2月23日
いろいろやっています。
昨日新しい論文を投稿して,一方ではいつも自分が使っている論文取得 tool を heprefs という名で公開したりしました。ついでにこの website も,11 年前に作ったいい加減な perl script で動いているので,public な static CMS を使って書き換えたい。11 年というのは長くて,当時はいわゆるガラケーから日記を書いたりしていたけれど,今では携帯電話の回線を共有してどこからでも computer から書けるようになった。時代の進歩というのは恐ろしい。
あとはなんですかね。Ruby を廃絶して Python(と C++ と Mathematica)に全てを集約しようと思った矢先,Go += Versioning の概念が出てきて強力に Go に引き寄せられている,とか,curling 惜しかったねーとか,やっぱり 1 位というのは 2 位 3 位とはかけ離れた場所だなあとか,4 月に河口湖でやる花見の準備をしないとなあとか,こういう動きが出るのはそうとういいことだなあとか,いろいろありますね。
そういえば英語論文執筆のために arXiv からの例文検索サービスを作った話というのが出てましたね。これそうとうすごいことだと思うんですけど,これが何を意味するのかって,本来素粒子物理の人たちが使っていた arXiv がついに機械学習周りの人たちに膾炙した結果としてこういう 3rd party tools が生まれたということなんですよね。逆に言えば,これまで 20 年間,素粒子物理の人たちは何もしてこなかったということですね。
こういう 3rd party tools (上述の heprefs も含めて)を作るのってだいたい完全に趣味なんですけど,どうして作るのかを改めて考えてみると,「自分にとっての不便を解消したい」みたいな気持ちがある。もちろんみんなそういう気持ちは持っているはずだけれど,同時に「自分は世界をよりよく作り替えることができる」ということを知っているかどうか,みたいな分水嶺がある気がします。たとえば heprefs も,それだけだとただの downloader に過ぎないけど,これを terminal-share と組み合わせて簡単な shell script を書けば,xget 1802.07720 | airdrop だけで,Mac から iPhone や iPad に論文を送れる。あるいは(Mac 版の) Powerpoint で VBA を組めば,Powerpoint 中に書いた ATLAS-CONF-2014-037
みたいな文字列に自動で当該文献への hyperlink を埋め込むことが出来る。これもホントは公開したいんですけど,Windows 対応しないとあまり意味なさそうなのと,security risk が若干あるのとで,まだ出来ていない。
よく見るといくつかの思想が背後にあって,それはもちろん『伽藍とバザール』みたいなところに収まってるんですが,大事な二つのこととして「自分は自分の不便を解決できる」「単機能のものを作り込んでそれを組み合わせて大きなことを実現する」という概念が,21 世紀になって,広がってきてると思うのです。
最近,仕事と private で,Chatwork と Slack を両方使ってみてるんですが,やはり Chatwork は日本の利用者が多い一方,Slack は世界中で使われている,この違いは大きい気がします。「Chatwork bot」と「Slack bot」で検索した結果が 10 倍ぐらい違うということは,ざっくりいって,Chatwork 比で Slack には十倍の「善意の改善」が注がれていることを意味するわけで。Chatwork も完成度は高いし blog を見る限りでは色々な改善もやっているっぽいんですけど,やっぱり世界中の利用者が改善をどんどん投げ込んでいく Slack に比べると見劣りするというか。
Software engineering をやった人間は,「与えられた世界をよりよく作り替えていく自由」の味を知ってしまっているので,「与えられた世界で生きていく」みたいな束縛は耐えられないと思うんですよね。いちおう Chatwork も GAS に対応してるっぽいのでそれっぽいものを作ろうかと考えてはいるのですが,Slack なら先人の知見がたくさんあるし,なんなら欲しいものが既に存在しかねないのと比べると,4 ヶ月前にようやく webhook に対応した Chatwork は,まだまだ獣道を進んでいるような感じがあります。
いろいろ考えると,30年ぐらい前?に arXiv を始めた人たちというのは,たぶん世界をよりよくしていこうという強くて大きな善意があったような気持ちになる,実際に論文誌の open access への移行を加速したのは arXiv という発明のおかげで,その結果として世界の知の進歩速度は飛躍的に増したと思うんです。でも今は,そういう革新的な善意の人たちは,物理ではなく computer science,とりわけ機械学習周りに行ってしまったのかなあ,という気持ちになっています。もちろんこれは,CS 周りの人たちはお金があるから時間的にも精神的にも余裕があって,かつ OSS 利用や開発参画の経験があるから良さを良く知っている,みたいな差があるんでしょう。
他にもいろいろ考えていることはあったんですけど,忘れてしまいました。Twitter を使っていた頃は Twitter に書いていたんですけど,やはり書かないとわすれちゃいますね。とはいえ Twitter に書いたらそれで満足してしまってこういうまとまった形で残らないわけで。
まあ,忘れていくのが life っぽくてよさそうです。