曜日の概念を喪失してしまった。
ってか、明日も学校に行く気まんまんだったし。
よく考えたら、11日連続で学校に行ったんだなぁ。なんか100日ぐらい連続で行けそうな気がする。ってか行ける。
今日は,家でダラダラ過ごすのはダメだよね,と,佐伯市の図書館まで行って来ました。
自習室があればいいなぁ,なんていう微かな希望と,たまってしまったZ会の添削問題とを持って。
で,行ってみると,自習室はありませんでしたw。館内での勉強は禁止らしいですし,せむかたなし,ってやつです。
ってことで,しかたなく(?),大好きな南木佳士の『冬への順応』(『ウサギ(冬物語)』は借りられてた。残念。)を読んで,犯罪心理学を勉強して,マイコンの構造勉強して,相対性理論を勉強して,アントニオ・ガウディの話を読んで,と,とっても有意義な時間を過ごしました。
ってか,犯罪心理学は相対性理論と同じくらい難しいです(*_*)……いや,単に,相対性理論はずっと昔から勉強してたから犯罪心理学が難しく見えるんだろうけど。
で,そんな「勉強禁止」な館内で,鶴城の3年が勉強してましたw。たくさん。
ってことで,今日はそれについてちょっと書こうと思ったのです。
まず,彼ら(彼女ら)は,「勉強禁止」という張り紙のついたテーブルの上で勉強しているのです。もうね,馬鹿。あさまし。驚き呆れる。
鶴城高校の自習室では,「飲食禁止」と言われているのに飲食をしている人たちもいますが,それよりもハイレベル。ノートのすぐ隣に注意書きがあるわけですから。
ボクは別に,ルールを厳守せねばならないと考えている訳ではありません。必要なルールは守るべき,不要なルールは無視すべき,不正なルールには違反するべき,と考えています。
ルールには,そう定められる理由が存在します。
その理由は,実際上の理由や,社会通念という理由,Lawgiverの独断など様々で,その理由を考えることでそのルールへの対応も分かります。
上記の「飲食禁止」というルールの制定理由は,飲み物をこぼしたり,食べこぼし,或いは咀嚼音により,自習室の清潔・静かな環境が崩れることを危惧したものだと考えられます。
つまり,個々人でそれらのことを注意すれば,そのルールは不要であり,無視してもよい,とボクは考えます。
食べたら後でそこを掃除する,飲みこぼしたら雑巾で徹底的に清掃する。咀嚼音を立てないように注意する。
今回の図書館における「勉強禁止」の理由は,「読書をする空間の確保」だと考えられます。
一般に図書館ってのは,本を読むための席があまり多くないものなので,なんか鶴城の3年が図書館を占拠しているように見えて,いやーんな感じ。
本を見つけたら,次に席を探さなければなりません。
他の人が読書をしていて席がないのなら問題はありませんが,勉強をする学生により席がふさがれているのは不快です。
あるいは,彼らは「勉強をやっているから良い」と考えているという可能性も考えられます。
というのも,学校空間に於いては「勉強しろ」と繰り返し言われるので「勉強をやっているから何をやっても良い」という誤解が生じやすいものです。ボク自身,時々そのような誤解が頭の片隅をよぎります。
しかし,そのような妄想はせいぜい学校空間の中で信じられているだけであり,地域社会がそのようなことを許すとは考えられません。
特に,図書館の係員は,そこで読書をすることの方を我々高校生に望んでいるように思います。
あのような行為は鶴城の名を貶めるものである,ということに気付いてもらいたいものです。
図書館で自習をしたいのなら,図書館(あるいは佐伯市)に対して,自習室の開放を求めるのがスジってものでしょう。
そのような要求があれば,(特に高校生の学力低下を懸念する佐伯市は)きっと開放してくれるのではないでしょうか。
まぁ,平日は鶴城高校の自習室が開放されているし,ボクは土日はこれから毎週予定(コンクール・模試・模試)が入っているので,ボクにとってはどうでもいいのですが。
さて。明日も図書館で相対性理論について勉強してきます。
ネコは十二支のお祭りには呼ばれないそうてす。
でも、たとえ呼ばれたとしても行かないでしょうね。
ボクもたぶん決して行くことはないでしょう。
なんだよw
市立図書館には自習室がしっかり準備されてるんじゃんよーw
んじゃそこ使えよってw
というわけで,これから,学校が開いていない日はそこに自習に行く予定。
とは言っても,9日,30日,31日だけだけどw
あ,お盆も学校は閉まってるのか?それじゃあ図書館だな。
今日は,吹奏楽部のサマーコンサートを聴きに行って来ました。
ボク達の学年の部員にとっての最後の演奏会,ってやつです。5回目の演奏会(のはず)になります。(ボクが聞きに行くのは4回目)
