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	<title>みしょのねこごやDiary</title>
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	<description>みしょ～の日記です。東京大学の大学院生（物理系研究科・素粒子論専攻）の日常生活や，その中で感じたこと，考えたことなどをつれづれ～と綴ってます。</description>
	<dc:creator>みしょ</dc:creator>
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<item rdf:about="http://www.misho-web.com/diary/201803.html#Diary19">
	<title>2018年03月19日</title>	
	<link>http://www.misho-web.com/diary/201803.html#Diary19</link>
	<description>父が死んでいた。 明確な宗教規準を持たず，しかも色々なことをまず批判的に検討してしまう習性がある僕は，血縁や婚姻に基づく家庭の概念に...</description>
	<content:encoded><![CDATA[
<p>父が死んでいた。</p>
<p>明確な宗教規準を持たず，しかも色々なことをまず批判的に検討してしまう習性がある僕は，血縁や婚姻に基づく家庭の概念についてよく理解していない。したがって，父の死そのものをどう位置づけて良いのかよくわからずにいる。その上，Italia に住んでいるという物理的距離，父との最後の会話すら思い出せないような心理的距離もあるのか，死自体にあまり実感が無い。とは言っても，これは（帰省中に死んだので通夜にも葬儀にも出席した）祖父の死と同様なので，そもそも実家を出て遠くに転居した時点で，家族というのは僕にとっては既に死んでしまった存在なのかもしれない。</p>
<p>ちょうど木曜日から 2 週間 vacation ということになっていた。土曜日の午後，家でだらだらしているときにその報せを受けた。Padova から大分への航空便を調べたけれど，葬儀に間に合わないことは確実だったので，すぐの訪日はしないことにして，予定通りの vacation を過ごすことにした。これはとても幸いなことで，たとえばこれがギリギリで通夜に間に合うとかだったら，行っても行かなくてもその選択について悩んだのだろう。というわけでいまは Bologna でこれを書いている。当初から 4 月に佐伯に行くことは予定していたので，ちょうど四十九日がそのあたりになりそうであるし，その後の訪韓・帰国の予定を再調整して，相続とか家とかの問題を処理していくのだろう。</p>
<p>死んでしまった人間のことはあれこれ考えても仕方がない。というかそういうことは後から自然と思い出されるに任せればよくて，とりあえずは生きている人間のことを考えるのがいい。そうなるとまずは <a href="https://en.wikipedia.org/wiki/Holmes_and_Rahe_stress_scale">SRRS</a>，ということで<a href="https://fureairoom.com/life-events-and-stress/">夏目の scale</a> で計算してみると，ただでさえ引っ越しで負荷がかかっているのに親族の死が加わってついに 317 点となってしまい，今後半年の間は完全に危険域に入ることとなった。点数はともかく，これらの諸事象は慢性的・無意識的に心身への負荷となる，ということをはっきりと経験的に理解しているので，これは大変なことになった，という感じである。まあそれでも，距離の離れている（しかも家庭の概念を理解していない程度の関心しかない）僕はまだ負荷が低いのかもしれない。母も妹も弟もたぶん通常の感受性と価値観を持った人間なので，ちょっと保守作業が必要かなぁという感じがしている。</p>
<p>結局のところ，自分の機嫌は自分でなんとかするしかないし，自分の精神状態は自分で調整するしかない。躁鬱病と酒依存をこじらせて死んでしまった父を鑑みても，過去の自分の経験を省みても，その結局をやっていくしかない。というわけで母も姉弟も各位なんとかやっていってほしいなあぐらいの感じである。</p>
<p>こういうときは，原因がハッキリしているときはそれを取り除き，あるいは（<a href="https://www.misho-web.com/diary/201710.html#Diary11">半年前の家探しのときに家が見つからなければ退職すると決めた</a>ように）ものごとの deadline を設けて原因を有限期間に縮小したりする。原因を取り除けないのであれば精神科で精神安定剤を処方してもらって脳機能を縮小するのが手頃だろう。処置に失敗したときには死あるいはそれに類するものに至る，というのは，脳卒中とか心臓病と似たようなものなので，まあ当然のことである。10 年前に鬱病になる以前は，そういったことを理解していなかったので，例えば飲酒前後の（化学的な）気分の変化を普段の（精神的な）気分の変化と峻別できなかったために今から思えば相当不安定だったけれども，一度やった後はそういうことも少なくなった気がする。少なくとも，一ヶ月規模の鬱状態というのは，昨年秋のものが 10 年ぶりだったはずだ。そして，300 点を超えたことで，まあ一年以内には再び似たような状況に陥るのだろう。やっていくしかない感が極まってきている。睡眠薬はともかく，精神安定剤を自己判断で飲むのはさすがに難しいので，こっちで精神科の準備をしておいたほうがいいのかもしれない……。</p>
<p>しかしこの日記もなかなかいい精神安定法になっている。17 年前に書き始めたときには思いもよらなかったけれど，public な日記というのは便利なものだ。&quot;homepage&quot; というのも同様に，18 年間存続したのだから今後も死ぬまで有るんじゃないか，ぐらいの落ち着きがある。SNS みたいな揮発性の高いものが主流になってしまったのは色々と損失だったんじゃないかなあ。</p>

<hr />
<p>あともう一つは，生きる動機みたいなものも自分でなんとか用意するしかなくて，そういう意味で，退職した後に何をするかというのは現代日本人の大きな問題なんじゃないかという気がしている。旧民法の家制度がなくなってしまっただけでなく，血縁を前提にした家族というのも移動と長寿と都心集中のせいで非現実的になってしまい，家族の概念を代替する何かがまだ用意できていない。原発も鉄道も年金も素材産業も官僚機構も綻びがはっきりしてきた国において，人の一生もやはり綻んでいたのだな，と感じている。</p>


	]]></content:encoded>
	<dc:date>2018-03-19</dc:date>
	<dc:creator>みしょ</dc:creator>
</item>
<item rdf:about="http://www.misho-web.com/diary/201802.html#Diary23">
	<title>2018年02月23日</title>	
	<link>http://www.misho-web.com/diary/201802.html#Diary23</link>
	<description>いろいろやっています。 昨日新しい論文を投稿して，一方ではいつも自分が使っている論文取得 tool を heprefs という名で公開したりしました。つ...</description>
	<content:encoded><![CDATA[
<p>いろいろやっています。</p>
<p>昨日新しい論文を投稿して，一方ではいつも自分が使っている論文取得 tool を <a href="https://github.com/misho104/heprefs">heprefs</a> という名で公開したりしました。ついでにこの website も，11 年前に作ったいい加減な perl script で動いているので，public な static CMS を使って書き換えたい。11 年というのは長くて，当時はいわゆるガラケーから日記を書いたりしていたけれど，今では携帯電話の回線を共有してどこからでも computer から書けるようになった。時代の進歩というのは恐ろしい。</p>
<p>あとはなんですかね。Ruby を廃絶して Python（と C++ と Mathematica）に全てを集約しようと思った矢先，<a href="https://research.swtch.com/vgo-intro">Go += Versioning</a> の概念が出てきて強力に Go に引き寄せられている，とか，curling 惜しかったねーとか，やっぱり 1 位というのは 2 位 3 位とはかけ離れた場所だなあとか，4 月に河口湖でやる花見の準備をしないとなあとか，<a href="http://twitter.com/NH_M_/statuses/966602683615506432" class="TwitterLink">こういう動き</a>が出るのはそうとういいことだなあとか，いろいろありますね。</p>
<hr />
<p>そういえば<a href="https://ichiro-maruta.blogspot.it/2018/02/arxiv.html">英語論文執筆のために arXiv からの例文検索サービスを作った話</a>というのが出てましたね。これそうとうすごいことだと思うんですけど，これが何を意味するのかって，本来素粒子物理の人たちが使っていた <a href="https://arxiv.org">arXiv</a> がついに機械学習周りの人たちに膾炙した結果としてこういう 3rd party tools が生まれたということなんですよね。逆に言えば，これまで 20 年間，素粒子物理の人たちは何もしてこなかったということですね。</p>
<p>こういう 3rd party tools （上述の <a href="https://github.com/misho104/heprefs">heprefs</a> も含めて）を作るのってだいたい完全に趣味なんですけど，どうして作るのかを改めて考えてみると，「自分にとっての不便を解消したい」みたいな気持ちがある。もちろんみんなそういう気持ちは持っているはずだけれど，同時に「自分は世界をよりよく作り替えることができる」ということを知っているかどうか，みたいな分水嶺がある気がします。たとえば heprefs も，それだけだとただの downloader に過ぎないけど，これを <a href="https://github.com/mattt/terminal-share">terminal-share</a> と組み合わせて簡単な shell script を書けば，<kbd>xget 1802.07720 | airdrop</kbd> だけで，Mac から iPhone や iPad に論文を送れる。あるいは（Mac 版の） Powerpoint で VBA を組めば，Powerpoint 中に書いた <code>ATLAS-CONF-2014-037</code> みたいな文字列に自動で<a href="http://cds.cern.ch/record/1735199">当該文献</a>への hyperlink を埋め込むことが出来る。<span class="Note">これもホントは公開したいんですけど，Windows 対応しないとあまり意味なさそうなのと，security risk が若干あるのとで，まだ出来ていない。</span></p>
<p>よく見るといくつかの思想が背後にあって，それはもちろん<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%BD%E8%97%8D%E3%81%A8%E3%83%90%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AB">『伽藍とバザール』</a>みたいなところに収まってるんですが，大事な二つのこととして「自分は自分の不便を解決できる」「単機能のものを作り込んでそれを組み合わせて大きなことを実現する」という概念が，21 世紀になって，広がってきてると思うのです。</p>
<p>最近，仕事と private で，Chatwork と Slack を両方使ってみてるんですが，やはり Chatwork は日本の利用者が多い一方，Slack は世界中で使われている，この違いは大きい気がします。「Chatwork bot」と「Slack bot」で検索した結果が 10 倍ぐらい違うということは，ざっくりいって，Chatwork 比で Slack には十倍の「善意の改善」が注がれていることを意味するわけで。Chatwork も完成度は高いし <a href="http://blog-ja.chatwork.com/">blog</a> を見る限りでは色々な改善もやっているっぽいんですけど，やっぱり世界中の利用者が改善をどんどん投げ込んでいく Slack に比べると見劣りするというか。</p>
<p>Software engineering をやった人間は，「与えられた世界をよりよく作り替えていく自由」の味を知ってしまっているので，「与えられた世界で生きていく」みたいな束縛は耐えられないと思うんですよね。いちおう Chatwork も GAS に対応してるっぽいので<a href="https://github.com/misho104/hep-bot-chatwork">それっぽいものを作ろうかと考えてはいる</a>のですが，Slack なら先人の知見がたくさんあるし，なんなら欲しいものが既に存在しかねないのと比べると，<a href="http://blog-ja.chatwork.com/2017/11/api-openbeta.html">4 ヶ月前にようやく webhook に対応した Chatwork</a> は，まだまだ獣道を進んでいるような感じがあります。</p>
<hr />
<p>いろいろ考えると，30年ぐらい前？に arXiv を始めた人たちというのは，たぶん世界をよりよくしていこうという強くて大きな善意があったような気持ちになる，実際に論文誌の open access への移行を加速したのは arXiv という発明のおかげで，その結果として世界の知の進歩速度は飛躍的に増したと思うんです。でも今は，そういう革新的な善意の人たちは，物理ではなく computer science，とりわけ機械学習周りに行ってしまったのかなあ，という気持ちになっています。もちろんこれは，CS 周りの人たちはお金があるから時間的にも精神的にも余裕があって，かつ OSS 利用や開発参画の経験があるから良さを良く知っている，みたいな差があるんでしょう。</p>
<hr />
<p>他にもいろいろ考えていることはあったんですけど，忘れてしまいました。Twitter を使っていた頃は Twitter に書いていたんですけど，やはり書かないとわすれちゃいますね。とはいえ Twitter に書いたらそれで満足してしまってこういうまとまった形で残らないわけで。</p>
<p>まあ，忘れていくのが life っぽくてよさそうです。</p>


