みしょのねこごや

Diary - 2014年2月

ここ 1 週間ほど考えていたこと

Foie gras を使ったお弁当が発売中止に追い込まれた。児童養護施設を舞台にした TV drama が放映の危ぶまれる状況になった。


日本人はもっと声をあげなければいけない,とずっと考えてきた。もっと社会に対して自分の意見を発信することができる人間が増えればいいな,と考えていた。Internet はそのための魅力的な手段に思えた。Internet を使えば,情報の伝達は加速し,集積も進み,発達した議論が展開できる,と考えていた。

どこで道を誤ったのだろうか。


この国の人たちは声をあげることに快感をおぼえているようだ。声をあげて誰かを叩くことに快感をおぼえているようだ。叩きやすい標的を見つけたら,だから,一斉に我先にと叩く。その結果なにが起きるかについてはどうでもいいようだ。

声をあげることは重要だった。嫌煙者が不当に健康被害を被ることは無くなった。そこまでは良いのだけれど,その後に弱くなった喫煙者を一斉に叩き始めるようなことはよくない。そういう話なのだけれど。

Foie gras は食べない,というのにとどまらず,「売ってるのが気に入らないから売るな」という話をしてしまった。TV program を見ない,というのにとどまらず,「いじめにつながる気がするからやめろ」という話をしてしまった。

他人を殴っているつもりらしい。実際に殴られているのは自分自身だということを分かっていないらしい。

そうやって他人の権利……とまで難しいことではなく,他人の選択肢,行動の自由を奪うことは,つまり,自分の行動の自由を奪われる余地を与えているのと同じことなのだけれど。

Foie gras は残酷な食べ物だ,という主張から,肉は残酷な食べ物だ,という主張への距離は,それほど遠くないように見える。それだけでなく,むしろ本質的な問題は,声を上げれば他人の行動を思い通りに制限できるという認識が一般化することである。

声をあげる,というのは,意見を述べる,ということのはずだったけれども,そうではなくなってしまったようだ。圧力をかけて行動の自由を奪う,ということになってしまったようだ。


不寛容は全体主義的である。


どこで道を誤ったのだろう,という僕の疑問に対して,宇野常寛さん(この人は批評家で,つまり「なんか面白いことを言うのを仕事にしている人」だ。だから面白いことを言う。)が「Twitter だと思う」と答えてくれた。

なるほどなぁ。

Twitter は 140 字以内の短文を投稿するところだ。140字というのは,英語にしてみれば非常に短すぎる。140字には,1つか2つの主張のみしか入らない。(というのは日本語では50字だが,英語にすると " When we use English, 140 letters are very short; it is so short that nothing but claiming this fact can be done in one tweet." と130字近くになる。)しかし日本語にとって140字は広大だ。17文字で情景を表し,31文字で言いたいことを述べる言語なので,140字の中で自分の主張を展開することができる。

その結果,日本の「長文投稿」文化を滅ぼしてしまった。

とりあえず言いたいことを投げるにはちょうどいい。でも140字なので,緻密な論理を汲み上げることはできない。自分の主張を端的に述べることしかできない。

「相手の主張を聞いて理解して,それに対する自分の意見を言う」というのも困難である。相手と主張をすりあわせて本格的に議論するには枠が足りない。

そもそも「どうでもいいことを言う」ための web service だった。僕もどうでもいいことしか言わないようにしている。140字ではどうでもいいことしか言えないだろ,という魂胆だった。

しかし,日本語では同じ文字数で「とりあえず自分の主張を述べる」ことができてしまった。だから,言いたいことを言う道具として使われるようになった。そのような使われ方が,日本語 Internet 圏における一つの情報発信の様式になってしまった。


かつて日記に書いたかもしれないが,日本には「茶の間で TV の報道番組に向かってあれこれ愚痴る」という文化がある。TV に向かってなら,言いたいことを言える。夫か妻が「はいはい」とうなずいてくれる。そしてそれによって,発信したぞ感,自分が存在している感を満足させるのだった。とても愚かだ,とは思うけれども,

