みしょのねこごや

Diary - 2007年12月

疲れた。

よのなかは3連休だったり駒場祭だったり土曜だったり日曜だったり12月になったりしたらしいけど,そんなことは全く関係ない生活。学校に行かないことがない生活がもう3週間目に突入した。

最後に鬱だったのは(日記を見ても分かるとおり)11月16日で,それ以来毎日学校に通っている。

精神的には結構落ち着いている。おそらくそれは早起きを始めたからで,最近は朝6時とか7時とかに起きている。

早起きのために精神的には良いのだが,しかしそれは即ちずっと勉強しまくってるようなものなので,肉体的にはとても疲れている。

なにぶん週2回(土曜と日曜)のseminarの予復習に加えて,最近は中間課題がやたらと出ているし,超対称性についての特別実験(卒業研究的な)もあるし,العربيةも段々難しくなってきたし。

疲れたけれども他に何もやることはないし,っていうか他のことをしている暇がないような気がしているし,つまり他のことをするだけの時間的精神的余裕が無くて。

今日も早起きして高速分子simulationの課題をやって,seminarをやってまた課題の続きをやって,そして素粒子物理学の課題に取りかかって,あぁ……疲れるわぁ。

まぁでもやりたいことだけやってりゃいいからそれはそれでいいのか。

精神状態は良いせいで肉体的には大変で疲れる。大変で疲れるけれども充実している。充実しているけれども追いつめられている。よく解らない状態。昨冬はこういう生活を続けていたらぷつんと糸が切れたんだけど,そういうような糸ももはや無いので,これはこれでいいのかもしれない。


↑何か鬱日記っぽいけれども単純に疲れているだけですwwww。

ただ死があるのみだよ。

『冷静と情熱のあいだ』問題 : Review

有名な小説『冷静と情熱のあいだ』の題名について,色々なところで議論されているのでその流れに乗ってみる。

その前に状況を整理しておくと,そもそもの発端は,こぐうす氏のAus der neuen Welt : 12月8日の記事に対するyssi氏の

冷静と情熱のあいだは、

冷静と情熱は対義語になってないから、あいだなんてあるわけないだろ馬鹿野郎。正しくは冷静と興奮の間だーーーー。

もちろんそうしない理由は分かるけれど、

ちゃんとした作家なら正確に言葉使わなきゃ駄目に決まってる、

なるcommentであった。

その後,Mephistopheles氏,たお氏,trb-es氏,ももちゃんなどにより議論が続けられており,Aus der neuen Welt 12月11日の記事およびPharmaxxxcoholic Nights(たお氏) : 12月11日の記事などへと繋がっている。見逃しているblog等あるかもしれませんがその時はお教え下さい。

議論の流れについては,「対義語になってないから不自然」(yssi氏) 「不自然とは感じない」(こぐうす氏) 「形容動詞形成の有無が違う」(yssi氏) 「英語では"Between Calm and Passion"は個人的には自然。名詞として対立させる分には慣用的に問題ない。」(たお氏) 助詞「と」の文法的な制約という立場で説明できるかと考えたが成果を上げられず。ほんとに違和感ない。」(こぐうす氏) 「熟語の成り立ちが違う。」(yssi氏) 「ほかの言語においては異なる品詞をつなぐことはかなり厳しく規制されているような気がします。」(koguus氏) という感じである。


『冷静と情熱のあいだ』問題 : 議論に対して

というわけで無事にまとめがおわったので,僕の意見を述べよう。

まずこれまでの議論に於ける問題点について考えると,第一に,問題提起自体に問題がある。yssi氏の問題提起は「対義語になってないから『あいだ』なんて無い」というものであったが,それは誤りである。自明な(けれどもやや不適切な)例としては,親指と中指の間には(5本の指的な意味で)人差し指があり,西日暮里と駒込の間には(山手線的な意味で)田端がある。

次に,名詞形動か名詞かの違いを指摘していたが,これもやはり問題がある。『冷静と情熱のあいだ』という標題が「正しい」かどうかは,文法的に正しいかどうか,および表現的に正しいかどうかの2点の問題である。表現として正しいかという問題についてはこの違いは当然問題とならない。