	]]></content:encoded>
	<dc:date>2018-02-23</dc:date>
	<dc:creator>みしょ</dc:creator>
</item>
<item rdf:about="http://www.misho-web.com/diary/201801.html#Diary25">
	<title>2018年01月25日</title>	
	<link>http://www.misho-web.com/diary/201801.html#Diary25</link>
	<description>例の computer がようやく先週届いた。それでもなお（たぶん研究所の規則で） computing center の人に set up を頼まなければならず，彼らが Debian に慣れ...</description>
	<content:encoded><![CDATA[
<p>例の computer がようやく先週届いた。それでもなお（たぶん研究所の規則で） computing center の人に set up を頼まなければならず，彼らが Debian に慣れていないということでその set up に 1 週間かかり，ようやく昨日その computer が手元に届いた。自分で set up して root password を彼らに伝えるだけなら 4 時間で済んだのに……と思うとなかなか渋い気持ちになるが，まあ規則なのでしかたがない。</p>
<hr />
<p>しかたがない，ではあるのだけれど，これまでの国々と比較するとちょっと興味深いことが見える。つまり，</p>
<ul>
<li>真面目に規則を作って，真面目に（くそ真面目に）運用する日本</li>
<li>真面目に規則を作って，雑に運用する Italia</li>
<li>雑に規則を作って，雑に運用する ישראל</li>
</ul>
<p>どの手法が「現代的」か，つまり新自由主義基底の資本主義に合っているか，というと当然 ישראל のやりかただし，一方で真面目に規則を作ると既得権益は守られるのだろう。</p>
<p>日本と Italia の比較からは，「親切な無能は善か悪か」みたいな価値観の差が抽出される。たとえば街で道を聞かれて，知らないけれど親切に対応して不正確な道を教えることと，知らないからスッと断って去って行くのと，どちらが<strong>より</strong>善良か，という話。哲学的あるいは Christianism 的に重要な話なんだろうと思う。</p>
<p>とはいっても，僕の「仕事」に関わってくるんだったらやっぱり親切な無能は無能だから排除したいよなあ，悪だよなあ，というのは間違いない。無限に任期があれば別なんだろうけど，僕の（「仕事」に費やす）時間はかぎられているので。</p>


	]]></content:encoded>
	<dc:date>2018-01-25</dc:date>
	<dc:creator>みしょ</dc:creator>
</item>
<item rdf:about="http://www.misho-web.com/diary/201801.html#Diary10">
	<title>2018年01月10日</title>	
	<link>http://www.misho-web.com/diary/201801.html#Diary10</link>
	<description>注文していた computer が，注文から 3 ヶ月経ってようやく届いたけれど，customize が注文通り為されておらず，仕事にはまったく使えない程度のもの...</description>
	<content:encoded><![CDATA[
<p>注文していた computer が，注文から 3 ヶ月経ってようやく届いたけれど，customize が注文通り為されておらず，仕事にはまったく使えない程度のものだった。</p>
<p>このせいで，或る project が 3 ヶ月間全く進んでいない。やはり研究をしたいのであれば Italia には来るべきではない。Postdoc のみなさんはお気を付けください。</p>



