みしょのねこごや

Diary - 2007年10月

新学期が始まった。あと8単位で卒業。あと2単位で生物情報科学学部教育program修了。

今学期は講義13コマ+特別実験(火・木)+素粒子論seminar(土)+Peskinians Seminar(日)の予定。半端なく忙しい。既に死んでる。

駒場には週2回行く予定。工学部にも行く予定。文学部を2つ取るかどうかは迷い中。

twitterが日本で流行るだろう,と予想していたが,いつのまにかfeecleなる日本語のserviceが流行ってるので早速登録してみた

twitterは比較的濃い(professionalな)人たちが多くて,技術的。feecleはいわゆる一般人が多くて,mixi的。mixiがCSRF脆弱性やら微妙なdesign変更やらで色々アレな中,feecleは流行りそうな気がする。


ちなみにfeecleはかなり良い。僕がtwitterに抱いていた「ここをもっとこうすれば……」という箇所が全て満足されている。

今朝は駒場で数学科。解析力学。

午後から文学部の講義(古代史)に潜り込もうと思ったが,何か教室が僕の部屋より小さかったし,学生が他に2人しかいなかったのでヒヨったww。これは無理だww。

仕方ないから次のアラビア語の予習をするお。

最近懸念していること

今日は10月6日。明日と明後日は今月最後の休日なので,今晩は時間がある。というわけで,最近気になっていることを全部書いてしまうことにする。


短期的な話(1) --- 沖縄歴史教科書問題

日本人ならば当然この問題については各自思うところがあるのだろう。僕も勿論思うところがある。

第1に,「大事なのは史実」ということだ。日本史の教科書なのだから,政治的問題やら朝日新聞社の方針やらは考慮せず,史実を伝える必要がある。

例えば中国などでは,「正史編纂」と云うように,自分の王朝の都合の良いように歴史を改竄する作業が伝統的に行われてきた。これ位は高校で世界史をやった人なら誰でも知っていることだろう。中国は歴史が長く,様々な王朝の興亡があったので,「せいとうせい」というのはとても重要だろう。勿論話は中国に限ることではなく,日本でも同様のことは少なからず行われただろう。世界史を学ぶ意義の1つ「歴史に学ぶ」を適用すると,まず,人は少なからず自分の都合の良いように歴史を改竄したがる傾向にあることが分かる。

僕は,しかしその傾向を理性と知性で抑えて,本当はどうであったのかを調べ,更にどのような圧力が精子を作ろうとしているのか,つまり史実をねじ曲げようとしているのかを知らなければならない,と考える。そして,日本人ならこれに共感してくれるものと信じる。

たかだか60年前のことである。60年前の史実さえ容易にねじ曲げられるような国民に何が出来よう。沖縄歴史教科書問題は,日本人の知性と理性を試している。

さて,じゃあどっちなのか。強制は有ったのか無かったのか。そんなことは僕には分からない。分からないけれども,分かることはいくつかある。

ひとつめ。当時の教育を受けた人間なら,捕虜よりは自決を選んで当然だと云うこと。つまり,若者達は軍に「間接的に」強制された,ということは間違いないこと。幸いにしてこれは教科書も残っているし,証言も一貫している。

ふたつめ。沖縄の人の証言はアテにならないこと。60年前のことなのに,人によって証言が食い違う。ぼけ老人の戯言なのか,或いは圧力の結果か。前者の方が脳としてはまだマシだと思うが。というか,軍の関与を沖縄の人の証言で示すのは難しそうだ。軍人個人の命令なのか組織的な命令なのか,は,証言からでは分からない。

みっつめ。どうやら沖縄県民は「強制はあった」と云う方向に圧力をかけたいということ。2ちゃんねるでもさんざん指摘されているが,あの集会が11万人であることは疑わしい。その上,警察も人数を「把握しているが発表しない」と云う。どうやら沖縄県民……は言い過ぎかもしれないが,少なくとも沖縄県警の知性はその程度のようだ。2週間前に行ったばかりの所を悪く言わねばならないのは残念だが。

