みしょのねこごや

Diary - 2013年12月

日本のひとたちが,砂浜に勢揃いして立って,遠くの過去を眺めているのが目に浮かぶような気がする。

せめても,日本人が人種差別の悪夢のなかで見た「戦後民主主義」という儚い夢をどこかに記録しておかなければ,と思う。

目が覚めたら全てが夢だったときの,あの哀しさとか空しさとか言ったような。

靖国神社参拝について

今日は『国家はなぜ衰退するのか』を読んで考えた,国家の盛衰の背景にある人間の本質と著者らの理論を日本に応用した場合の話を書こうと思っていた。のだけれど,そういう理論的なことを書いている場合ではなくなった。実体上の問題が生じたからだ。

総理大臣が靖国神社を参拝した。




参拝したことの是非に注目すると,泥沼にはまる。その論点から行き着く先は机上の空論であって暇つぶしにはもってこいだけれども,今回はそんな余裕はない。注目しなければいけないのはその結果として僕の生活がどうなるのかということである。(戦場で出撃している兵士が,その戦争の開戦自由が国際法上許容されるかどうかみたいなことを考えるわけがないだろう。)

直感的に「戦争だ」と直感できるのが一番よい。そしてその結果として,自分(あるいは自分の子供)が徴兵される,あるいは東京に核爆弾が落とされる,あるいは食料が不足する,そういったことを想像するのが一番よい。それが知性である。


もちろん理論的に考えれば答えは少し変わってくる。徴兵は現代戦では有効でないらしいから徴兵はされないだろうし,不足するのは食料よりも原油,そしてその結果としての電力と交通手段だろう。戦争の相手によっても変わってくるが,核はさすがに使わないだろうし,U.S.A. と敵対していなければ物資は全く不足しないだろう。それよりも,自由に海外旅行が出来なくなったり,Twitter に『戦争反対』などと書き込むと『非国民め!』という reply が 100 件ぐらい飛んでくる,というのが現実的なところだ。

さらに論理を駆使してさかのぼってしまえば,靖国参拝は“直ちに戦争に結びつくものではない”。注目すべき点をいくつか挙げる。まず安倍総理は今年,U.S.A. からの圧力を受けて特別秘密保護法を頑張って成立させようとしたが,その途中で公安筋か検察筋あたりから例の条文をねじ込まれ,その結果として世論の大反対にあいながら,それでも強引に成立させた。それで,U.S.A. に対しては「がんばったでしょほめてほめて」的な感情を抱いていた。だいたいあんな条文をねじ込まれることからも分かるとおり安倍総理は他の政治家と比べてそんなに頭が良いわけではないし,だからどうせ特別秘密保護法のことも良い法律だと心から思っているのだろう。そもそも親の地盤と看板と金とだけで政治家になったような人間だから,操り人形としては都合が良いのだろう。U.S.A. からの圧力にもちゃんと従って頑張って良い法律を作ったのに,政権支持率が落ちた。なんかヤバそうだし早めにやりたいことやっておこう。いまなら U.S.A. もちょっとぐらいなら見過ごしてくれるだろう。そんな感じで,あまり考えずに(誰かからそそのかされたりして)ついうっかり参拝しちゃったというのが現実だろう。そもそも今朝の報道を聞いたときに「対米追従の安倍さんだし,既に U.S.A. とは協議済みなんだろうな」と思っていた。ところがふたを開けてみれば「日本は価値ある同盟国であり友好国である。とはいえ,今回の件には失望した。」とか言われている。あれ,じゃあ,米国に持ち上げられたあとでハシゴを外されたか?と思っていると,今度は事前に反対していたとの報道。ということは,安倍総理は単なるバカであるということだ。情勢を読み違えたというよりは読んでなかったのだろう。さて,日本はこれまで「米国の犬」とも言われてきたが,僕は「親子」という言い方の方が適切だろうと考えている。その子供が親に向かって「もう子供扱いしないで!」と反抗した。これが本当の親子だったら良かったのだけれども実際には血縁関係にはないから,U.S.A. としては「はいはいそうですか」といった感じだ。つまり日本は米国の「家族」(飼い犬も家族だ,という向きもあることだし)ではなく,「他人」として生きる道を選ぼうとしている。そうすると U.S.A. にとって日本は「あのでっかい中国を相手にするときの手駒」の一つであり,秘密保護法の例の条文を見てもちょっと全体主義化がやばそうだから(米国にとってあの条文は必要ではなかった)いつでも切り捨てられるよう準備をしておこう,ということになった。就任したばかりの Kennedy 駐日大使の顔に完全に泥を塗った格好にもなったので,日米の関係改善は困難だろう。外交手腕ではなく総合力で選ばれた Kennedy 大使に対して就任一ヶ月にして外交上の難問をぶつけたのはこれは本当に失礼な話だ。折角 Perfume の concert に来てくれたのに,その翌日に「本国に伝える」との情けない姿をさらすとは思ってなかっただろう。そういうわけだから今後おそらく米国は日本をただの駒として扱うわけで,そうするとまずは日中戦争をすることになる。隣人であるところの韓国の感情を害したので,おそらく韓国は中立,どちらかといえば中国の側に着くだろう。最初の戦争は U.S.A. の『仲裁』もあって引き分け程度で終わるだろう(米国が家族だったら日本の判定勝ちぐらいにはしてくれたのだろうけれど)。満州事変みたいなものだ。そのあとしばらく,満州事変の後のように軍拡と小競り合いが続く。1925年に治安維持法が制定された12年後に盧溝橋事件が起きたことを考えると,2025年とか2030年ごろが「本番」だろうか。その頃には特定秘密保護法もなかなか趣深いものになっているだろう(法の締めつけはゆるやかに厳しくなる,というのは著作権法のときにみんな学んだでしょう?)ああ,そういえば憲法を忘れていた。日本人が反中・反韓で国粋主義的な雰囲気になっているので,憲法はちょうど2020年ごろに(東京五輪の熱狂に乗じるだろう),現代社会の最も根底に位置する立憲主義という人類の英知をすっかり忘れた,まるで中世のような名ばかりの憲法に改正されているでしょう。