	]]></content:encoded>
	<dc:date>2018-01-10</dc:date>
	<dc:creator>みしょ</dc:creator>
</item>
<item rdf:about="http://www.misho-web.com/diary/201801.html#Diary04">
	<title>2018年01月04日</title>	
	<link>http://www.misho-web.com/diary/201801.html#Diary04</link>
	<description>ついに 100000 歳になってしまって，老年だなあという気分になっている。あまり健康には自信がないので，持続可能性に頼らない生活をしていかね...</description>
	<content:encoded><![CDATA[
<p>ついに 100000 歳になってしまって，老年だなあという気分になっている。あまり健康には自信がないので，持続可能性に頼らない生活をしていかねばならない。</p>
<p>まだ冬休み的なやつなので大学に行かなくて良いということで（そして誕生日だったので）近所の ristorante に行ってきた。昼食で EUR 70 というのはなかなかだけれども，夕食と同じ piatti だったのでまあそんなものだと思う。Fior d'Arancio の passito という概念を知れて良かった。近所なのでまた来ようと思う。まあ詳しくはあっちに書く。</p>
<p>近所の caffè だとか近所の ristorante/osteria だとかから思いつくのは，<a href="http://kaiteki.hateblo.jp/entry/2018/01/02/171654">快適ちゃんの最近の文章</a>だろう。と言っても実は Manuel Castells の本をまだ読んでいないし，彼の文章自体が現実の一つ上の層の言語で書かれているし，そもそも背景知識を全く持っていないので<span class="Note">（社会学わりと避けていた）</span>よく理解できていないのだけれど，最近 Twitter について感じていたことと繋がっているような気がしたので，書き初め代わりに少し書いてみようかと思っている。現実の一つ上の層の言語で書かれた文章を現実の層へと引き戻すこと，への挑戦である。<span class="Note">（どうやら僕の認知は微分幾何学の「引き戻し」の概念を持ち出しているみたいですが，しかし微分幾何学のことはもう忘れました。）</span></p>
<hr />
<p>社会学の主張について社会学の枠組で考えても社会学にしかならないので，現実の生活，たとえば昨日の僕の生活について考えてみる。</p>
<p>体調が悪かったので<span class="Note">（というかまだ優れない）</span>昼頃起きて，近所の caffè でいつものように cappuccio を飲んで，人気の panino 屋で昼食を食べ，大学に行って秘書さんと事務手続きについて話して，研究室でひたすら論文を書いて（共有の dropbox に &quot;commit&quot; して，共同研究者に e-mail を送って），19 時頃に帰路についた。帰り道で<span class="Note">日本のアニメ関連のものを売っているお店で</span>饂飩と蕎麦を買って，近所の supermercato で食料品を買って，近所の pizzeria で pizza をつまんで，帰宅して少し仕事をしてから寝た。</p>
<p>（同僚が誰も出勤していないことを除けば）わりとよくある一日なのだけど，この生活と彼の記述とはどう関わるのだろうか。</p>
<hr />
<p>そもそもこの一日のなかに彼の言う「ローカル空間」が存在しているのかが怪しい。一見，近所の caffè だとか supermercato というのは「ローカル空間」に見えるけれども，それすら怪しい。そしてどうやら，人気の panino 屋というのも「ローカル空間」ではなさそうだ。</p>
<p>例えば昨日の caffè では論文の計算内容について考えていたので，Mac を開いて原稿を眺めていた。これで「ローカル空間」に僕が存在しているのかというとそうではなくて，どうやら僕の意識はその原稿の存在する「或る空間」に存在したように思える。<span class="Note">（あとにでてくる「職業共同体空間」のこと）</span>それ以前に重要な問題があって，僕はまだ l'Italiano がほとんどしゃべれないので，近所の caffè に来ている他の客と会話することが非常に難しい。<span class="Note">もっとコミュ力のある人なら力強く適当に会話しているのだろうけど，そもそもあまり雑な会話が得意ではないので，言語能力が不足している状態で雑な会話をするのは僕には無理なのだ。それゆえに色々な言語を使えるようになった，という側面もある。</span>だから，他の人たちと違って近所の caffè を近所の caffè として（未だ）使えてはおらず，それゆえそこは（未だ）「ローカル空間」ではない。</p>
<p>近所の supermercato というは，多分それよりももっと「非ローカル」だ。というのもその supermercato は他の supermercato で代替可能だからだ。一見，現実の「物」を買っているように見えるけれども，それすら怪しくて，例えばそれが「僕の空腹を満たすことができる情報」に変わったとしても，僕はそれで満足するのだろう。したがって相当に仮想的な存在であり，「ローカル空間」と言えるのか怪しい。人気の panino 屋というのも，単に「人気の panino を食べた」という情報を買っているだけなのかもしれない。そしてこれは言語に関係なく，おそらくその supermercato なり panineria なりに来ている人の多くに当てはまる。それを例えば「近所の市場」に置換したところで議論は変わらない。街の中に「ローカル空間」というのが存在するのか，怪しくなってくる。</p>
<p>次に大学に向かって秘書と話をしたのだけれど，これは「ローカル空間」のように見える。一般に職<strong>場</strong>は代替可能でないし，仮想的でもない。最近では遠隔地から仕事をするというのが出来るようになったけれども，それなどは仮想空間の中に「ローカル空間」が存在しているように見えてくる。<span class="Note">と，ここまで書いて，もしかしたら僕の抱いている二項対立（あるいは後に出てくるはずの空間の階層構造）というのは，彼のいう local/global の対比とは独立の構造なのかもしれない，という気がしてきた。だとすれば彼の記述とは独立のことを書いていることになり，それはそれでいいし，それなら彼の二項対立を理解できていないことになる（そしてあまり興味がないことになる）。</span></p>
<p>しかし残念ながら昨日は同僚が誰もおらず，従って一人で仕事をしていた。そうすると，そこは「ローカル空間」なのだろうか？確かなのは，USA と ישראל と Italia という地球上の各点を別の空間で接続した「仮想的な職場」で仕事をしていた，ということで，それが local なのか global なのかというのはよく分からない<ins datetime="2018-01-06T23:24:31+09:00">が，以下の議論に従うと「ローカル」になる</ins>。</p>
<hr />
<p>彼の文章では「グローバル空間」のことを定義的に &quot;space of flows&quot; と述べている。多分 spaces でないといけないはずなのだけれど<span class="Note">（仮に the space だとしたら僕の理解とは異なる概念になる）</span>，その空間に flows のみが存在しているならばそれは「グローバル空間」だということになるんだろう。</p>
<p>そうすると僕は「グローバル空間」で仕事をしていることになる。というのも，僕の仕事は，論文または講演，という形でしか表現されないからだ。そしてそのどちらも，情報の flows である。<span class="Note">正確に言えば，たとえば一緒に昼食に行く，とか，雑談／議論をする，だとかも仕事のうちだけれどそれは論文または講演のためにある付随的な仕事にすぎない。</span>重要なのは，論文または講演を「出力」しないと，その空間に僕は存在していないということになる，という点で，「出力なしに存在可能か」というのが global / local の境界であるように感じている。</p>
<hr />
<p>ここにいくつかの空間が立ち上がる。「仕事場」としての大学 (local)，物理学業界という「仕事が行われる空間」(global)，代替可能な店の総体としての「街」，いわゆる third places としての「社交場」である caffè (local <span class="Note">であるはずだが僕はまだそこに「行って」いない</span>)，そして the first place である「自宅」 (local)。もうすこし正確に言えば，「仕事が行われる空間」というのにも二種類あって，共同研究者と Internet を通じて構築された「仮想職場」（<del datetime="2018-01-06T23:24:31+09:00">global だけど</del><ins datetime="2018-01-06T23:24:31+09:00">おそらく</ins> local ）と，論文が産生される「職業共同体」(global) というのがある。これらは独立に存在しているけれども，<span class="Note">多様体の各点を同一視するみたいな思想で眺めれば，というのも僕の認知が数学的な意味での「空間」という単語に引きずられているせいで，</span>実空間（三次元空間）のいくつかの点で接合しており，僕はそこを行ったり来たりする。</p>
<p>つまり僕の一日というのは，「家庭空間」を出て，自宅の玄関で一旦「街空間」へと乗り換えて，近所の caffè に行った。そこは「社交場空間」と「街空間」の結節点なのだけれど僕は「街空間」側にとどまった。あるいはそこで Mac を開いて「仮想職場空間」を訪れた。そして街空間上にある panineria に行って昼食を食べ，大学へ向かった。大学の玄関で「職場空間」(local) に行き，秘書と話をした。その後は共同研究者の<strong>いる</strong>「仮想職場空間」へと移行した。仮想職場で仕事をしている間は，さらにその上にある「職業共同体空間」の flows を受信していた。そして職場空間，街空間，と一つずつ階梯を降りて，自宅空間へと帰ってきた。</p>
<p>というように，階層構造を為す空間群という観点から彼の記述を理解するのが適切だと考えている。</p>
<hr />
<p>ところで，彼の文章に<q>フローとしての生活</q>という句が出てくる。まあこれはお題目であって，すなわち（現代文の問題みたいに解けば）<q>その時々に置いて自分に都合の良いローカル空間を選んで生きる，ということ</q>なのだけれども，そもそもそういう生活をしている人がどれくらいいるのか，というのが怪しい。多くの生活というのが実はすでに spaces of flows の中で営まれているのではないか，という気がする。</p>
<p>もちろん，日本を出て ישראל に行き Italia に行き，という僕の生活は，例えば公務員だった両親の生活と比べると，global 度が高い。具体的に言えば，両親の仕事は「職場空間」でのみ行われていたはずで，「職業共同体空間」は存在しないように思う。あるいは，言語や慣習の違う土地で暮らすことは，（caffè の事例のように）「local 空間」<q>と再結合して「ふつうの生活」を再構築すること</q>を困難にする。更に言えば，単身で生活しているので，「家庭空間」というのがほぼ無になっている。もっと極端に &quot;Globalization&quot; 以前に立ち戻れば，例えば自動車の無かった時代というのは（移動ができないために商店すら代替可能でなかったゆえに）ほぼ全てが「local 空間」であっただろう。祖父母（の若い頃）の生活（たとえば染め物屋）を想像しても，やっぱり全てが local だったような気がする。</p>
<p>この三者，つまり僕と両親と祖父母，の間には，二種類の globalization が存在している。まず，ほぼ全てが local であった祖父母の時代と比較して，両親の生活では「移動革命」によって「街空間の global 化」が進展している。そして両親と僕とを比較すると，「情報革命」によって「仕事の global 化」が進展している。ここで更に（並行している）家庭空間の縮小を付け加えることもできるだろう</p>