吹奏楽部の演奏は,ボクにとってはいつも流れているBGMみたいなものでした。
ボクは春休みとか夏休みでも学校に行って勉強だとか生徒会だとかしてます(ました)し,放課後も残って勉強してますので,いつも聴いてたんです。
そんな演奏が今日で聴き納めになるっていうのは,やっぱ寂しいです。
最後のアンコールでは,「青春だなぁ」と,しみじみと趣深く感じました。(あはれがりき。)
とにかく,お疲れさま,ってのが全てです。
ちなみに,サマコンに行く前は,図書館で相対性理論の証明を読んでたのです。
そうなると言われているから証明も頭にすっと入ってきますけど,アレを思いついたアインシュタインはすごいなぁ,と。
で,サマコンが終わってからは,(そのまま自転車で帰るにはToo Hotだったので)図書館で,1週間後のコンサートの課題曲となっている「憾」を作曲した瀧の伝記を読んでました。
彼の生き方を知ることで演奏のヒントになるのではないか,という安直な発想w
で,7時から,白井先生のサロンで,研修演奏会。
……緊張しまくりw。足が動かなくてペダルが濁りまくり。
演奏はズタボロでした。緊張に弱い奴なんです,昔から。
で,それはそうと。その演奏したピアノってのが,Bechsteinってピアノらしいんですけど,音がすごいw。あんなピアノ初めてw。
そして,白井先生を含めた,4人の「音楽のプロ」(w)から講評を頂きました。
非常にすばらしい体験w。
で,精神的に極度の疲労感(模試終了後の比じゃない)に見舞われて。仕方がないので,帰ってからは数学をずーっとしてました。iに癒されますね。(ぉぃぉぃ
8月6日。
さて。先日,白井先生のサロンで弾かせていただいたピアノは,Bechsteinではなく,Bosendorferというウィーンのピアノらしい。
どうやら,Bechsteinより(ピアノとして)すごいらしいw
……って,価格もすごい……。
ってかね,受験生ですよ。はは。
受験生ってことは,恋愛とか出来ないわけですよ。
でも,夏は人間にとっての発情期ですよ。(生物学的に)
大変です。どーしましょう。
ってことで,心理学勉強していて良かったなぁって帰結です。
青年心理学と恋愛心理学の知識を総動員してますw
某英和辞書より。
radium ラジウム(放射性元素;赤色または白色でサラダ用)
今日は葉っぱの日、母の日、ばばあの日、パパの日、八百屋の日、…これくらいかしら?
ってか暴風域?
何も言わずに,掲示板の[115]の記事にレスして下さい。
あうぅ。
潔く、格好良く、
それをすることによって自分の価値を失いたくない。
でもその過程であいつらを愚者とみなして、馬鹿とみなして、心の平安をたもつしかできない。
はうぅ。
彼らも正しくないとは思うけど、今回はボクも正しくなかった。
予め電話をして聞いておけば良かっただけのこと。情報収集に落ち度があった。
はうぅ〜(*_*) 今日はコンクールだぁ〜!!
瀧廉太郎……。
スタインウェイをフリューゲルで音の泉ホールの音響の中で……。
どきどき。楽しみ。
えーっと,瀧廉太郎記念のピアノコンクールで,2位になりましたw
自分では,絶対に入賞するハズはない,と,MUST NOTで否定してたことなので,びっくり。
表彰式を見ないでバスで帰るつもりだったし,カバンは一杯にしていたし(賞状とか楯とか入れられなかった)
ホント,びっくりです。
あしたは雨です。はうー。
ってか,生まれて初めて表彰されましたw
さて。今週末に行われる,東大実戦模試の為,今日から福岡に行ってきます☆
2泊3日しないと受けられないってのが辛いところですよ。ふぅ。
まぁ,来週の東大OP模試は大分でも開催されるからいいんでふけどね。
ってか,あれですよ。先日の瀧廉太郎のコンクールの入賞。
道を歩いていて,おめでとうって言われたのには参りました。はふ。
電車から見る踏み切りは、いつも閉まっている。
恐怖と憐れみを感じた。
こうも憐れな人が多いなんて…。
ボクも含めて。
いやぁ〜,甲子園ってのは,感動しますねぇ〜。
いーとーまきまき いーとーまきまき ひーーーて ひーーーて とんとんとん
東大即応OPで岩田高校に来てます♪どきどき
マシューさんとH氏に会えた〜☆
今日は親の車だったからあまり話せなかったけどw
明日はバスだからね〜♪ゆっくりできるにゅ。
明日こそは日田のS氏を発見したいものでふ。
ボクは,小学校教育によってバカになったと思う。
幼稚園の頃までは,もっと独創性とか,何かを創るっていう能力が高かったような気がする。
今,テレビで,子供たちに未来像を描かせるって奴やってるんだけど。
自然が破壊されて砂漠になるとか,資源が無くなって暗黒の世界になるとか,
逆に自然と人間とが共生して生きる未来とか,緑あふれる未来とか。