では文法的にはどうか。この文は体言と体言とを格助詞「と」の並列用法で接続し,そこに格助詞「の」の連体修飾用法を接続して体言「あいだ」を続けているのでこの点について問題はない。こぐうす氏の助詞「と」の文法的な制約として,並列用法を用いる場合には体言と体言とを並列しなければならない,という制約が(慣習的に)あるが,名詞も名詞形動もどちらも体言なので問題ない。

以上により,名詞形動と名詞との違い,すなわち「冷静だ」なる形容動詞は存在するが「情熱だ」は存在しない,という指摘は間違っていることが言えた。

更に議論は,日本語以外の諸言語の場合はどうか,という方向に向かっているが,これも余りにも馬鹿げている。上述のように文法的正当性が確認された以上,問題は表現として正しいかどうかに収束している訳だが,諸外国語での表現として正しいかどうかというのは,母語話者でもない限り容易に分かるものではない。日本語の表現として正しいかということを日本語母語話者が議論している中で,諸外国語について(判定が難しいにも拘わらず)わざわざ真剣に議論しているさまは滑稽である。

なお,このような手段は比較言語学的手法としては良く用いられる。しかしそれは,或る言語の表現と別の言語の表現とがどう関連しているか,という形でなされるのであり,或る言語の或る文が正しいかどうかの議論に他の言語を持ち出すことは,僕の知る限りあり得ない。

大体,Englishやらdeutschやらみんな色々勉強してきたんだから,それぞれの言語で表現方法が全く違うってことぐらい分かってていいハズなんだけどなぁ。


『冷静と情熱のあいだ』問題 : 答案

以上の議論を基に,この問題に対する答案を述べる。

まず本題『冷静と情熱のあいだ』は文法的に正しい。これは上述の通りである。

では表現としてはどうか。即ち,

  1. 冷静と情熱に対し,その『あいだ』を考えることが出来るか。
  2. 冷静と情熱に対し,その『あいだ』が存在するのか。
  3. 冷静と情熱に対し,その『あいだ』には何があるのか。

の3点を議論すれば十分であろう。

第1の点に対して考える上で大事なのは,この「あいだ」というのがどういう文脈にあるかということだ。例えば日本とU.S.A.の間には,地理的には太平洋があり,国際関係的には「国交」があり,条約としては「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」がある。では,この「冷静と情熱のあいだ」の「あいだ」とは何だろうか。これは小説の題名であるので,文脈は何も提示されていない。唯一関連づけられるとすればその本の内容であるが,僕はこの本を読んでいないのでどうしようもない。

しかしながら,小説の題名は,その読者(購買者)に最初に提示されるものである。読者は内容の前に題名を読む訳なので,必ず読者(購買者)はまず,この「どうしようもない」という状況で題名を理解しようとするはずだ。

そこで,まず「冷静と情熱のあいだ」の文脈を推量してみる。「冷静」というのは,「感情的にならずに,落ち着いているさま」,「情熱」というのは,「激しく高まった気持ち」。ここは如何なる文脈が介在しうるだろうか。答えはやはり「心」であろう。

つまり,「冷静と情熱のあいだ」というのは,「気持ち」とか「心」とかいう文脈で考えることが出来る。そして僕にはこれ以外の関連は見いだせない。というわけで結論。冷静と情熱に対し,その『あいだ』は,「心」とか「気持ち」とかいう文脈の下では考えることが出来る。

第2の点。冷静と情熱に対し,「心」とか「気持ち」とかいう文脈の下で,その「あいだ」は存在するのか。答えは簡単。存在する。なぜなら,「冷静」を「気持ち」という文脈で解釈した状態と,「情熱」を「気持ち」という文脈で解釈した状態とは,「落ち着いている」「激しく高まっている」という対照的な状態にあるからである。

第3の点。ではその間には何があるのか。これについては個々人により回答は異なるだろう。僕は「虚無」「空虚」としておく。


『冷静と情熱のあいだ』問題 : まとめ

そもそもの問題は,「冷静」と「情熱」という2つの単語の間に,心だとか気持ちだとかいった文脈を介在させずに議論しようとしたことにある。具体的な定義が与えられている理系語句とは違い,定義の与えられていない語句について考えるときには往々にして文脈が生じる。文脈の補間無しには,特に文学的な文書たる小説の題名は議論できるはずがないのだ。これが議論の方向性を失わせた。文脈の補間をしない状態では,問題は文法的な部分に収束させざるを得ない。少し考えれば(そしてまともな知識を持っていれば)文法的には問題が無いことは分かるはずなのだが。どうして斯くの如く長々と議論が続いたのだろう。