というふうに書いてきたが,ここまで長々と書いてきたことには全く意味は無い。全部×を付けて消していい。すっかり忘れてしまっていい。こういうのが机上の空論というやつで,armchair に座ってぼーっと考えるための単なる暇つぶしの遊びに過ぎない。それよりも大事なのは「現実の空気」であって(日本人の好きなやつですね),何となく韓国や中国と敵対する流れが出来つつある,米国ともそんなに仲が良くない感じだ,そしてみんな何となくそれを許容してるっぽい,というところから戦争や徴兵までを一気に想像するのが,想像力,あるいは知性というやつだ。


日本人は机上の空論が好きらしい。(さっきから「きじょう」と打つたびに「騎乗」と変換されるのは,別に僕が騎乗位好きだからではないだろう。)このことを大庭亀夫という人物はと表現し,あるいは僕はと表現し,あるいはみゆきなん(最近会ってないなぁ。元気そうだけど。)は

なにが東京オリンピックだよアホか!!!招致するためにどんだけ裏金ぶっこんでんだよ!!!今はいーーっぱい他に金使うべき場所も案件もあるだろ!!それも忘れて,昨日まで大して興味もなくて覚めてた癖に,決まれば手のひら返して喜んでるやつも全員アホ。他にすることあんだろが!!!2020年絶対東京にいたくない。今の日本はお祭りっていう大義でもなけりゃ,盛り上がれないし,上も目指せないくらいしょぼいって事でしょう。憂うつでカラカラだったって事でしょ。ひっそり淡々と何かやることの意味が薄れて,目の前の事をどうにかすることも忘れて,お祭りくらいしか自分たちを奮い立たせることしかできなくてなにが日本人だよバカヤローー。五輪なんて大っ嫌いだ

と叫んだ。

そもそも,僕にこのことを気づかせてくれたのは,彼と彼女だったのだ。


余談だけれど,この発言を僕がパクって Facebook に書き込んだときの反応の 1 つがおもしろかった。お金を使べき場所も案件もたくさんあるけれど,金と論理だけじゃ人は動かないから大抵のことは予定通りに進まない。憂鬱でカラカラな人たちに,誇りと義務感だけで淡々と動けってのは無理な話で,物事を動かすにはどうしても感情に訴える大義名分が必要なんだよ。だから世界中の国々が,叶うならば自国で開催したいと立候補するわけで。夢と希望と目標がセットになってついてくる五輪ほどお得なイベントはないよ。それにもっとわかりやすい点だと,夏季五輪は基本的に黒字が確定しているので,巨大な黒字確定案件を獲得しましたって発表しているのに怒る人はそうそういないよね。というものだ。わかるかな。これが『自分の生活を生きていない』ということだ。と僕が言ったところで既にその差に気づいている人しか分からないだろうから仕方がないんだけど。これ,官僚とか資本家とかそういう為政者になったつもりの意見なわけね。学校教育は公教育だから,そういう目線で物を見てくれる人を創り出した方が都合が良いわけで,だからそういう風に考えるのが正解だったんだけど,そういった意味の優秀さはもう大事じゃないわけ。その基準で選別されて特に優れた人は東大の法学部とかに入って国家公務員とかになってるわけで,その選別に受からなかった人たちはもうそういう価値観を忘れた方がいいんだよ。