みしょのねこごや

Diary - 2018年3月

父が死んでいた。

明確な宗教規準を持たず,しかも色々なことをまず批判的に検討してしまう習性がある僕は,血縁や婚姻に基づく家庭の概念についてよく理解していない。したがって,父の死そのものをどう位置づけて良いのかよくわからずにいる。その上,Italia に住んでいるという物理的距離,父との最後の会話すら思い出せないような心理的距離もあるのか,死自体にあまり実感が無い。とは言っても,これは(帰省中に死んだので通夜にも葬儀にも出席した)祖父の死と同様なので,そもそも実家を出て遠くに転居した時点で,家族というのは僕にとっては既に死んでしまった存在なのかもしれない。

ちょうど木曜日から 2 週間 vacation ということになっていた。土曜日の午後,家でだらだらしているときにその報せを受けた。Padova から大分への航空便を調べたけれど,葬儀に間に合わないことは確実だったので,すぐの訪日はしないことにして,予定通りの vacation を過ごすことにした。これはとても幸いなことで,たとえばこれがギリギリで通夜に間に合うとかだったら,行っても行かなくてもその選択について悩んだのだろう。というわけでいまは Bologna でこれを書いている。当初から 4 月に佐伯に行くことは予定していたので,ちょうど四十九日がそのあたりになりそうであるし,その後の訪韓・帰国の予定を再調整して,相続とか家とかの問題を処理していくのだろう。

死んでしまった人間のことはあれこれ考えても仕方がない。というかそういうことは後から自然と思い出されるに任せればよくて,とりあえずは生きている人間のことを考えるのがいい。そうなるとまずは SRRS,ということで夏目の scale で計算してみると,ただでさえ引っ越しで負荷がかかっているのに親族の死が加わってついに 317 点となってしまい,今後半年の間は完全に危険域に入ることとなった。点数はともかく,これらの諸事象は慢性的・無意識的に心身への負荷となる,ということをはっきりと経験的に理解しているので,これは大変なことになった,という感じである。まあそれでも,距離の離れている(しかも家庭の概念を理解していない程度の関心しかない)僕はまだ負荷が低いのかもしれない。母も妹も弟もたぶん通常の感受性と価値観を持った人間なので,ちょっと保守作業が必要かなぁという感じがしている。

結局のところ,自分の機嫌は自分でなんとかするしかないし,自分の精神状態は自分で調整するしかない。躁鬱病と酒依存をこじらせて死んでしまった父を鑑みても,過去の自分の経験を省みても,その結局をやっていくしかない。というわけで母も姉弟も各位なんとかやっていってほしいなあぐらいの感じである。

こういうときは,原因がハッキリしているときはそれを取り除き,あるいは(半年前の家探しのときに家が見つからなければ退職すると決めたように)ものごとの deadline を設けて原因を有限期間に縮小したりする。原因を取り除けないのであれば精神科で精神安定剤を処方してもらって脳機能を縮小するのが手頃だろう。処置に失敗したときには死あるいはそれに類するものに至る,というのは,脳卒中とか心臓病と似たようなものなので,まあ当然のことである。10 年前に鬱病になる以前は,そういったことを理解していなかったので,例えば飲酒前後の(化学的な)気分の変化を普段の(精神的な)気分の変化と峻別できなかったために今から思えば相当不安定だったけれども,一度やった後はそういうことも少なくなった気がする。少なくとも,一ヶ月規模の鬱状態というのは,昨年秋のものが 10 年ぶりだったはずだ。そして,300 点を超えたことで,まあ一年以内には再び似たような状況に陥るのだろう。やっていくしかない感が極まってきている。睡眠薬はともかく,精神安定剤を自己判断で飲むのはさすがに難しいので,こっちで精神科の準備をしておいたほうがいいのかもしれない……。

しかしこの日記もなかなかいい精神安定法になっている。17 年前に書き始めたときには思いもよらなかったけれど,public な日記というのは便利なものだ。"homepage" というのも同様に,18 年間存続したのだから今後も死ぬまで有るんじゃないか,ぐらいの落ち着きがある。SNS みたいな揮発性の高いものが主流になってしまったのは色々と損失だったんじゃないかなあ。


あともう一つは,生きる動機みたいなものも自分でなんとか用意するしかなくて,そういう意味で,退職した後に何をするかというのは現代日本人の大きな問題なんじゃないかという気がしている。旧民法の家制度がなくなってしまっただけでなく,血縁を前提にした家族というのも移動と長寿と都心集中のせいで非現実的になってしまい,家族の概念を代替する何かがまだ用意できていない。原発も鉄道も年金も素材産業も官僚機構も綻びがはっきりしてきた国において,人の一生もやはり綻んでいたのだな,と感じている。