冷静と情熱のあいだには,空虚がある。勿論これは僕の結論であり,そもそも小説の内容を知らないので,内容から与えられる文脈に照らし合わせればだいぶ違っているだろうとは思うが,しかしあまり有名な作品は読む気にならない性分なので,今日はこのくらいで寝るとしよう。


付記

冷静と情熱のあいだ,という題名に対して違和感を感じるのは自然かもしれない。確かに単語の日常的用法は異なるからだ。

その違和感の上で(いわば強引に)上述のような解釈をし,「では何があるのか?」と気になって読む,というのが1つの道であるような気がしてきた。つまり先の(2)と(3)を小説の内容に求めるのであるが,しかしいずれにしても,自然言語の正しさをとやかく言う前に(1)を越えて(2)や(3)に進まないと,無意味な議論(議論のための議論)になるだけだろう。

鳥羽一郎→ドリフ→ガイル

「鳥羽一郎」のところ,本当は何て言ってるのか,気になる。

Canta per me,のあとに "ne addio"と後置する日々。

Coat

このcoatは,僕以上に色々なことを覚えているはずだから,あまり着たくはなかったけれど。

もう冬になってしまった。

夏はバカな記憶だらけ,冬は思い出すための思い出だらけ。

この時期は寒さのせいで,christmasに予定が入っている場合でさえ気が滅入っちゃうのに,いはんやchristmasに予定が無い場合をや。

寒い寒いwwww。

ちなみに今年のchristmasは予定が入ってます。なんかSUSYの講義があるらしいです。(ノ∀`)

はとおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお

はとおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお

忘れられた一羽のはとおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお


そういえば賞与みたいなものがでた━━━━(゚∀゚)━━━━!!

社長さん超太っ腹wwwwwまさに神降臨wwwwwwwwww

だ・か・ら

はとおおおおおおおおおおおおおおおおおお

はとおおおおおおおおおおおおおおおお

はとおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお


忘れられた一羽の

はとおおおおおおおおおおおおおおおおお

まったく……どいつもこいつも……しかもよりにもよってこの時期に……。

しかしまぁ世の中仕方ないことだらけ。

猫のいる家にしてよかった。毎日帰ってきたら猫がいる。いや,猫がいたりいなかったりする。いたりいなかったりするから猫は可愛いのです。


そして

はとおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお

事故死する夢を見た。自転車で,高い高いところから誤って転落。

やっと終わると思いながら,お気に入りの歌を口ずさみながら,落ちていった。

でも夢すらも終わらなかった。何とも無しに夢の中の日々は続いた。

今日1日そのことを忘れていて,そしていま布団に入ったときに思い出した。

まだまだ終わらないらしい。無意味な日々は続く。

今年も1人で明石家サンタ(6年連続・6回目)かなぁ……と思ってたけど,明日は教授の特別講義だから寝ることにしましょう。


と思ったけど結局最初から最後まで見てしまったwwww。来年も楽しみだwww。

あれ?ひぐらし第3期やるの?さらに映画化とか……(ノ∀`) アチャー

これは黒歴史flag立ちまくりだなwww

int 黒歴史flag = 1;……っとw。

Georgiは,普段はいい奴,時々ヤな奴。

Lie Algebras in Particle PhysicsのP.86(超選択則)の部分がよくわからない。何処がわからないかって, \(\{a^\dagger_{--},a^\dagger_{++}\}\) と \(\{a^\dagger_{-+},a^\dagger_{+-}\}\) とがそれぞれ独立に消える,というところ。「物理としてことなるから」と

……あ,ひらめいた!

わかった!わかった!

Go West.