それ以上のことをするような気力も能力も無いのだろう。

それが Twitter によって代替された。

Twitter 検索To:47newsTo:asahi を見てみると良い。News 配信用の bot account に対して "@ reply" で自分の主張を述べている人がたくさんいる。もちろん,@47news というのは bot account であり,"@ reply" を送っても中の人が見ているわけではない。何がしたいのだろうか。誰かが読んでいるとでも思っているのだろうか。愚かな話だ。


Twitter によって,相手の意見を聞かずに自分の主張を非論理的に述べる,というのが日本語 Internet での言論の型になってしまった。

その結果,『自分の主張を非論理的に述べる』ことができれば言論の場に参加できるということになってしまった。


自分の主張を非論理的に述べるというのは,言論を行う上での最低限度の skill である。その上にある,論理的に述べる・相手の意見を聞く・意見をすりあわせる,などが出来ない人間も,「言論」できるようになった。もっと言えば,それらの skill を養おうとする意欲を人々は失ってしまった。

その結果,非論理的な言論が加速する。


憲法の性格をどう考えるか。という質問に対して,首相が国家権力を縛るものだという考え方があるが,それはかつて王権が絶対権力を持っていた時代の主流的考え方だ。と述べるのも,それと無関係ではないのだろう。もちろん安倍晋三が無知なのは確かなのだけれど,その背後に,国家権力の中に,とても頭の良い人間がいて,今ならばこのような主張が通るだろう,国家の権力を増大させるよい機会だろう,と考えているのだろう。おそらく狙いは米国からの独立なのだろう。あるいは,富国強兵なのかもしれない。いずれにせよ,その道中に中国との戦争が待ち受けていることは既定の事実である。いきなり論理が飛躍したなあ,とお思いでしょうが,その通りです。このあたりは,たぶん僕みたいな外交素人が論理的に考えられる領域ではない。だから僕が論理的に述べることはできない。しかたがないので直観して述べているのです。

2015年中の中国との戦争(ただし実際には戦争ではなく『小規模な武力衝突』と呼ばれると思う)はもう確定したかに思えます。だからもはや,それを踏まえて,その過程でおきる損害をどうやって最小化するか,というところに焦点が移っている。最近僕はそればかり考えている。都知事選でイエイリカズマを応援するのもそのためで,ここいらで若者の声を数字にしておけば,まだ戦時下で若者(ここでは子育てをする年代,あるいは前線兵士となりうる年代として定義するのが妥当)が老人に抑圧されずに済むかな,と考えているからです。


しかし僕は逃げる。最近は exodus のことばかりを考えている。早く逃げないといけない。

遅くとも 2014 年度中には逃げないといけない。

遅くとも 2014 年度中には逃げないといけない。

イエイリカズマ氏について

Facebook にも書いたとおり,僕は今回の都知事選についてはイエイリカズマ氏をうっすらと支持している。それは,政策の先頭に「生活」を掲げていることに端的に表れている。「生活」「都市・成長」「行政」「防災」「Olympic」の順で,これが彼の方針を端的に表していると思う。

どうして僕がこの点を重視・支持するかについては,年末に書いた日記を参照のこと。


食品偽装と全聾作曲家について

年末に食品偽装が話題となって,最近は全聾の作曲家が話題になっている。この 2 つの偽装事件には共通点がある。それは,仕事よりもそれに付随する文脈を重視した結果の問題だということだ。あるいは,人々は「物」よりも「物語」を買っているということだ。

食品偽装で騙された人々の目的は,「美味しいものを食べる」ではなく「高級食材を食べる」であった。彼らが買ったものは,実は食べ物ではなくて,高級食材を食べるという体験だった。作曲家についても同じことで,曲を気に入って買った人は何も文句を言わないが,曲ではなく「全聾の作曲家」という context を買っていた人が多かったからこのような騒ぎになった。

だから,本来は誰も損をしなかったはずの,みんなが満足していたはずのことだった。だから,どちらの騒ぎも取るに足らないことのように僕は思うのだ。違うのだろうか。

僕は,context で物を買う,というのがよくわからないcontext は context として買う。だから全聾の作曲家について全く知らなかったし,食品偽装の店にも一度も行ったことはなかった。Context で買って裏切られたと怒る人間は自分が何をしたいのかわかっていない(物ではなく context を買っていることに気づいていない)のかな,騙す方も騙される方も,ついでに騒ぐ人たちも底が浅いなあ,とも思うが,他人のことはよくわからない。