<p><q>フローとしての生活</q>とは何か，と考える上で，「フローとしてではない生活」を考えてみると，それはおそらく引っ越しをせずにずっと同じ場所で暮らす，ということか，あるいは「職場空間 (local) のみで完結する職業」を営む，ということかのどちらかであろう。前者について考えてみると，しかし，地域共同体の活動量が低下し，あるいは街空間というのが global 化してきていることを考えると，「引っ越しをせずにずっと同じ場所で暮らす」という生き方ですら，<q>フローとしての生活</q>となりつつあるだろう。一方で後者だとするなら，それは人類進化の上で避けられないことに見える。</p>
<hr />
<p>以上の見方をとって，僕はようやく，<q>グローバルなマネーフローや人の動きや企業活動が，グローバル空間をただ飛び回るだけで，それらの諸資源がローカル空間，すなわち現実の社会経済行動が行われる現実空間と結びついていかない</q>という記述が理解できた。<span class="Note">なにげに快適ちゃん二種類の読点つかってるね</span>つまり，<q>現実空間</q>がもはや local から乖離して flows として存在している，「local な現実空間」というのが縮小してきている，ということじゃないの？という気がしている。<span class="Note">まあよくわからない。</span></p>
<p>絶対的に local であり続ける空間として，「家庭」（とあとおそらく「職場」も）があって，あるいはその辺縁にある「地域共同体」や「近所の caffè 概念」も local 性を強く帯び続けているとおもうのだけれど，（global 化しつつある）「街」とが乖離しつつある，と言い換えることも出来ると思う。<span class="Note">知らんけど。</span>というかそもそも金銭って local 空間に結びつくんですかね？ Global 空間にしか存在しないんじゃないのかしら？</p>
<hr />
<p>いやそういえばそもそも「日本は遅れてる」についての話でしたね。でも，色々な国で生活していると，別に日本は遅れてないんじゃないか，という<del datetime="2018-01-06T23:24:31+09:00">気がしない</del><ins datetime="2018-01-06T23:24:31+09:00">気がする</ins>んですね。たぶんこれ<ins datetime="2018-01-06T23:24:31+09:00">（「日本は遅れている」という言説がでてくること）</ins>は，現実空間というのが global 化したせいで，現実空間同士が比較可能なものになった，ってことだと思います。（なんで突然敬体になってるんだ？）</p>
<p>遅れている，進んでいる，というからにはそれらは比較可能でなければならない<span class="Note">（大小関係が定義されていなければならない）</span>けれど，例えば大正時代の日本と中世 Italia とでどっちが遅れているか，みたいな問いには誰も回答できないはずで，もうすこし問いを小さくして「男女平等の観点は」とか「宗教観は」とかにしてようやく答えられるんじゃないかと思う。しかしそれでも「差異」であって「優劣」にはならないだろう。</p>
<p>結局，たとえば僕が台北の自転車事情を見て「進んでいるなあ」と感じるというのは，台北での生活が東京での生活と代替可能なものになった，あるいはもう少し丁寧に言えば，台北の自転車事情が東京にそのまま導入できるほどに両都市の暮らしが似通ってきた，ということである，と考えている。たとえば僕が חיפה 出身の人間で，חיפה と台北とを比較したとしたら，べつに「遅れている」とは思わないだろう。なぜかというと， חיפה は山しかないので，坂道しか無くて，自転車を導入しても何の意味も無いからです。</p>
<hr />
<p>結局，個人としてどう生き<strong>う</strong>るんでしょうか。重要なのは local 空間に根ざして生きられるか，ということだと思います。というのはなぜかというと，「僕」というのは<strong>僕にとって</strong>代替可能でないからです。つまり自我というのは，あるいは家庭というのは絶対的に local であるから，個人として生きるというのは local 空間に根ざして生きることと同値なのです。</p>
<p>というのは丸パクりだけど，「local 空間に根ざして生きる」とはどういうことなのかをきちんと考える必要がある。きちんと，というのは「具体的に」ということで，<span class="Note">（学振の応募書類を書くときに指導教員たちに「具体的に」と百万回ぐらい言われたように，具体的に書かないとお金はもらえないのです。）</span>たとえば supermercato で買い物をするのは「local 空間に根ざして生きる」ということではないけれど，それでも supermercato に行かないということは考えにくい。Supermercato を「local 空間」に引き戻すことが可能か，というと，そんな方法は考えつかない。</p>
<p>ひとつ考えつくのは，先ほどの「近所の caffè」の例である。「近所の caffè」は global 空間と local 空間の接点であり，つまりどちらの空間にも存在する。つまり，「近所の caffè の global 側面ではなく local 側面に行く」ということは可能だし，それが「local 空間に根ざして生きる」ということの一つの具体化なんだと思う。</p>
<hr />
<p>たとえば ישראל には synagogues （というか בתי כנסת）があって，そこは完全に local 空間であるから，ישראל の「人々」は synagogue に行くことで「local 空間に根ざして生きる」ことが出来る。あるいは יהודים というのは（宗教のゆえに）「家族」という概念が非常に大きくて 40 人ぐらいが「家族」の概念になっているので，もうそれだけで十分な気がする。</p>
<p>Italia のことはまだよくわかっていないけれども，これだけ caffè が乱立していると，caffè というのが「local 空間に根ざして生きる」ということと強く結びついているのは間違いないだろう。</p>
<p>では日本は？と振り返ると，よくわかりません。まあ東京とそれ以外とでは全く違うのでしょうが，なにしろもう 3 年以上「住んで」いないので，いろいろ忘れてしまいました。まあ僕にはあまり関係ないことですから置いておきましょう。</p>
<p>というかもう日本のことよくわからないんで，「日本ダメだ論」もよくわからないし，特に関心もないですね……。</p>
<hr />
<p>ところでこれまでの話のなかで Internet についてはあまり触れてこなかった。</p>
<p>実は当初，年始の書き初めとして「なぜ Twitter をやめたのか」について書こうと思っていて，数週間前からいろいろ考えていた。その途中で快適ちゃんの文章を読んで，やっと「なぜ Twitter をやめたのか」が言語化できるようになった。というわけでここまでの文章は全部前置きです。そんでこっからが本編なんですが，もう前提を全部説明してしまったので，速を上げて書きます。</p>
<hr />
<p>結局 Twitter が global 空間になったから使う理由がなくなったのです。</p>
<hr />
<p>Internet というのは単なる技術であって，そしてその上にたくさんの「場」が存在している。</p>
<p>「場」としてまず（僕のような老人が）思いつくのは，CGIあるいは IRC の chat room で，そこは確実に local 空間である。たとえば chat をしていて，知らない人が書き込んだら「新しい人が<strong>来た</strong>」というように，「居る」「来る」「落ちる」という表現が使われるのは，local 性の表れなんだと思う。もちろん chat room では「発言＝存在」であり，つまり出力なしに存在できないので，それは（定義上は） flow 空間である。のだけれど，実は chat room は「出力せずに存在できる」，というのも「いつもの member」みたいな概念があって，あるいは flow が無くても &quot;ROM&quot; (read only member) という概念が（かつて）あって「ROM してんじゃない？」みたいな表現があって，したがって local 空間なのだ。Caffè あるいは地域共同体が local であるのと同様に local なのである。みんなが居るいつもの chat room でなければならなくて，代貸不可能な local 空間である。</p>
<p>反対側の端に Facebook がある。Facebook は明白に global 空間である。Facebook にいる，来る，とは言わない。Facebook は Instagram や mixi と代替可能である。というのも，それらの全てにおいては個人は情報として集積されているだけで，あるいは flow が流れ続けるだけで，もちろん出力なしに存在できないので，そこは flow 空間である。さらに「Facebook にみんな居るよ」みたいな表現が不可能なことからも，明らかに local 空間ではない。</p>
<hr />
<p>Twitter というのは当初は「みんなが居る」場所であった。つまり local 空間であった。もちろん「みんな」をみんな知っているわけではなくて，日本人が 1000 人以上いるうちの 100 人だとか 200 人だとかしか知らなかったのだけれど，それでも他の人も含めて「みんながいる場所」として使っていたように思う。</p>
<p>転機となったのはいくつかある。第一に，ヒウィッヒヒー時代，つまり広瀬香美が Twitter を初めたことによって「現実の影響力に基づいた発信」というのが行われるようになったこと。広瀬香美は僕にとっての「みんな」の中に含まれていない。<span class="Note">理由はわからない。</span>丁寧に言えば，現実の影響力に基づいた発信が Twitter 空間全体を貫き，駆け巡り，Twitter 空間全体を照らし出したことによって，Twitter 空間というのが複数の local 空間に分離したことが明白になった時代。この頃の Twitter は，Twitter のなかに local 空間があって，その local 空間に外部からの flows が流入してくる（<strong>受信</strong>できる）場所であった。</p>
<p>第二の転機は RT の導入である。「RT が Twitter をダメにする」みたいな言説は当時大流行で，なんとなく僕もそんな気はしていたのだけれど，まあそれはよくある「変化への抵抗」みたいなやつで，当時の言説を僕はよく理解していなかったし，あるいは今見返して正しかったと思うのかすら怪しい。しかし，今思うに，RT というのは「local 空間に外部からの flow を流入させること」そのものであり，したがって導入によって「外部」の存在が制度化された。制度化されることにより「local 空間」と「外部」とが<strong>送受信</strong>を始め，最終的に local 空間が global 空間へと発展した。つまり globalization が起きた。この頃の Twitter は 1 つの global 空間があって，その上に個人が存在していた。</p>
<p>最後の転機は東日本大震災であった。これによって，多くの人々が Twitter に流入し，あるいは global 空間というのが現実と一体化した。Twitter が他の SNS と代替可能になった。</p>
<hr />
<p>今の Twitter は，発信なしに存在することができない。さらに，現実と同様に，「現実の影響力に基づいた発信」だとか「影響力を高める工夫のされた発信」だとかが増えてしまった。広告代理店の手法で「お化粧」された発信が取り沙汰され，流れ込んでくる，そういう SNS を利用することは，<q>local 空間に根ざして生き</q>ることではないし，そもそも個人の代替可能性を前提としている以上，自我に対する挑戦であるように見える。</p>
<hr />
<p>あとこれは何度も書いてるんですけど， Twitter によって「発信」していると，まとまった文章を書く気が無くなるんですよね。でも Twitter の発信というのは発信ではないんですね。</p>
<p>以前は，Twitter での発信は「caffè での会話」だったんですけど，もはや local 空間ではないのでそういう意義も見いだせないです。「自分を存在させる手段」にすぎないわけで。でも自分は発信しなくても存在しているはずで，つまり Twitter 上での発信というのは完全に無駄な行為だと思うんです。</p>
<p>本当に発信しようと思ったら，これくらいのまとまった文章を数時間かけて（構想も含めて数週間かけて）書く必要があって。しかしそれだけ費やしてもこれは一つの「日記」の中身なので，発信にはならないんですね。数ヶ月とか数年とかかけて生産された論文の前には，完全なる無であって，単なる娯楽に過ぎないわけです。</p>




