本当は東北をダラダラと回って最終的に青森にたどり着くはずだったのだけれど,震災の影響で太平洋側の路線が滅びてたり,盛岡から秋田へ行こうとしたら秋田新幹線との並走路線で趣も何もなかったので花輪線を使ったりした結果,三日目には津軽線を乗りつぶしたり五月で廃線となる江差線を前方眺望したりすることになった。
江差線は,山中を天野川という川と並走して日本海へと突き抜ける,とても風光明媚な路線で,積もった雪とそれが融けた結果増水した川との対照が素敵だった。最後に日本海が眼前に拡がるさまも良かった。もちろん一方で,熊と鹿とキツネしかいないような山中をひたすら進むような厳しい環境であるから維持が困難なことも良く理解できた。
これで江差への交通手段が一つ消える。町の人の危機感は相当なもので,なんとか江差線を存続させようとして,廃線決定の前から「天の川」という偽駅を作って盛り上げようとしていたし,昨日も江差駅を発つ列車には観光協会?の人が見送りをしていた。廃線を知って訪れたいわゆる葬式系と乗り系の人々に,そのごく一部の人でもいいからまた来てもらえたら,という気持ちが,町の人たちの雰囲気から強く感じられた。廃線が五月の連休の後という珍しい時期なのも,そういう思いの結果なのだろう。
代わりに新幹線が来るらしい。津軽線の人里離れた土地に突然新幹線の高架が現れたときにはギョッとしたが,北海道新幹線の函館延伸はもう来年に迫っていたのだ。津軽半島にも奥津軽という駅ができ,北海道にも木古内と新函館という駅ができる。一方で江差線は切り捨てられ,津軽線もいずれはそうなるだろう。津軽線に乗っていたお婆さんに新幹線の話をしたらあまり嬉しそうな顔をしなかった。
新駅というのも微妙なものである。帰りは新青森駅から新幹線に乗ったのだが,新青森駅の周りには荒涼とした風景が広がっていた。周辺には商店もほとんど見当たらないので,新青森駅で人間が下車することは想定されていないということがわかる。六年前に来た時にはもうすこし色々あった気がするんだけど,あまりの変わりように昔の姿を思い出せなくなった。あとでInternetで確認しよう。まっすぐな線路と taxi 用の道路確保するために,周辺の構造を破壊したっぽい。空爆後の光景に似ていた。きっと新函館の辺りもそのようになるのだろう。とは言っても僕はその駅の予定地を歩いたことはないので,ただ空爆後の光景をまた見るのみである。
それで街は潤うのだろうか。新青森を犠牲にして青森は発展するのだろうか。便利になることは確かだろうが,それで潤うのは JR 東日本だろう。僕には,新幹線が,地方から都会へと賑やかさや富を吸い上げる straw のように見える。観光客は減り,出張客は宿泊日程を減らす。そして東京や札幌が儲ける。中央新幹線ができたら,名古屋の宿泊客数は減るのだろう。
資本主義とはそういうものである。そしてそれに拠らなければ全てが衰退してしまうということもわかっている。残念ながら資本主義の代替はまだ発明されていない。であればそれが most better であり,中央と辺境,資産家と貧乏人,高学歴と低学歴,の格差は拡がる一方なのだろう。
おととい行った花巻駅で,まわりに観光施設がなかったことに少し驚いた。宮澤賢治のふるさとだからなんかあるだろうと思ったけれど,それはみんな新幹線駅である新花巻駅の周りに作ったらしい。しかし新幹線に乗る人たちが新花巻駅で途中下車するのだろうか。もちろん,在来線の周りに作ってもそもそも旅客の絶対数がすくないので,どっちがいいかは微妙なところだろう。しかし,そのどちらの選択肢よりも,新幹線を作らない方が来場者数は多かっただろう。その場合はもちろん盛岡市の発展はゆっくりになるのだろうから,それはそれで困る。結局,集中する。
ところで,東北新幹線には Gran Class にも free Wi-fi がない。四年前に Köln と Paris を結ぶ Thalys という新幹線に乗った時には first class でも free Wi-fi があったので,日本は 4 年以上遅れていることがわかる。Software の面でのおもてなしはとても充実していたけれども,hardware が整備されていないことにはちょっと残念な気分になった。
Comments
KATOKATACHI 2014/05/01(Thu) 08:19:11
ログの公開、気づいてましたよ。だから何?って話ですが。笑 いや、ストーカー認定はできますね。。笑
Laki 2014/05/01(Thu) 15:37:24
気づいてたよっ
何か気づいたこと、得るものがあったらこの日記で教えて下さい。
みしょ 2014/05/02(Fri) 01:26:13
ちゃんと気づいてもらってよかったです。
Twitter を使う以前にも,ときどき書きたいことが生まれてきます。特に旅行中に多い。そういうときには,携帯電話からみしょ日記に投稿するようにしていた。2007年9月15日などが特徴的です。
Twitter もそれと全く同じなのではないか。「日記を書くための便利な道具」なのではないか。ということを考えた結果,「日記が自動的に push で流れてくるのは気持ちが悪い」みたいなところに達したのかもしれません。
見たいときに見に行く,毎晩巡回する,"pull" の日記で僕は満足だったのではないか。そんなわけで,Twitter の bio から diary へ link を貼って,みしょは日記を書いている,ということにしました。
みしょ 2014/05/02(Fri) 01:27:14
そういうわけで,昔と全く同じことをやっているので,特に得るものはないのかもしれません。
SNS が無いほうがものごとは simple な気がする。
はりねずみのもり 2014/05/04(Sun) 02:09:45
今は事情がよくなったけれど、以前は、パリの郵便局から荷物を送ると3つに1つが行方不明になって届かなかったり遅れたりしていた。なんでかわからないけれど、そんなことを思い出した。
みしょ 2014/05/04(Sun) 22:41:03
誰かにあずけた荷物が想定通りにきちんと地球上を移動するという想定は,人倫に悖っている可能性がある。