むしろ世の中にはモノが多すぎて,context が付随しないと売れないということなのだろうか。中村優子が London から日本に帰ってきたときに渋谷の街を「うるさい」とひたすら言っていたのを覚えている。欧州は日本に比べて情報があふれていない。日本は東洋の文化圏だということなのだろうか。臺北も北京も,情報にあふれた派手な街であった。

久しぶりに反吐が出るようなものを見た。これを見て憤らない人間はどうかしている。いや,きっとそういう人たちがたくさんいて,そのせいで人間が死んでいくんだろう。

日本先天異常学会が,その home page に堂々と表示している「福島原発事故について」という文章だ。黒木良和という医師が2012年の研究会で講演したことのようだが,学会の homepage に大きく載っていることから,学会の公式声明に準じるものだろう。60 代以上の老人が書きそうな典型的な内容だ。早く死んでくれると本当にうれしい。

とりあえず読んでみてほしい。どうせ典型的な日本人は「まともな内容だ」と思うんだろう。僕はそんな人間とは(仕事は別にして,private では)できるだけ関わりたくないので,みしょに近づかないで下さい。


なにがクソなのか。学術的な内容は別にかまわない。最後の部分が,いかにもこの国をダメにした人間の代表という感じの内容なのだ。最後の「福島のこれから」という部分にはこのように書かれている。

  • 大部分の妊婦の放射線被ばく線量は低く,先天異常等遺伝的障害は発生しないであろう
  • がんの有意な増加が起こるとは考えにくい
  • 小児甲状腺がんの有意な増加も起こらないであろう
  • 汚染食品の適切な流通・販売規制,適正な除染,住民参加の放射能低減策の徹底など,内部被ばくを減らす努力で福島の将来は明るいと信じる
  • 過度な放射線防護で事故の副次的悪影響や健康被害を招いてはならない(チェルノブイリの教訓)
  • これから30年以上に渡り,全県民の健康調査(疫学調査)を継続すると共に,住民を心理社会的に支援する必要がある

わかるだろうか。発生しないだろう考えにくい起こらないであろう。「健康被害は発生しない」とは言えないのでこのような言い方をしている。これでは「Meltdown は起きないだろう」の時代と何も変わっていない。こういうそして極めつけの明るいと信じる。学会はポエムを発表する場所じゃないはずなんだけど。

極めつけが「全国民の生き方」だ。老害ここに極まれり。早く死ね。

  • これから30-50年間,超低線量放射線の存在下のこの国で暮らす覚悟が求められる
  • 放射線の正しい知識とリスク,個人レベルの放射線低減法を知り,自然豊かな国土で子どもたちや未来の世代を守っていく義務がある
  • 福島以外の住民は今こそ福島の復興と再建をあらゆる面から支える義務がある

覚悟が求められるだそうだ。なんだこの「られる」は。「私は全国民に覚悟を求める」ということを言いたいんだろうけれども,そこまでいう覚悟がないから「求められる」としてごまかしている。ごまかした結果として,なんとなくもっともらしい内容になっているけれども,その実体は「覚悟しろ」ということだ。「覚悟」が具体的に何に対する覚悟なのかよくわからないのだけれど,ひょっとしてこの国は危険なんだろうか。危険だけども覚悟して暮らせと言っているんだろうか。「危ないから逃げろ」ではなく「危ないから覚悟して暮らせ」ということなのだろうか。

自然豊かな国土で子どもたちや未来の世代を守っていく義務があるだそうだ。守っていかない人間はどうなるのだろうか。海外に住んでいる人間はどうなるのだろう。義務を果たしていないとして批難されるのだろうか。非国民だとして批難されるのだろうか。

福島の復興と再建をあらゆる面から支える義務があるも同じ。たんなる医者が,全国民に対して義務を課している。自分の身の程を知らない人間だ。そしてそれが学会の公式声明っぽくなっている。どうやら日本先天異常学会は,全国民に対して「日本にずっと住んで子供を守り福島を支える義務」を押しつけている。


責任所在の不明確な文章,科学的であるように見せかけて並べられた個人の信仰と妄想,科学者の領分を超えた国民への義務の押しつけ,その義務を果たさない人間を否定すること,その義務を果たせない人間が存在することを想像できないこと。まさに老人の書きそうな文章であり,こういう無責任さと押しつけが,原発事故や大東亜戦争を招いたのだろう。