	]]></content:encoded>
	<dc:date>2018-01-04</dc:date>
	<dc:creator>みしょ</dc:creator>
</item>
<item rdf:about="http://www.misho-web.com/diary/201712.html#Diary19">
	<title>2017年12月19日</title>	
	<link>http://www.misho-web.com/diary/201712.html#Diary19</link>
	<description>いろいろやってます。 話は 12 月 8 日に遡るんですが，その日は金曜日で祝日だったので，近所の展示会場での Festival dell'Oriente という催し物に行...</description>
	<content:encoded><![CDATA[
<p>いろいろやってます。</p>
<p>話は 12 月 8 日に遡るんですが，その日は金曜日で祝日だったので，近所の展示会場での <a href="http://festivaldelloriente.net/">Festival dell'Oriente</a> という催し物に行ってきました。なんか東洋（っていうか多分 Asia 全部）のいろいろを紹介？するやつらしくて，日本っぽいのも色々ありました。海外で（private で）日本人とあまり関わりたくないので声はかけませんでした。Italia から日本はどう見えているのか，みたいな問題です。</p>
<p>地域ごとに場所が割り当てられていて，その関係かは知りませんが，南 Asia・東南 Asia の国々の会場はとにかく小物のお店（香辛料とか置物とか仏教関連とか）が並んでいて賑わっている（≒通り抜けにくい）感じでしたが，東 Asia は「展示」が多くてあまり賑わっていない印象がありました。もちろん sushi restaurant には行列が出来ていましたが，店員のほとんどは中国語を喋っているようでしたので，日本人はあまり参加していなかったのかもしれません。（そもそも Padova は小さい？街なのでわざわざ参加しなくても感はあるのかもしれない，Milano とかでやると賑わってると聞いたことがある。）</p>
<p>ちょうど訪れたときは和太鼓の演奏をやっていて，おそらく Italia 在住の日本人 2 人と Italia 人 1 人で 30 分ぐらい演奏していました。質がとても高かったので  professional なのでしょう。太鼓は空間振動があるのでこういう会場では映えるし聞いていて楽しいし，かといってそういう陽だけではなく陰としての笛の演奏 (solo) も演目に入っていて，考えられている，日本文化をよく発信している集団だと感心しました。単なる 2 次元弦を数本だけ用いて音楽を生み出すという概念は，（僕が日本文化の中心概念だと考えている）禅の意識に近くて，日本を示す上で最適なんだと思います。<span class="Note">もちろん元々は中国なんですが。</span></p>
<p>あと，会場の片隅で金魚が優雅に泳いでいて，趣がありました。（中国の金魚だと思いますけど。）</p>
<p>というわけで日本を紹介しようと思ったらどうするかをしばらく考えていました。やはり中心には禅があって，伝統料理としての寿司・天ぷら・湯豆腐，伝統文化としての茶道・水墨画・書道・太鼓，あたりがその文脈で話せるんでしょう。<span class="Note">当然中国文化とほぼ重なります。</span>その背後には着物・忍者・侍・畳・木造建築なんかがおかれ，あるいはその発展系として，現代料理のラーメンや二郎，現代文化のアニメ・漫画（同人誌）・コスプレ・非性交性性風俗があり，そこまで紹介すればほぼ十分なのでしょう。ことに Italia に関して言えば，食文化について日本と類似性があって，小麦粉と油とチーズを中心にやっていく pasta や pizza の展開範囲の広さを考えると，そこには禅の精神があって，それはつまり小麦粉と素材と油だけでやっていく天ぷらや魚と米と酢だけでやっていく寿司みたいな概念なんだと思います。と書くとよく伝わらないのでしょうが，これらを，香辛料の重ね合わせで味を表現する中東料理や，roux・fonds の基底上にあるいは醬を被覆として味を積み重ねる France・中国の料理と比較すると，類型的な一致があると言えると思います。<span class="Note">もちろん Italia の料理にも brodo の概念はあって，これは日本料理にある出汁の概念で，それはこの文脈からは外れて roux に近づくんですが。</span></p>
<p>もちろん casual な展示会ではこれらを具体的に表現しないといけなくて，とすると太鼓というのは最適に見えます。本当は，本物の立ち食い寿司だとか，ちゃんとした茶道だとかを体験できると良いんですけど，Italia で素材と人材を用意するのは難しそうですね。</p>
<p>あとは着物とか刀剣・忍具なんかも展示してあったんですけど，やっぱり着物は美人が着ないとダメだなあというのが正直な印象で，多分それは造形というよりは振る舞いの問題で，和服を着たからには現代の時間からは外れてゆったりとした振る舞いを貫かないと，着物の美というのがまったく見えない，ということに気づいて，ちょっと残念でした。<span>もしかしたら，これまで和服姿を見たのがだいたい優美な人ばかりだったので，その落差なのかもしれません。</span><span class="Note">というか，実際のところその裏側には「仕事」は存在するんですけど，そういった忙しなさを裏に隠して，あるいは忍んで，少なくとも外形的には優美な振る舞いを貫く，というのが本質であると思います。</span> </p>
<p>そういえば เมืองไทย あたりでは massage の体験をやっていて，それは明らかに最高そうだったので，類似なものが日本にあると良いなあと思ったんですけど，鍼灸は良さが即時的に見えないので少し残念ですね。</p>
<hr />
<p>で 9 日の土曜日は bolognese を作りました。人生初の月桂樹 (laurier) であり，あるいは人生初の生 pasta です。詳細はあっちに書いてます。うちから数分歩いたところにある広場には古くからありそうな市場があって，なんか 13 世紀からあるらしい建物の軒下？には小さな店が並んでいて，一方で広場にはどこかから車でやってくる八百屋があったりして，とてもよくて，Italia 暮らしっぽさがあります。</p>
<p>10 日は雪が降りました。ישראל では雪は降らないので，久しぶりの雪でした。<span class="Note">と思ったけどそういえば 1 月に CERN に行ったときも雪でした。</span> 同僚と Pizzeria で忘年会的なやつをやったあと，雪にちなんで gelato を食べに行きましたが，寒いのはよくないです。</p>
<hr />
<p>そんであいかわらず ישראל からの荷物は届きません。そもそも「送ったものが届く」いうのは異常なことなので仕方が無いのですが，12 日に問い合わせた荷物が 15 日に ישראל に送り返される，みたいな話ですので，基本的に世の中というのは信頼してはいけないのだということです。</p>
<p>その荷物に関わる処理や，保険関係の処理，あとは活動量計 (vivoactive HR) とか food processor (trittatutto) の受け取りとかをしてたら一週間が過ぎていきました。</p>
<p>近所の osteria にもだいたい週一ぐらいで行くようにしていて，<a href="https://www.vivino.com/wineries/colli-euganei/wines/fior-d-arancio-colli-euganei-9999">そこで飲んだ wine</a> が甘くて美味しかった。Fanta 感覚でお菓子と一緒に飲んでいます。そのくせ 1 本 800 円とかなので最高です。近郊で作っているらしいので，行ってみようと思います。</p>
<p>「行ってみよう」ということで自転車も買いました。中古の road bike で，人生初の road bike なのでちょっと緊張しています。</p>
<hr />
<p>その自転車なんですけど，本来は（日曜日に）近郊の街に行ってそこで受け取るつもりでした。</p>
<p>正午に駅に向かったのですが，なんとストライキ (sciopero) で昼の電車が運休しており，次の電車が 4 時間後だと言われました。Sciopero するのはいいけどどうせおまえら普段もちゃんと働いてないだろ，みたいな偏見を持っちゃうのはこの 3 ヶ月の経験からです。ここでは過半の人間は本当のことを言わない（というか本当のことを知らないので適当なことを言う）ので，大変です。</p>
<p>ということで夕方に駅に向かうと，その電車も sciopero の対象らしく，じゃあ最初からそう言ってくれ，ということで先述の偏見はどうやら偏見ではなさそうです。</p>
<p>で結局その売り手がいい人で， Padova まで車で持ってきてくれました。もちろん英語はしゃべれないので Italiano で待ち合わせ場所をやっていくんですが，まあ大変でした。結局その日は 13 km ぐらい歩きました。</p>
<hr />
<p>そこまではまあよかったんですけど，その日（夕方 2 本目の電車に乗ろうと）外出するときに「家の鍵」を忘れてしまい，閉め出されてしまいました。「予備の鍵」もあって，それは予備なので大学に置いていたのですが，うっかりその「予備の鍵」を入手するのに必要な「大学の戸棚の鍵」まで家の中に置いてきてしまい，つまり家の中に入れないということで完全に詰んでしまい，大学で徹夜で仕事してました。大学があってよかったですね。</p>
<p>で，まあ夜を明かして朝に大家さんに連絡しようかと思ってたんですが，現代には Internet があって，調べると鍵の picking の方法が動画で紹介されています。それを熱心に勉強して，たまたま手元に paper clip があったのでそれを曲げたりして道具を作って，「大学の戸棚の錠」を picking しようと試みたところ，2 時間ぐらいで成功しました。午前 6 時とかですね。Internet の偉大さを実感しました。記念すべき人生初 picking です。</p>
<hr />
<p>海外生活には鍵を picking する技術が必要，というのが最近の教訓です。</p>