こういうのはダメだと思う。
それより,虹が出たらみんな空を飛べるようになる,って絵があったんだけど,そっちの方が,ボクは好き。
ボクは,小学校の頃は,今ほどの思考能力もなく,善悪判断に対して自己内での基準を持ってなかった。
そんな中,道徳,平和,平等,友達,の名の下に,様々な価値観を植え付けられた。
「○○をするのは悪いことなんですよ。」
「とりあえずごめんなさいって言いなさい。」
「日本はアメリカに原子爆弾を落とされ,たくさんの人が死にました。あの悲惨な戦争を繰り返してはいけません。」
最後の1つについて補足。
低学年の頃は,原爆のことだけを聞かされた。高学年になって,日本が外国にしてきたことを教わるようになった。
どうして全てを平行に教えないのか。
低学年の頃は,確かに分からないかもしれない。でも,その2つを並列に教えることが重要なのだ。
善悪判断の基準が抱けていない段階で,様々な価値判断の基準を植え付けられ,バカになったような気がする。
正しいはずのことを,間違っている,と思っている人が居ます。
正しいと思ってるのに,間違っている,と言ってる人が居ます。
前者は尊重され,後者はバカです。
#原文では,「後者は死ぬべきです」になってました。
物理をやってたら26時半になってしまった。はうぅ。
今日の話は,昨日の日記とも2mmぐらい関連する話。
「汝,殺すなかれ。」
この文脈は,現代の日本の死刑制度にも適用されるべきだ。
今日,(今は27時だぴょん),大阪地裁で宅間被告に死刑判決が下された。
しかし,彼の殺人は,「自分の命はどうでもいい」という決意の下に行われたのではないか。
このような決意があるならば,現在の資本主義を支配している「等価交換の論理」を以てすれば,殺人を犯す正当性が導き出される。
そして,その殺人を犯した結果,死刑に処されることになったとする。
その判決は,「等価交換の論理」に基づいてはいないかもしれない。
しかし,彼は,「等価交換の論理」を感じるに違いないだろうし,彼以外の人の中にも,その論理を感じる人が居るはずだ。
「自分の命はどうでもいい」という決意を持った人が,「現行の社会制度(死刑)に等価交換の論理を感じた」場合,どうなるか。
これは,「社会が『等価交換の論理』を認めているので,『他人の命もどうでもいい』のだ」という結論に至るのである。
「汝,殺すなかれ。」
例えどんなに極悪なものでも,殺してはならない。
日本も,死刑を廃止して,終身刑を導入すべきだろう。
そう,「汝,殺すなかれ。」は,『定義』なのだ。
死刑と終身刑のどちらが残虐か、即ち生命と自由のどちらが本質か、という問題に直面した。
なんか,平成教育委員会 夏休みスペシャルってのがあるらしいんですが。
つまり,解けってことなんでしょうね。
ってことで,解いてみました。
とりあえず,ボクの答案は「過去の日記」の2003年8月30日の所に書き込んでおきましたw
ってか国語難しいぜw
え?夏休み終わり?……ってか,夏休みなんてあったっけ?
えーっと,今日は,「へぇ」について書こうと思ったんですが。
ってか,なかなか興味深い結論に辿り着いたから書きたかったんだけど。
でも,世界陸上のマラソンと,地理の宿題(真面目にやりすぎました(=計画ミス(=だらしないw)))のせいで不可能にw
その上,20cm超級の蜘蛛が出現して。で,蜘蛛を追い出せプロジェクトが発動して。
ってかね,これが大変だったのよ。
まず,昨日の25時頃,蜘蛛が出現(居間の戦い)。妹は薄情なので助けてくれない。
仕方なくフマキラーとホウキと物差しを持って殺戮を試みるも(30分),台所に逃げられる。
で,今日の24時52分,同蜘蛛と再遭遇(階段の戦い)。みんな寝てるので援軍無し。
ってわけでフマキラーとホウキと物差しを持って,とりあえず追い回してみる。
(注:殺戮してしまうと死体処理が大変。ボクには出来ないw。昨日は妹が起きてたんだけど。)
で,奴が網戸に張り付く(14分)。素早くボクが奴を窓と網戸の間に封印。よって終了。
しかし閉じこめられた姿があまりにグロテスクなのと,今日の世界陸上で日本選手が2〜4位を独占したのとで,大陪審は特赦を決定(違)(18分)。
懐中電灯とホウキと物差しを持って,奴を端っこに追い立て,素早く網戸をOPENして窓をCLOSE。そして懐中電灯を用いて,奴を網戸の開いている方に誘導。直後,蜘蛛落下(23分)。
以上,プロジェクト完了。総所要時間,約1時間。
戻る(B)
You can't link this page from yours without my permission.
【このページへ直接リンクするときは美翔に必ず連絡してね】
MioDIARY Version 3.00