0520のながら返しで西へ。普段は品川でも普通にガラガラだから甘く見てたけど,さすが帰省,東京駅でほぼ半席です。

これは静岡接続がつらそうだ……。


で品川で満席wwwwww帰省ヤバいwwマジでヤバいw。

ながら返しの中でよく寝たのだけれど,静岡接続で失敗して2時間立ちっぱなしだった。帰省やばいwまさに日本民族の大移動です。

仕方がないので豊橋で1本ずらして寝ることにしました。


名古屋

というわけで久しぶりの名古屋。1128着。9ヶ月ぶりかな。名駅周りがだいぶ様変わりしていた。

いつものお気に入りの味噌カツ屋「叶」(@栄)で昼御飯。年末だから開いてないかな,と思ったけど,年末年始も31日・元旦・2日以外は営業してるらしい(昼食のみ)。すごい!ありがたい!感謝!

味噌カツは相変わらずの外見と美味しさ。幸せでした。

そして(栄から)大慌てで名駅に戻り,伊勢市行きの電車(名古屋1230発)に飛び乗る→即爆睡。


伊勢市

伊勢市。14時過ぎに着。駅前は何もないww。まるで僕のよく知っている大分県南部の市のようだったw。

まぁそれはともかく,伊勢の神宮に参拝。外宮げくう内宮ないくう に分かれているらしく,当初は「閉門が17時だから,3時間で両方はいけないなぁ……」と考えていたのだが,3時間で結構ゆったり参拝できた。博物館が年末休業だった,って理由もある。開いてたら行くことになるから,3時間じゃぁ到底すまない。

外宮は豊受大御神。なんかよくわからないけど,とにかく歴史があった。だって1300年もずーっと同じことしてるんだZE?停滞もここまで来れば歴史の重みになる。停滞と伝統との転移点がよくわからない……。それゆえ自分の中では「なんかよくわからない」状態。

正宮に正対したとき,なんとなく北を向いているような気がして,「宮殿が北向きにあるの?」なんて不思議に思ったのだけど……よく考えたら,僕が北を向いているってことは宮殿は南を向いているってことで,ってことは何も問題ないのだ。確かに実家の神棚も南を向いていた。

それから,「げくう」「ないくう」のように「宮」の字を清音で読むのはどうしてなんだろう,と気になった。漢音ってことなんだろうか。言語学に詳しくないのが残念だ。

あ,あと,いわゆる「式年遷宮」について,正宮と別宮とで位相が逆だったのが気になった。つまり正宮は現在右側に鎮座しておられ,別宮は左側に鎮座しておられた。何でだ?


内宮は天照大御神。自然がいっぱいの森の中。太くて高い木がたくさん。川のせせらぎ。環境がすばらしかった。

隅っこのほうに,安産やら縁結びやらの「子安神社」があって,そこに木の鳥居が絵馬みたいな感じでたくさん置かれてあったのが印象的だったw。この子安神社は,何かと噂の木華開耶姫命を祀っているところで,そりゃあ効き目もあるに違いない。というわけで僕もしっかり参拝してきました。縁を結ぶような相手もまったくいませんが(ノ∀`)アチャー ってか物理やってるとどうしてもそうなるよね?……ね?(to: 素研M0の皆様)

神宮の外側に,「おかげ通り」っていう商店街があって,なかなかにぎやかだった。でも残念ながらぐっと来る食べ物は見つからなかった。噂の赤福の建物もあったが,営業していなかったのでみんなそこで記念撮影をしていた。買おうと思ってたのに……w。

というわけで、外宮はおよそ1時間、内宮は往復のbusも込めておよそ2時間半で、比較的ゆったりお参りできました。


ちなみに三重県には「なばなの里」という有名なお花畑的観光施設がある。そこに行ってみようか,とも思ったが,そういうところは一人で行くものじゃないような気がしたのでやめたw。我ながら賢明な判断だったwwwww。

またの機会に誰かと一緒に行きます(/▽\##……誰とだよ(´・ω・`)


鳥羽☆イチロー!