10 年が過ぎたんだな,ということを考えずにいることは難しい。日の出前に目が覚めてしまったのだからなおさらだ。


10 年後から見返してみると当然なのだけれど,あの頃もやはりあまり精神状態はよくなかった。そもそも毎年 2 月は精神状態があまりよくないのだ,と気づいたのは数年前のことで,だから今よりも遥かに幼い当時の自分が直前にほとんど受験勉強ができなかったのは,今となっては当たり前のことに思える。

昨日,20kmほど歩いたり,ジョイフルで勉強したり,図書館で生物学とか法学とか心理学とか化学とか物理学の本読んだり,いろいろしました。すこし気分がまともになった気がします。

参考書を詰め込んで 2 日前に東京に来たのだけれど,勉強はほとんどしなかった。今は亡き万惣でホットケーキを食べたり(もしかしたら 2 日連続で食べたかもしれないし,frouits flambé や parfait 食べたような記憶もあるが,定かではない),ムダに慶應大学の合格発表を見に行ったような記憶もある。(試験会場から携帯電話で確認したような記憶もあるが,あれは早稲田だったような気もする。)

前日は当然のように眠れず,未明に飯田橋の,国道や歩道橋や首都高が高度に交わっているところの歩道橋で,ぼーっとしたりしていた。そのあとおにぎりを食べて,なんとか寝たような記憶がある。当時はまだ Internet は ubiquitous ではなかったので,hotel の lobby にある PC から 2ch につないでたんだった。

東大入試(前期)のあと,そのまま飛行機でびゅーっと帰ってこれたんだけど,これまで18ヶ月の苦労とか思い出とか,ひいては高校生活の思い出とか大分県で過ごした18年間とかをいろいろ考えながらのんびり帰りたいなぁと思って,わざわざ余分に¥24,420ほど払って寝台列車で帰ることにしました。

寝台特急「さくら」のことらしい。本当は「富士」がよかったのだけれど,試験後では間に合わなかったのでさくらにしたのだ。八重洲ブックセンターで安藤真幌さんと後期の青本を買いに行って(ただし結局まったく使わなかったけれども),さくらに乗って,,白いソニック(特急)のグリーン車,しかも海側座席指定(☆∀☆)。贅沢な話だ。


10 年前の僕は,なかなかよく頑張っていたらしい。それから 10 年,履歴書に書いてしまえば全く以て単純な経歴だけれどもそれでもいろいろ紆余曲折あって,なんだかんだで東京大学で研究者をやっている。

当時の僕は,10 年後のことを考えていたんだろうか。今の僕が 10 年後のことを考えていないように,やはり考えていなかったように思う。考えていたとしても職業という観点だっただろうから,「職業」が ill-defined になってしまったことまで考慮に入っていない以上,大した考えではなかったんだろう。それよりも,現在を生きるので精一杯だったのだと思う。

当時はまだ現在を生きていたように思うのは何故だろう。希望みたいなものがあったのか。今はむしろ,日々を淡々と生きることが重要に思える。それは老いたのであり,自分というものを知っていった結果のようにも思う。希望を追い求めているさまには生気は感じられて,それが「現在を生きる」ことのようだと思ったりもするけれども,それでもやはり当時の「現在を生きる」は,原罪たる希望に駆動された表層的な生であったように思う。


どうしてあの時のことをずっと思い出すのか,正確に言えばどうして 2004 年 2 月 25・26 日が自分の timeline の merkmal (基準点)になっているのか。そんなことを考えながら今朝も自転車を漕いでいた。

たぶん僕は,東京大学に合格することを,東京という街の正式な構成員として認められたということだと理解しているのだと思う。その「東京」というのは,当時抱いていた,秋葉原電気街や東京ゲームショウに代表されるような文化の発信源としての東京でもあるけれども,もっと本質的に,当時の僕が郷土で抱いていた疎外感に対応するような,多様性が許容される都市としての東京なのだと思う。


10 年が経って,その東京を離れようと試みている。10 年後はどこにいるんだろうか。とりあえず,目の前の double logarithm の処理と,今日の夕ご飯を考えるので精一杯だ。(鰤カマを作ろうかな?)