<hr />
<p>そういえば書き忘れたことに，先週 ישראל の銀行に預けていたお金が無事に送金されたので，お金持ちになった。どうやら FAX の相性（？）が悪かった（？）らしく，別の FAX から送って 2 営業日後にやってくれたので，やはり ישראל の人間は信頼できる気がする。（しかし ישראל の「システム」はあまり信頼できない。Italia とは真逆である。）</p>


	]]></content:encoded>
	<dc:date>2017-12-19</dc:date>
	<dc:creator>みしょ</dc:creator>
</item>
<item rdf:about="http://www.misho-web.com/diary/201712.html#Diary06">
	<title>2017年12月06日</title>	
	<link>http://www.misho-web.com/diary/201712.html#Diary06</link>
	<description>給料日から 36 時間しか経ってないのに，残りの財産が EUR 1074 しか残っていない。まあ元々給料日前は借金をしていたのでそれほど驚くことではな...</description>
	<content:encoded><![CDATA[
<p>給料日から 36 時間しか経ってないのに，残りの財産が EUR 1074 しか残っていない。まあ元々給料日前は借金をしていたのでそれほど驚くことではないんだけど。</p>
<p>それと引き換えに 家の中，とりわけ kitchen 周りが充実しつつある。TV も明日 (second hand のやつを）引き取りに行く。あと自転車も買いたかったのと，年末年始に旅行に行きたかったんだけど，それはどうやら厳しそうだ。まあ裁量労働なので，christmas と年末年始は平常通り仕事をして，1 月になってから雑にどっか行けば良いかなという気もしている。</p>
<p>というわけで kitchen が充実しつつあって，もともと 4 口 + forno という最高の環境なので，いろいろと作っている。例によって hatenablog でやってるので各位見に来てください。</p>




	]]></content:encoded>
	<dc:date>2017-12-06</dc:date>
	<dc:creator>みしょ</dc:creator>
</item>
<item rdf:about="http://www.misho-web.com/diary/201712.html#Diary02">
	<title>2017年12月02日</title>	
	<link>http://www.misho-web.com/diary/201712.html#Diary02</link>
	<description>そういえばこの前書き忘れたのだけれど，10 月末からの東北大学の出張旅費が振り込まれていた。本来であれば（日本の未熟な税法161条8号，164条2...</description>
	<content:encoded><![CDATA[
<p>そういえばこの前書き忘れたのだけれど，10 月末からの東北大学の出張旅費が振り込まれていた。本来であれば（<a href="http://www.houko.com/00/01/S40/033.HTM#164">日本の未熟な税法<span class="Note">161条8号，164条2項</span></a>によって）航空券代などの経費まで源泉分離課税されてしまうところ，高橋さんとか事務の方の機転によって，無事に足が出ずに済んだ。</p>
<p>日本の大学にしては珍しく金払いが良かったので，ちゃんと書き残しておこうと思った。</p>
<p><span class="Note">たとえば seminar に行くにしても，自分から押しかける場合と呼ばれていく場合があって，後者だったら経費と日当を出してほしいものだけれど，日本の場合は招かれたとしても一円も貰えない場合が多くて，研究財源が貧しいと心まで貧しくなるんだなあと呆れたものでした。</span></p>





	]]></content:encoded>
	<dc:date>2017-12-02</dc:date>
	<dc:creator>みしょ</dc:creator>
</item>
<item rdf:about="http://www.misho-web.com/diary/201711.html#Diary29">
	<title>2017年11月29日</title>	
	<link>http://www.misho-web.com/diary/201711.html#Diary29</link>
	<description>IKEA は甘えである，という点については議論の余地は無いと思う。どこの国に行っても IKEA があり，どの IKEA でも同じ，あるいはほぼ同じ商品を買...</description>
	<content:encoded><![CDATA[
<p>IKEA は甘えである，という点については議論の余地は無いと思う。どこの国に行っても IKEA があり，どの IKEA でも同じ，あるいはほぼ同じ商品を買える。地球規模で生活が均質化している。</p>
<hr />
<p>申し込みから 5 日で Internet がやってきた。これは日本の So-net とかいうクソ会社の 11 倍ぐらい速い。例の信頼できる彼が「1 週間，早くて 5 日」と言ったのが正しかった。TIM は偉いし彼はすばらしい。</p>
<p>ところで大学の Internet が自宅の回線より遅いのはなんとかならないのだろうか……？ USA にいる共同研究者との通話ができなくて困ったんだけど……。</p>
<hr />
<p>新しい家の立ち上げ作業をしている。家の敷金を払った関係で，次の給料日までお金がないので，たまたま同じ階にいた日本人の同僚に 500 EURO ほど借りてなんとかしている。</p>
<p>昨日は IKEA （と他 2 件の大型量販店）に行ってきた。あまり IKEA に頼ると Italia らしい生活が出来ないんじゃないか，と思って，できるだけ控えようとしていたのだけれど，ישראל で使っていたのと同じ枕用 cover を見つけて，つい懐かしくなって買ってしまった。その cover と，あとはなぜかこの国では見つからないタコさん洗濯物干しは，ישראל で使っていて便利だったものたち。それ以外のものたちは初挑戦である，ということを以て，IKEA への甘えを少しでも正当化しようとしていた。</p>
<p>異国の地での新生活の中に少しだけ連続性が残されているというのは，わりと心を落ち着かせる。</p>
<p>今日は近所のお店に包丁たちを買いに行った。5 本組（包丁立て付き）で 40 EURO。パン用の knife が含まれており，こういうところが Italia っぽいな，と気に入っている。</p>



	]]></content:encoded>
	<dc:date>2017-11-29</dc:date>
	<dc:creator>みしょ</dc:creator>
</item>
<item rdf:about="http://www.misho-web.com/diary/201711.html#Diary24">
	<title>2017年11月24日</title>	
	<link>http://www.misho-web.com/diary/201711.html#Diary24</link>
	<description>Appartamento の affitto の契約をした。最低 1 年は住まなければいけないという契約なので，最低 1 年間は Padova で暮らすことになった。  生活を始める...</description>
	<content:encoded><![CDATA[
<p>Appartamento の affitto の契約をした。最低 1 年は住まなければいけないという契約なので，最低 1 年間は Padova で暮らすことになった。</p>
<hr />
<p>生活を始めるための活動を 2 ヶ月間（正確には 1.5 ヶ月だけど）いろいろやってきて，この街ではどうやって生きていけば良いのかというのがだいたい見えてきた。</p>
<p>たとえば前の街 חיפה では，街の人たちはだいたい気分屋でときどき無愛想だけども基本的には信頼してよい，不満があったらちゃんと勢いよく（日本人的には怒った感じで）主張しないと解決しない，郵便は届かないのでコネでなんとかするしかない，という生活だった。</p>
<p>一方この街では，どうやら人間を信頼してはいけないらしい。基本的には，任せてもやってくれないし，平気で嘘をつくし，というかたぶん嘘だとも思っていなくて知らないくせに適当に答えたりする。しかし，よくよく探すと，4 人に 1 人ぐらいの割合で，信頼できそうな人間が見つかる。そういう人を見出すことが，どうやらこの街では必要らしい。</p>
<p>生きる上でもう一つ大事なのは，細かいことを気にしてはいけない，という心構え。たとえば法手続き上は期限の定められているはずの書類も，実際には数日遅れても大丈夫だったりする。というかそもそも，期限が存在することすら知らなかったりする。これでどうやって世の中が回っているのかよく分からない。誰も何も気にしていないからうまく行っているのだろうか。それとも，世の中の 25% の，仕事のできる（というか仕事をする気のある）人たちが全てをうまくやっていってるのだろうか。謎が多い。</p>
<hr />
<p>東北大学の人たちに研究発表の資料を送らないといけなくて，既に 4 週間ほど待たせている。10 月の始めに注文したはずの computer が未だに届いていないので，というか来月末になるらしいので，そのせいで滞っているのだ。というかそのせいで future collider についての研究を進めることができなくて困っているのだけれど，この国では（研究機関でさえ）だいたいがそんな調子で進むみたいで，もう完全に諦めてしまった。</p>
<p>仕方が無いので Windows の入った laptop を使おうにも，うっかり電源 cable を郵便で送ってしまったので，そして郵便は当然届かないので，というかいまその箱がどこにあるのか誰も知らないので，laptop すら使えない。</p>
<p>仕方が無いので電源 cable（の互換品）を Amazon で注文すると，電流の異なるものが届く。まあこれは ישראל でもそうで，そもそも通販では頼んだものが届くわけがないので，返送して払い戻してまた購入する。と，やっぱり同じものが届く。電流値が違う，と連絡をすると，電流が違っても動くから，と言われる。切りが無いのであきらめて 3.25A のものを使うことにする。そのせいで laptop の寿命が縮まないことを祈るしかない。</p>
<p>そんな感じで 4 週間が過ぎて，結果として資料を送るのが遅れてしまった。まあ Italia なので仕方が無い。</p>
<hr />
<p>「仕方が無い」とか言ってられるのも，僕がそんなに仕事熱心ではなくて，とりあえず 2 年間 Italia で楽しく生きていけばいいなあと思っているからなんだと思う。もしも，たとえば tenure をどうしても取らなければいけなくてバリバリ仕事をしないといけない，みたいに追い詰められている感じだったら，この環境ではやっていけないように思う。Italia 暮らしを楽しもうと思えば，街には 1 euro の cappucino と patisserie があふれており，osteria に行けば 4 euro の glass wine が 30 種類ぐらい飲めたりするので，いくらでも楽しめそうだ。</p>
<p>いずれにせよ，信頼できる不動産仲介業者と，どうやら信頼できそうな Internet service provider のにいちゃんを見つけて，それから Appartamento の locatore もとても良い人っぽかったので，家と通信はなんとかなりそう。あとは自転車を買って，どこかに行ってしまった小包が見つかって，ついでに ישראל の銀行口座の解約が無事に住んで，それから来月末になるという computer が無事に来月末に届いて，そして 1 月に滞在許可証を受け取れば，やっと新生活の準備が完了する。</p>

