10月3日
建前
この度の東日本大震災でお亡くなりになった方々のご冥福を慎んでお祈り申し上げますとともに,震災および原子力発電所の事故によりこれまで通りの生活が出来なくなっている皆様に対しまして心よりお見舞い申し上げます。一日も早い復旧・復興をお祈り申し上げます。
とりあえずこう書いとけば後は何を言っても良いような気がするので,ここからは建前抜きの本音を話したいと思います。あまり読まない方が良いかもしれません。
東日本大震災からもう半年以上過ぎて,きっと日本人の 95% ぐらいはもう震災のことをすっかり忘れてしまったと思いますが,みなさまいかがお過ごしでしょうか。ちなみにみしょはもうだいたい忘れました。
この半年ぐらい,あの震災と原発事故をどう位置づければ ("settle") 良いか,自分の中でだいぶ考えていたのですが,ようやく見えて来たのでその話をちょっと書き残しておこうと思います。すべて個人的な感想ですし,何となく考えたことなので取り留めない感じになっています。
あまり読む価値はないと思います。
津波で死んだ人たちは
多分,津波で死んだ人たちは死ぬべくして死んだのです。
地震とそれに続く火事から死ぬのは,災害から死んだ,として位置づけることが出来ると思っていますが,例えば YouTube に上がっている津波動画の中で「逃げ遅れて」いる人たちを彼らと同一に見ることは出来ませんでした。
死んだ人と生き残った人を分ける多くのものがあり,それは例えば身体の健康だとか,危機意識だとか,あるいは優しすぎたりとか。そういったものの為に死んだ,という所に位置づけるのが妥当な気がしています。
でも一方で,災害から死んだということと死ぬべくして死んだということの間には何も違いは無いような気がします。例えば,地震で家屋の下敷きになって死んだ,というときに,地震の危険を低く見積もって耐震性の低い住居に住んでいたことを責任視することも出来る。死んだというのはただ単に賭けに負けたようなものだという気がしています。
別の言い方をすれば,地震だとか津波だとかそれ自体に責任を押し付けることは意味のないことであり,結局自分のことは全て自分の責任である,という感じがしています。それは新生児でも寝たきり老人でも同じことで,となると今度は「責任」というものがそもそも意味の無いもの (ill-defined) だという所に至りました。
結局,『僕の与り知らぬところで,なんかよくわからないけど 104人くらいが勝手に死んでいった』ということ(事実)で語り尽くされているのでしょう。
そうすると別に僕はアレで死んだ人たちの冥福を祈る気持ちも無いし,別に東北が復興しようとしなかろうとどうでもいいし,あるいは原発事故も僕にはあまり関係ないことです。まぁ,輪番停電をやる,と聞いたときには自宅の server をどうしようかとあれこれ考えましたし,大学の elevators が一部止められて不便だった,という程度の「関係」はありましたが,その程度でした。放射能も僕にはあまり関係ないです。
いま「無責任」という言葉が頭の中を過りましたが,途中で「責任が ill-defined である」を経ているので,無矛盾 (consistent) です。
ところで善良な市民であればこのような考えを表明することは彼の評判や信頼を落とすことになりそうなので言わないものです。僕は基本的に他人を小馬鹿にしているので,こういうことを書くのが好きです。
翻って原発事故はどうか。結局これも同じ構造でしょう。
原発の近くに住むことで原発の恩恵を享受してきただろうし,あるいは東京に電力が潤沢にあることでこの国の経済が回っていたとして間接的に原発の恩恵を享受して来たとの主張も論理的には可能だし,あるいは原理的には原子力発電所の設置とその誘致は民主主義からの帰結であるので,民主主義(あるいは市場主義)を前提にすると,彼らが勝手に原発の近くに居てその危険性を過小評価してきた為に,このように疎開することになった,ということころに落ち着けるのは極めて容易です。
というわけで僕は彼らがどうなろうと何も気にしない。けれども彼らに対して補助をしないと為政者は選挙に勝てず,他の分野の国政が回らないだろうから……まで考えて,彼らへの支援を肯定する。結局そこに落ち着いてしまうと感じています。
台風の日の首都圏
先日首都圏に台風がやってきたとき,首都圏の駅は大混雑し,あるいは新幹線が運転を見合わせたために多くの人たちの予定が狂いました。彼らの行動は,僕にとって理解できないものでした。
暴風域を伴った台風が接近したときに交通機関が混乱するのは当然です。新幹線が午後から運転を見合わせることは明らかだし,台風が抜けた後もなお復旧しないということも,ちょっと考えればわかることです。可能性として,停電が起きて復旧に時間がかかること,河川の増水が引かないこと。台風通過後の復旧見込みは,短くて3時間,長くて一晩。
また,15時頃から帰宅を試みることは,死ににいくようなものです。運行状況の乱れから駅が混雑し,帰宅が困難になることは予見可能であり,その場合には台風通過時に屋外に居ることにもなりかねません。洪水が起きるかもしれないし,花瓶などが飛来して死ぬ虞もある。
更に,あの日に傘を壊した人たちはただのバカです。台風のときに傘が役に立つわけがない,ということも明らかです。
彼らの行動は理解できない。僕から見れば,帰宅難民はみんな帰宅難民になりたがっていたし,傘を壊した人は雨に打たれたかった。夕方外出していた人たちはみんな自殺志願者だった。
あの日の「正しい」行動は,例えば外出せずに一日中家にいること。あるいは午前中に出社して,深夜に帰宅すること。15時から19時の間は決して外出してはならなかった。傘ではなくて雨がっぱを持っていくべきだったし,東海道新幹線に乗る予定があるのなら午前中に乗るべきだった。これらは全て容易に考え浮かぶことだし,あの日の混乱は全て予見されていたものだった。
彼らは皆「帰宅困難になりたかったがゆえに帰宅困難になった」「どうしても傘を壊したかった」のだ,と気づいたとき,「津波で死んだ人も,みんな死にたかったのだ」という結論に達しました。もう少し正確に言うと,最初の表現「津波で死んだ人たちは死ぬべくして死んだ」になります。
あの台風の日に外出した人,何か計画に狂いがあった人は,きっと津波に飲み込まれて死ぬのでしょう。まぁ,僕には関係のないことなので,勝手に死んでもらってかまわないのです。