その後,鳥羽一郎→ドリフ→ガイル→地球終了のお知らせ,で有名な鳥羽市に行ってきた。1750着。

って「鳥羽一郎」ってマジで鳥羽市出身なんですねwww。いきなり駅前の高層建物に「鳥羽一郎紅白出演おめでとう!」みたいな垂れ幕が下がってて噴いたwww。若者の間でも大人気ですよ。なんという鳥羽一郎wwwwwwww。

鳥羽市は臨海の市で,僕が行ったときにはもう夜だったので海は見られませんでしたが,海と星がなんともきれいでした。なかなかromanticな公園もあって,イルカがlight upされていました。「なばなの里」に行った後で行くならここだと思いますよ。ちょっと遠いけどw。

まぁ僕はromanticな王様ではないので,ってか真っ暗でさびしいので,1819の電車で北に戻りました。


その後

それから松阪市に行って(1903着)、夕食(なぜかトンカツ)を食べて、徳和駅に行って(20:20着)徳和駅から30分程度歩いて、showerのある漫画喫茶に到達。そして今この日記を書いてるわけです。

それでは寝ます。おやすみなさい。

Walk.

ニコ動の就寝用BGMを聴いていたら,「時をかける少女」の主題歌が流れて,昔を思い出して切なくなった。そして2時の時報に起こされたw時報ウザスwwwwww。

何はともあれ4時半に漫画喫茶を発ち,徳和駅へ。午前4時の街並み,3kmの道。いい感じ。

今日は,新宮に向かいます。


新宮

電車の中で御来光。天照大神さま。

新宮0850着。あまりにも寒いので駅でうどんを食べる。朝ご飯。

そして取り敢えず速玉大社へ。弥生代の信仰巨岩の下から銅鐸→銅鐸祭器説の証みしょ手帳より相変わらず「漢文が読めるようになりたいなぁ」とは思うもののどうしようもない。来年度の言語は中国語にしようかしら。

浮島の森は時間の都合で訪れず。残念だけど駅から近いのでまた来る機会があるだろう。

そして熊野に向かいます。今回は熊野古道が中心なのです。熊野川が綺麗です。


覚え書き/16時8分,大日越2番を通過。次は3番。


同18分,3番通過。


同30分湯の峰温泉到着。


熊野古道

熊野川は本当に綺麗でした。水はemerald-greenで,岸の砂利は真っ白で,そして空は今日も青かった,みたいな。どうしてあんなに白いんだろう?石灰岩系の何か……ではないか。不思議。

熊野までは1時間。1130頃着。まずめはり寿司を食べた。あれは確かに目を見張るw。

そして熊野本宮。縁結びの神様(第5殿)に賽銭を投げたら弾かれたwww(ノ∀`)アチャー どうしろとw。そのあと宝物殿。展示の量は少ないけど見せ方が工夫されていて良かった。黄金……!


そして熊野古道を少し歩くことに。まずは京から白浜経由で本宮に向かう道「中辺路」の最後の3km(逆行)。本宮大社→祓所王子→三軒茶屋跡→伏拝王子(和泉式部供養塔)。

「熊野古道とは言っても実際はそれなりに整備されてるから歩きやすいんだろw」とか思ってたら,結構な山道。整備された登山道って感じだった。3kmに90分かかっちやったZE☆ 途中にある展望台からは旧社地の大鳥居が,伏拝王子からは本宮方面が一望できた。。素晴らしい眺め!

そして中辺路を離脱して一気に山を下り,道の駅奥熊野に。高度280mから40mまでを700mで下る……何というθ=20°……!


道の駅でお土産を少し買って,busで本宮まで戻る。1510着。そして「もうで餅」なるお土産を,茶屋で食べた。美味しかったのだけど……よく分からない。少し高かったし,つきたてのため4日しか保たないらしいので買わなかった。


旧社地の大鳥居を経て,大日越へと向かう。本宮から湯の峰温泉に向かう3.4kmの道のり(逆行)なのだけど,これがヤバかった。高低差300mを道のり700mにより登る,tanθ=0.4,θ=23°。1歩で30Cm登りますよと。しかも時刻は16時過ぎ,太陽は稜線のすぐ上。日が没しちゃうと本当に遭難確定だし,携帯も通じそうにないようなとこだったのでかなり焦った。3回ぐらい引き返そうかと思ったw。上の方にある覚え書きは,遭難時用です。もし途中で何かあったらあれだからw。

いずれにせよ日没が近かったので,本気で山越え。300mの高低差を40分で終えました。足腰鍛えてて良かったZE☆

大日越は本当に古道って感じでした。山道に他ならない。800年前と殆ど変わってないんじゃないかな。お薦めです。


湯の峰温泉

湯の峰温泉には1630着。なんか公衆温泉があったので入ってきました!まさに温泉郷,風情もあってとても良かった。大日越→温泉,の旅程はカンペキ!!

