書き込み対象の日記
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人間
こういう考え方,あるいは価値観で生きている人は,僕だけではないはずだ。人間が何十億人も居る以上,こういう主義で生きている人もいるわけで。これまで沢山の文化,社会,神話をはぐくんできたこの地球上には,こういう主義により栄えた神話もあるのかもしれない。一歩間違えば死に至るような生き方だろうが,しかしそれでも僕はとても自然なことだと思うのだ。
物理
というわけで今日は物理学科の合同飲み会でした。何かこのweb siteがナニゲに全国的に有名だった(特に2004年度東大受験生の間で)とかいう話を聞いて引いたり萎えたりしましたが,僕は元気です。
そんな中,やたら飲むくせに実はお酒に弱いことで有名なナカジ教授(注:21歳)から「君は何故物理を志したのかね」とかいう,明らかに酔っ払いのするような質問をされた。
物理の魅力は,やはりそれが現実の中で綺麗であることだと思う。例えばHamilton力学での正準方程式(普通に使っているとあまり気づかないかも知れないが,この名前を持っていること自体が素晴らしいことなのである。はるか太古,قانونから始まり,κανόνας,canonとελληνική γλώσσα,LINGVA LATINAに広まってきたこの「正準」なる「世界的に共通な」単語。西洋社会において,この方程式に,聖書における「正典」と同じ語を持つことを許したということはやはり偉大なことなのだ。)を引用する間でもなく,Einsteinの理論,いやそもそもNewtonの法則でさえも十分綺麗である。それだけではなく,それがきちんと現実の中にあるということが素晴らしいことである。
その文脈に於いて,僕は数学と哲学,物理学と歴史学を対比させる。更に生物学には社会学であろう。数学は確かに美しい。数学の美は美術である。だが,美術は人間の組み上げたものであり,現実には到底根ざしていない。その点で絵画と音楽とは根本的に異なるのだ。同様に数学も哲学も,例えば人間が消えたところでそれは意味をなさない。昔読んだ本に,「この宇宙を理解するのは科学ではなく精神なのだ」というような記述があったが,まさにその通りであり,根本的に違う基盤を持った知能(或いはそれは既に地球上にいる(それも僕らのよく知っているありふれた)生物の中にあるのかも知れない。)にとっては数学も哲学も美術も無駄であろう。物理学,或いは音楽というのはその次の階層で「無駄」となるものである。光子か,あるいは原子振動か。思考の結実か,現実の記述か。
そしてその「思考の結実と現実の記述」という対比で,それは哲学と歴史学になる。たとえばその「生物」にとってまず興味のあるのは,哲学よりも歴史であろう。あるいは哲学は根本的に理解し得ないかも知れない。
まぁ,残念ながら僕は歴史学にはあまり興味がないのだ。自分の過去を記述できないながら過去を指向する,などという器用なことは出来ない。僕は常に今と共にある。
ところで,中沢新一(実は彼も,僕と同じく東京大学教養学部理科二類の出身なのだ。尤も彼は物理学ではなく宗教史学へ進んだのだが。)は,現代の科学を,古代の神話,中世の宗教と対比させている。神話的思考は,第一次形而上革命を以て宗教(一神教)へと,第二次形而上革命を以て科学へと転換した,というのが彼の主張である。この3者には,現実の記述という明白な(それでいて意外な)共通点がある。(僕は「形而」とかいう意味不明な言葉を使うのは嫌いだ。まぁ,これら全てが現実の記述であることは納得できるであろうし,その間に何らかの転換があったことも容易に想像が付くだろう。)
ここに立てば,そもそも物理やら数学やらを全て包含する「科学」というものが,ある種の神話的なものに還元できる。(卑屈な古代人に言わせれば,神話が科学に還元されるのかも知れない。)その意味で,僕は現代の科学は科学者たちの社会的合意で作り出された壮大な物語だなどと真顔で主張する人や,完全には立証できないことを受け入れて信じるという点で,科学を信じることも創造神話を信じることも同じようなものなのだなどという人もいるのだ。
熱力学 -現代的な視点から-と主張する田崎晴明氏とは(ごく僅かにかもしれないが)立場を異にする。勿論現代に於いて創造神話を信じることは愚かであるが,古代を生きる人(あぁ,なんて矮小な存在か。)にとっての創造神話と,現代人にとっての科学は「同じようなもの」であろう。そして将来,「第三次なんちゃら革命」によって,科学は圧倒されるのだ。
科学は圧倒されるのだ,というか,僕は寧ろ圧倒されて欲しいと思っている。現代の理論では,この宇宙は,我々が生きていると実感できる4次元では飽き足りず,こう説明すると都合がよいから,という理由で11次元,あるいは26次元の「○○」を導入して議論している。僕はそういう議論が,正直嫌いである。だが,この「第三次なんちゃら革命を待つ時代」つまり科学の時代に生きている僕にはそれをどうすることもできない。だからそこを学びたいのだ。
ところで,「こう説明すると都合が良いから」というのは正しく神話の文脈である。自分で書いていて,ちょっとびっくりした。
さて。この話を終えるにあたり,これら全ては人間の欲求の生み出したものだ,ということを一気に述べてみよう。
数学と哲学は,人間の「思考」という欲求により発展した。共に純粋な思考の産物であり,それは何者にも阻まれることはない。また,物理学と歴史学は,人間の「知」の欲求,好奇心により発展した。共に世界を知り記述する術であり,ひいては自らを知ることへと繋がる。生物学と社会学も同じ欲求に根ざしているが,とりわけ「我々」という立場の強い学問であろう。
全ては現代にのみ生きている。
ところで,冒頭のナカジ教授の質問に対する僕の回答は「綺麗だから。」であった。人間のもつ,美への本質的な欲求である。
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