<hr />
<p>ちなみに l'italiano は嫌というほど喋っている。大学で LATINA をやっていた甲斐があった，というのもあるけれど，なにげに英語の etymology が役に立っている。研究所の秘書さんも英語がしゃべれなかったりするし，seminar やその他の案内も（トイレの張り紙も）すべて italiano なので，新しい言語をやるのが好きで無いとやっていけないんじゃないか，と思っている。</p>



	]]></content:encoded>
	<dc:date>2017-11-24</dc:date>
	<dc:creator>みしょ</dc:creator>
</item>
<item rdf:about="http://www.misho-web.com/diary/201711.html#Diary02">
	<title>2017年11月02日</title>	
	<link>http://www.misho-web.com/diary/201711.html#Diary02</link>
	<description>徒然草に，仁和寺に行くときには先達が居た方がよい，という話がある。 今回の仙台での10日間の滞在で，結果的に吉田類の行ったお店に 3 軒伺...</description>
	<content:encoded><![CDATA[
<p>徒然草に，仁和寺に行くときには先達が居た方がよい，という話がある。</p>
<p>今回の仙台での10日間の滞在で，結果的に吉田類の行ったお店に 3 軒伺うことになり，しかしそれらのどのお店も満足できる（とりわけ石巻と文化横丁の店については珍しいくらい渋い）ものであった。</p>
<p>仁和寺の話について，当初は一般論だとしか思っていなかったけれど，そうではなくて，仁和寺に行くだけでも先達が居た方がよいのだから飲食店選びであればなおさらである，というように，仁和寺を底に敷いた形で理解する必要があったのだと思う。</p>
<p>何事も，先達はあらまほしきことであり，明日は仙台の最後に先達の勧める寿司を食べて新幹線に乗るつもり。</p>
<p>Italia のもろもろはわりとうまく行っていない，というか，予想通り，こちらから改めて催促してようやく「まだやってないけど待ってて」と言われるという最悪な状況なのだけれど，とりあえず仙台でわりと気晴らしができたし，とりあえず家も契約できそうだし，また Italia に戻ってやっていくのだろう。</p>
<p>しかしそれにしても，先達が居るというのは非常に大きくて，仙台には（先達がいるうちに）また来なければならないな，と考えている。</p>






	]]></content:encoded>
	<dc:date>2017-11-02</dc:date>
	<dc:creator>みしょ</dc:creator>
</item>
<item rdf:about="http://www.misho-web.com/diary/201710.html#Diary29">
	<title>2017年10月29日</title>	
	<link>http://www.misho-web.com/diary/201710.html#Diary29</link>
	<description>一度しか行ったことない行きつけの居酒屋という概念がある。最初に一人で居酒屋に行ったのは確か 19 の時に和倉温泉駅で夕ご飯を食べたときだ...</description>
	<content:encoded><![CDATA[
<p>一度しか行ったことない行きつけの居酒屋という概念がある。最初に一人で居酒屋に行ったのは確か 19 の時に和倉温泉駅で夕ご飯を食べたときだったと思うが，それは単純に他に店が無かったから入っただけで，居酒屋として使ったわけでは無かった。まあ大学生の頃は旅行では当地の特徴的な料理を食べようと思っていたので，「一般の」居酒屋に行くことにあまり興味が無かった。</p>
<p>居酒屋に行こうとして居酒屋に初めて行ったのがいつか，というのはもはや覚えておらず，吉田類を知る前なのか後なのかすらあやしいので，もしかしたら吉田類を見て，そういう様式での居酒屋利用という概念を知ったのかもしれない。</p>
<hr />
<p>Twitter は割と日記の代替になっていると思っていたけれど，何もしていないはずであった時間に表現や内容をじっくり考えながら（それでも刹那的に）構築していく日記という手法は（もうしばらく忘れていたけれども）Twitter の pure instantaneous な表現よりも言葉に対して正しく向き合っているような気がする。</p>
<p>Twitter には SNS であるという魅力はあるけれども，もはやその魅力も低減し，（原価）償却されてしまったと考えるべきだろう。Internet 上だけで social であることにこだわるというのも妙な話である。</p>
<hr />
<p>仙台に来た時には足を伸ばして通うことになるのは間違いないだろう。</p>



	]]></content:encoded>
	<dc:date>2017-10-29</dc:date>
	<dc:creator>みしょ</dc:creator>
</item>
<item rdf:about="http://www.misho-web.com/diary/201710.html#Diary28">
	<title>2017年10月28日</title>	
	<link>http://www.misho-web.com/diary/201710.html#Diary28</link>
	<description>日本海，地中海，太平洋，コーヒーむぎ，六文銭。 鬱病と診断されうる状況になったのはたぶん 10 年ぐらいぶりのはずで，復旧した今から思い返...</description>
	<content:encoded><![CDATA[
<p>日本海，地中海，太平洋，コーヒーむぎ，六文銭。</p>
<p>鬱病と診断されうる状況になったのはたぶん 10 年ぐらいぶりのはずで，復旧した今から思い返すと，おそらく脳の問題なのだろう。さすがに 2 日間を（緑寿庵清水の）金平糖（と水）だけで過ごす脳というのは正常な状態だとは思えないので，一時的に伝達物質だか受容体だかの案配が（化学的に）崩れていたのだと思う。</p>
<p>そもそも科学研究というのはうまく行かないもので，うまく行かないことをなんとかしてうまく行かせるからお金がもらえるのであって，したがって常に精神的には困難な状態にある。僕の仕事は比較的 engineering 寄りであるけれども，それでもだいたい作業時間の半分以上は問題解決のための試行錯誤であるので，つまり仕事上はほぼ常に問題をかかえている。それゆえに生活上での問題を少なくして，あるいはやればやっただけ単調上達するような（水泳，楽器，料理，game といった）趣味で自己満足することで，釣り合いを保つようにしている。</p>
<p>そういう状態にあると，生活がうまく行かなくなったとき，あるいはそういう趣味をやる余裕がなくなってしまったとき，精神の安定，つまり脳内の化学物質の組成や受容体の状態が乱れてしまう。</p>
<p>断りたくない仕事というのは時々あって，そういうのはもちろん断らないのだけれど，それは一部に，仕事の（というか人生の）capacity を増加させられるかもしれない，という贅沢な驕りがあって，今回もそうで，しかし結局丸 2 週間 &quot;literally dead&quot; だったので，無理は無理ということで調節をするほうが持続可能なのだろう。この脳は速度だとか可塑性だとかと言った点でいろいろ便利なのだけれど，負荷耐性を高めることは考えない方がいい構造だということがわかる。</p>
<p>それにしても無事に招待講演が（普段通り）できてよかった。</p>