時間がなくて温泉玉子を食べられなかったのが残念だった。1709のbusで湯の峰温泉から新宮駅へと下る。

でも本当に熊野は素晴らしいところだったので絶対また来る!自然と文化と温泉とがここまで並立調和している観光地は他にないんじゃないかな。文化と温泉で言えば日光とか石見銀山とかの例はあるけど,でもやっぱり熊野には負ける。温泉街も3つあるし,何たってworld heritageだし,それに熊野古道!まさに完備。Cauchyも収束だZE☆


和歌山

そして一気に新宮から紀伊半島を半周して和歌山へ。本当は白浜にも行きたかったけど時間と電車と宿泊場所が合わず。

和歌山では若者が賑やかだった。まぁ年末年始だしね。ふらっと入ったラーメン屋が美味しかった。ネギ!

和歌山は繁華街が駅から遠いのかな?牛丼屋が見当たらなかったのが何とも。

そして和歌山に宿泊です。

阪和線

今日は,和歌山から大阪を経由して,京都へと向かいます。ってことで旅は和歌山でおしまい。


と言うわけでもはや今年も終わるので,今年を振り返ってみる。

今年の年明けは別府温泉で迎えた。1月4日の誕生日には,何故か原因不明の風邪を引いて,とても色々辛かった。これが今年の沈降の始まり?

でも実は全ての始まりは昨年12月に理学部海外渡航企画の選考に漏れたことだった。この選考漏れが原因で,同じく選考漏れした某N君(笑)たちと,場の量子論・Peskinのseminarをすることになった。

そのseminarが2月から始まり,その過程で(生物物理/生物情報ではなく)素粒子論に進もうという決心が付いた。そうなると自分の物理/数学知識の不足を感じて,院試勉強もしなきゃいけない,みたいにして焦ってた。

そんなこんなで,2月前半までの(とても楽しかった)日々から,一気に相転移してしまった。もっとうまい解はあったはずだろうけど,当時はこれしか選べなかった。後悔が半分ぐらいあるけど。

3月はそれで鬱々しながら,一方でPeskinのseminarを頑張ったり,東北一周や北陸飛騨旅行をした。


4月に入ってPeskin seminarが休憩になって,それなりにのほほんと過ごしていたのだけれど,上述の通り院試への焦りに加えて,別れたことで精神的に荒廃していたこともあって,4月末に第2の相転移があった。それ以来circleには顔を出していないし,そういう気ももうない。いい機会なのでこの相転移を以て区切りにすることにした。

それからゴールデンウイークから夏休みにかけてひたすら鬱になりながら,院試対策やらPeskinやらで過ごした。真っ暗な毎日だった。


夏休みは毎日学校に通い,控え室でみんなで院試勉強をした。そして9月上旬に院試があった。総研大と東大,どちらも素粒子(理論)。少なくともどっちかには受かっただろう,なる手応え。

それから9月中旬に北海道旅行。稚内とか根室とか。下旬には沖縄と鹿児島に行った。帰省中に東大の合格を知り,一安心。


10月以降はM0として,院生のseminarに参加させてもらったり,M0のみんなとseminarしたり。週3回のseminarは大変だがまだ継続中。

11~12月中旬にもう一区切りあって,でもそれは今年じゃないので詳しくは触れない。

12月以降は精神的にもようやく落ち着いてきた。年末はかくのごとく三重と和歌山。伊勢と熊野に旅行して,今年は京都で家族と年越し。


結果的に2つの相転移によって現在の自分の立場,すなわち素論M0として勉強のみに集中している状態があるわけで。そういう意味では上手いこと作られている1年だった。渡航企画の落選がなければ素論への進路決定・合格も別れもなかったわけで,それなりに因果関係が成立している。不思議。

ちなみに今年はアラビア語と生物情報を頑張った。アラビア語は普通に読めるようになったし,生物情報も全ての単位を取って修了した。うん,それなりに頑張った1年だ。


来年のことは鬼が笑うので言わない。今は23時53分。平安神宮で年明けを待っている。

すげえwwwwww千人ぐらいいるwwwwww。

というわけでまた来年。ばいにー☆