあり,きっと今回は前者であったのだろう,出国までの 3 週間では見つからなかった。(あるいはゴミとして既に燃やされたのかもしれない。)
この 2 年間はとにかく過去を失った 2 年間だったなあ,と,最後の cena をお気に入りの osteria で過ごしながら考えていた。
箱がなくなった。父が誤って捨てた。従って父もなくなった。日本では断捨離が流行っているらしい。そうして最後に portachiavi もなくなった。イワクツキの portachiavi がなくなって,いよいよ僕から日本がなくなりつつある。
ここ数日は Padova の finale ということで,顔なじみの店々にあいさつをしつづけている。もともと 2 年間の契約だったので,Padova に「現在」があったのかというと,そうではなかったような気がする。ישראל もそうだが,2 年とか 3 年しかいないことになっている場所で「現在」を見出すのは難しい。「現在」は「未来」の支持なしには存立しえないのだと思う。「現在」が見出されることなく,現在は「過去」として受け取られるのみになっている。
従って (quindi),どこにも「未来」が見出されない現状では,どこにも「現在」すらないことになる。したがって「過去」に自己のかなりを依存して生きていくことになるが,「過去」は新たには発生せずただ喪われていくわけなので,自己はうしなわれる一方である。
とはいえ,このまま行くと 2 年後にはこの職業をやめることになる,ので,本当であれば日本にある程度の未来が見出されるはずなのである。ここで「日本」というのは,国家としてというよりは,日本にいて僕と関わりのある人々のことを指している意味が大きいのだけれど,それでもそこに「未来」を見出せないのは,うんざりするような日本の現状というのが底に通奏しているのだと思う。あのような軽減税率の仕組みを国民みなが歓迎している現状に辟易していたのだが,今日も小泉進次郎の "sexy" についての喧しい議論を見て辟易してしまった。早く 70 年前みたいに焼け野原になってくれないかなあ,と期待している。
ישראל はとにかく雑な国であったが,Italia はとにかく適当な国である。数週間の旅行なら楽しいだろうし,10 年以上住むのならば問題もなくやっていけるのだろう,が,2〜3 年住むのには向いていない国だった。人々が適当なのは良い面もあるが,仕事をする上では不便で,そのくせ彼らは自分の適当さを認識していないので逆ギレされたりする。それから Italiano がしゃべれないとほとんど何もできない。(外国人研究員を受け入れている部署の事務員が英語をまったく喋れないわけで,もちろん不動産屋も大体 solo italiano である。)まあ移民の国である ישראל は当然外来人の受け入れ体勢が整っているので,それと比較するのは酷かもしれない。しかしそれでもそれはそっちの都合である。共同体の外から人間を受け入れるのであれば,言語,というかむしろ文化が完全に違うわけであるから,それなりの仕組みを整えておいたほうが円滑にいくと思うのだけれど,この国の人々はどうやら仕組みではなくて個々人の人間性でなんとかしようとする傾向があるらしく,いろいろ大変だったなあという思い出しかない。最終的には,人間性の優れた数人の人間に完全に頼ってしまった。彼/彼女らにはとにかくお世話になってしまった一方で,それ以外の人間は一切信頼できなかった。仕事の上では,信頼できる人間とだけ関わればいい,というわけには行かないので,非常に不便だった。一方で生活そのものは楽しかった。半径 1km の世界でずっと生きていく上では最高の国である。いろいろな国民性があるなあ,とつくづく感じている。Magyarorság は果たしてどうだろうか?
まあそういうわけなので Italia で博士研究員をするのはおすすめできない,とはいえこれは個人の感想である。Roma にいた Y さんの意見も聞いてみたいなあと思っている。
先週末はお世話になった八百屋に挨拶に行き,昨日はお気に入りの pizzeria に行き,そしてさっき l'ultimo cena をお気に入りの osteria で済ませた。Bollicine, Bianco, Rosso, Passito, e anche Grappa, 結局 5 杯も飲んでしまった。明日の夜,寝台列車で Budapest に向かう。
Comments
みしょ 2019/09/24(Tue) 05:40:03
ちなみに彼女の名誉の為に追記しておくと,英語が喋れない事務員(秘書)の G さんはとても親切かつ有能で,italiano で意思疎通が出来るようになってからはありとあらゆることでお世話になった。問題なのは彼女ではなくて,人材を適所に配置できない「仕組み」の方である。彼女は仕組みの犠牲となって人間性の供出を強いられていたのだと思う。