	]]></content:encoded>
	<dc:date>2017-10-28</dc:date>
	<dc:creator>みしょ</dc:creator>
</item>
<item rdf:about="http://www.misho-web.com/diary/201710.html#Diary27">
	<title>2017年10月27日</title>	
	<link>http://www.misho-web.com/diary/201710.html#Diary27</link>
	<description>Padova で住む家が見つかって，契約の申込みが受諾された。したがって「Italia で住む家が来週までに見つからなかったらやめる」というのは無くな...</description>
	<content:encoded><![CDATA[
<p>Padova で住む家が見つかって，契約の申込みが受諾された。したがって「Italia で住む家が来週までに見つからなかったらやめる」というのは無くなって，少なくとも 2019 年まではこの仕事を続けることになった。</p>
<p>最初の 2 週間で 1 件も見つからなかったので完全に諦めていたのだけれど，ぎりぎりで見つかった。この調子で LHC でもなにか見つかってほしい。</p>
<p>僕は物理学の検証可能性をよすがにやっていっているので，（astrophysics に伴う systematic uncertainty，および LHC より先の実験を行うことの費用を考えると）beyond the Standard Model の検証可能性というのは LHC にかかっているので，LHC で何か見つかるかというのは重要で，たとえば tenure track にのったとしてもその後の研究費を得る気力にかかわるだろうから，何もでなかったら続けていくのも泥船みたいなものだろうと思っている。</p>


<hr />
<p>とりあえず最大の懸念が解消したので，精神的にもだいぶ楽になったのでは無いかと思う。これであとは，Italia の郵便局がなぜか配達せずにそのまま ישראל に送り返した荷物をもう一度送ってもらって受け取って，それから Italia の郵便局が配達してくれることになっている銀行の card を受け取れば，生活の問題はとりあえず大丈夫になる。</p>
<p>まあその程度の（？）問題は許容できると思うので，物理の(仕事上の）問題にも取り組むことができるだろう。</p>





	]]></content:encoded>
	<dc:date>2017-10-27</dc:date>
	<dc:creator>みしょ</dc:creator>
</item>
<item rdf:about="http://www.misho-web.com/diary/201710.html#Diary24">
	<title>2017年10月24日</title>	
	<link>http://www.misho-web.com/diary/201710.html#Diary24</link>
	<description>事務手続きのため，14年前の自分のいたトイレに立ち寄っている（東大2次試験）。7年過ごしたトイレでもある。 こくわがたがあいていて良かった...</description>
	<content:encoded><![CDATA[
<p>事務手続きのため，14年前の自分のいたトイレに立ち寄っている（東大2次試験）。7年過ごしたトイレでもある。</p>
<p>こくわがたがあいていて良かった。龍岡門のあたりは様変わりしていた。</p>






	]]></content:encoded>
	<dc:date>2017-10-24</dc:date>
	<dc:creator>みしょ</dc:creator>
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<item rdf:about="http://www.misho-web.com/diary/201710.html#Diary22">
	<title>2017年10月22日</title>	
	<link>http://www.misho-web.com/diary/201710.html#Diary22</link>
	<description>家が見つかって，契約の申込みをした。これが承諾されればこのままここに 2 年いるのだろうし，承諾されなければ，これ以上の面倒には耐えら...</description>
	<content:encoded><![CDATA[
<p>家が見つかって，契約の申込みをした。これが承諾されればこのままここに 2 年いるのだろうし，承諾されなければ，これ以上の面倒には耐えられないだろうから，やめるんだろう。</p>
<p>しかし日本の稚拙な民主制度を考えると，この先 3 年半の期間に日本で暮らすということもあまり考えたくない。田舎に蟄居するとか，選択肢はあるだろうけど，好んで住みたい場所というのは減ってきている。</p>
<p>とりあえず家は見つかったので，最初の条件は満たされそうだということになって，なので出張には行くことになりそうで，従って準備をしないといけないので，脳機能はあまり回復してないのだけれど，やっていくつもりではある。</p>







	]]></content:encoded>
	<dc:date>2017-10-22</dc:date>
	<dc:creator>みしょ</dc:creator>
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<item rdf:about="http://www.misho-web.com/diary/201710.html#Diary18">
	<title>2017年10月18日</title>	
	<link>http://www.misho-web.com/diary/201710.html#Diary18</link>
	<description>最初は来週日本に行ったあと研究会を cancel してそのまま逃げて台湾で 3 ヶ月ぐらいボーッとしていようかと思っていたけど，ボーッとするの出来...</description>
	<content:encoded><![CDATA[
<p>最初は来週日本に行ったあと研究会を cancel してそのまま逃げて台湾で 3 ヶ月ぐらいボーッとしていようかと思っていたけど，ボーッとするの出来ないこと知ってるし退屈でしょうがなくなりそうだったのでやめた。かといってここにいても，最近は何もする気が無いのでただ睡眠薬を飲んで起きての繰り返しをしている。</p>
<p>来週は日本に出張だけれどもその準備もまったくできていない。</p>
<p>日本か台湾に仕事があるんだったらすぐにでも物理やめてこんな国出て行きたいんだけど，そういうわけでもないからそうもいかない。</p>
<p>学生の頃は気力が無くなってもやることがあったけれど，卒業して以来やりたいことをやって生活していたので，やるきがなくなってやりたいことがなくなったときにどうやってなにかをやったらいいのか，困っている。</p>


<hr />
<p>すこし回復した。ダラダラとやっている。</p>








	]]></content:encoded>
	<dc:date>2017-10-18</dc:date>
	<dc:creator>みしょ</dc:creator>
</item>
<item rdf:about="http://www.misho-web.com/diary/201710.html#Diary17">
	<title>2017年10月17日</title>	
	<link>http://www.misho-web.com/diary/201710.html#Diary17</link>
	<description>I would like to terminate this contract. まで書いて送れずにいるというのは完全に甘えだけど，いろいろ催促されていて疲れた   判断をしないといけないこ...</description>
	<content:encoded><![CDATA[
<p>I would like to terminate this contract. まで書いて送れずにいるというのは完全に甘えだけど，いろいろ催促されていて疲れた</p>

<hr />
<p>判断をしないといけないことが多すぎて判断がなにもできなくなっているのでもうダメ以外の感想が無い</p>

<hr />
<p>こういうときの判断だいたい間違ってると知ってるんだけどそれでも避けられない感があって感がある</p>

<hr />
<p>しかしどうしようにも実際ここ二週間まったく仕事できてないしどうもこうもないんだよな……</p>

<hr />
<p>なんかもうマジで判断いっさいできなくなってるし，何も判断せずだらだらと日々を生きて当座をしのげばいいかな感でてきた，どうせ何もしなくても給料出るし，出なくなったらやめればいいし，最悪っぽいけど最善っぽい</p>

<hr />
<p>日本か台湾に何か仕事ないかな。</p>
<p>何かってアレだけど python3 使ってなんかやってるところとか（言語指定で業種も絞れそう），最初は skill-up の意味で試用期間とか有期雇用あたりで始めたい感じだな，台湾だと漢語も勉強できて便利だしな。</p>










	]]></content:encoded>
	<dc:date>2017-10-17</dc:date>
	<dc:creator>みしょ</dc:creator>
</item>
<item rdf:about="http://www.misho-web.com/diary/201710.html#Diary11">
	<title>2017年10月11日</title>	
	<link>http://www.misho-web.com/diary/201710.html#Diary11</link>
	<description>35 歳で素粒子研究をやめる，と決めたらなんか楽になった。 こんな仕事，LHC で何か見つからない限りやっても何にもならない。 きっと公言して...</description>
	<content:encoded><![CDATA[
<p>35 歳で素粒子研究をやめる，と決めたらなんか楽になった。</p>
<p>こんな仕事，LHC で何か見つからない限りやっても何にもならない。</p>
<p>きっと公言しておけば connection やら recruiter やらで仕事は見つかるだろう（要約：仕事ください）。</p>
<p>そのときには Olympic も終わってるし荒廃した日本でやっていくのよさそう。</p>
<p>当方，日本語と英語が十分に操れます。ヘブライ語がすこししゃべれます。もうすぐ言語も増えます。</p>
<p>とにかく数学と情報科学に強みがあります。数学面では統計的処理と情報の可視化について専門知を持っていて，情報科学面では大学で学ぶ程度の理論知識にくわえて，Web から数学関係までの software 開発の経験があります。</p>
<p>Inftastructure 周りは，もう10年以上自分で server を運用 (https, smtp, imap, ssh) しています。最初は自宅鯖でしたが，いまは VPS に載せています。AWS を最近勉強しはじめました。</p>
<p>とかでどうなんでしょうね。</p>


<hr />
<p>実はこれには付随条件として，Italia で住む家が来週までに見つからなかったらやめる，というのもある。</p>
















	]]></content:encoded>
	<dc:date>2017-10-11</dc:date>
	<dc:creator>みしょ</dc:creator>
</item>
<item rdf:about="http://www.misho-web.com/diary/201710.html#Diary10">
	<title>2017年10月10日</title>	
	<link>http://www.misho-web.com/diary/201710.html#Diary10</link>
	<description>一年ぐらい蟄居したい   とにかくなにもしたくない。。                  </description>
	<content:encoded><![CDATA[
<p>一年ぐらい蟄居したい</p>

<hr />
<p>とにかくなにもしたくない。。</p>


















	]]></content:encoded>
	<dc:date>2017-10-10</dc:date>
	<dc:creator>みしょ</dc:creator>
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