9月28日
終わりを終わりと認識できることというのは案外少ないので,認識できる終わりを大切にするようにしている。
צל אביב の「いつもの」ラウンジ「だった」場所でこれを書いている。
空港の広告の文言がすべて理解できるようになって,3 年というのは長かったのだなと感じたのがついさっき。
いつものように手荷物を全部検査される。いつものように security には行列ができている。(しかも贖罪日から逃げる世俗人間のせいでいつもより多い。)
חיפה から空港に向かう taxi の中で,沈む直前の下弦がずっとついてきていた。彼は ירח であって月ではない,というのはなかなか理解してもらえないのでは無いか。「月の沙漠をはるばると」というやつだ。
ありとあらゆる最後を,最後の 90 分に詰め込んで,本当の最後の 30 分は大家の夫婦と過ごした。最後の料理は凄惨なものだったのであとで例のところに書く。
今日は時差ぼけのせいで早く目が覚めたので,手紙の下書きをして,(本当は昨日で全部終わらせるはずだったけどやり忘れていたことが 3 つもあったので=鍵を返し忘れた,など) טכניון に行きをやって,Italia 大使館に vista を受け取りに行き,甘えラーメンを避けた結果の最後の THE BUN でうどんと味噌クレマキャラメレを食べ,いつものだった חוף で פרי שייק とともに夕日が沈むのを見て,なぜか最後に新しい router の設定をして,荷物を詰めて,日本で買ってきた便箋に手紙を書いて,最後のもろもろをしていた。
よく考えたら月曜日は日本に居たはずで,というか先週末は新幹線に乗っていて,というか先週は木曜日まで台北に居たはずなんだけど,もう Italia に向かおうとしている。
1 ヶ月あまりしゃべっていなかった עברית も普通にしゃべれたし,よくがんばったんじゃないだろうか。
たとえば家の近所の丘には今回の(69 時間の)ישראל “生活”では行けなかったので,最後の丘,というのはいつのまにか過ぎていたことになる。
日常的に何度もやっていたことが突然断絶するのはこういう生き方の面白いところで,とりわけ最後の半年間というのは(3 年前に日本を発ったときも同じだったけれども)全てに対して緊張感を持って行動するようにしている。その結果として精神的に非常に不安定になっている。でもそれも含めての「良さ」なんだと思う。
その不安定さのせいでとりわけ人間関係をやっていくのは難しい時期なので,いろいろあった各位はそういうものなのだと諦めてもらいたい……。
莫大な労力を用いて終わらせたので,次はまた莫大な労力を用いて始めなければならない。Re: zero というアニメのことを思い出す。こんなに楽しい生き方は他にそうそう思いつかない。