よっつめ。どうやら朝日新聞とか古館伊知郎は「強制はあった」と云う方向に持っていきたいようだ。一方2ちゃんねらーは「なかった」と云う方向に持っていきたいようだ。

残念ながら僕に分かることはこの程度しかない。しかし,少なくともこれは間違いなく正しい,と僕は確信している。


第2に,宗教性という問題である。

例えば,合唱の魅力の1つに,声を揃えて歌うことによる一体感,というのがある。般若心経を大勢で読むのもなかなか盛り上がるし,創価学会の葬式などで題目をみんなで読むのもとても良い。「僕も弔ってる!」という気がするではないか。和尚さんの読経を聞いていてもただ眠いだけである。まぁ大乗仏教とか云うやつなんだろうけど,でも聞いてるだけで功徳があるなんてのは怠惰な人間の方便としか思えないんだな。僕は創価学会のあの勧誘の強引性とか脱退の難しさとかは大嫌いだが,この上座部仏教的な価値観は大好きである。とか言っておいて,もし実際に入っても熱心に勤行するわけがないのは火を見るより明らかだが。(僕は勿論学会員ではない。念のため。)

何が言いたいかというと,一体感を伴って何となく盛り上がってしまうと,それは政治集会というよりは宗教集会になる,ということだ。或いはもっと言うと,政治問題とか政治議論などでは(絶対の真実が存在しないので)ちょっと手を加えるだけで宗教的になってしまうのだ。

勿論,当人達は「自分は絶対正しい」と思っている。ပ္ရည္‌ထောင္‌စုမ္ရန္‌မာနိုင္‌ငံတော္での,民主化を要求する集団示威運動に参加していた人々も,沖縄の糸満公園に集まった人々も,地下鉄にsarinを撒いたオウム真理教信者も,自分は絶対に正しい,と思って行動しているのだろう。勿論2ちゃんねるで朝日新聞を批判している人々(僕を含む)もそうである。そういった意味で,そういう「一体感を伴って何となく盛り上がって」いるような状況に立ったとき,その場面というのには幾分かの宗教性が含まれる。そして往々にしてそれは完全に宗教となる。

宗教性には十分注意せねばならない。これは僕の専門である科学の世界についても言えることである。地球温暖化も一種の宗教であり,超対称性理論は宗教にとても近い。

宗教が悪いと言うつもりはない。大事なのは,自分が今宗教の中にいることを知っておくことである。これは,その宗教を外から相対化する為に最低限必要な条件である。

さて,この最低限の条件を満たせたなら,「第1の点」の議論,つまり史実はどうなのかという議論に歩みを進もうではないか。


短期的な話(2) --- 麻生太郎議員

麻生太郎議員が,2ちゃんねるやニコニコ動画,秋葉原などで人気だ。しかし,これも気をつけないと宗教に陥ってしまいそうである。

一般に,2ちゃんねるで大人気になったときには,ちょっと気を付けなければならない。2ちゃんねるという性質上,若干の宗教性を含んでしまう。

それにmass mediaが飛びついて,番組上で持ち上げ始めたらいよいよ大変である。Mass mediaというのは完全に宗教団体なので,彼らが持ち上げたものはその瞬間に多分に宗教性を含む。そしてtelevisionというのは馬鹿の為にあるものなので,televisionの放送局は一度持ち上げたものは必ずいずれは非難し,貶す。ほら,現に最近「小泉改革の負の遺産」とか言われ始めただろう。

補足しておこう。Televisionというのは視覚と聴覚に影響を及ぼす上に,完全に受動的であるので,televisionを見ている人間は「白痴化」する。ちょっと持ち上げると,ちょっと盛り上がる。そしてどんどん盛り上げれば加速度的に盛り上がっていく。白痴化しているから制動が効かないのだ。そして,庶民は「あの偉い人は最低だ!」みたいな話が大好きだ。そうでもしないと今の自分が見窄らしく思えてしまう。だから或る程度上がったものを叩き落とせば,またこれは盛り上がる。

どうも僕には,最近のmass mediaの「麻生持ち上げ」は,2ちゃんねら(あるいは若者)の「麻生好き」を利用して,「福田潰し」の伏線を作っておこう,という営みにしか見えない。穿ちすぎだろうか。

僕は麻生太郎さんが大好きだ。2ちゃんねらもアキバ系も多くが麻生支持だ。しかし,では麻生太郎以外はダメなのか。その点を十分注意しなければ,またmass mediaの術中に填ってしまう可能性がある。これで福田内閣の行政が停滞したら,それはかなり日本国の大問題である。2ちゃんねらは十分注意して欲しい。

短期的な問題(3) --- ပ္ရည္‌ထောင္‌စုမ္ရန္‌မာနိုင္‌ငံတော္での民主化を求める運動

この問題は難しい。そして中長期的な問題である。残念ながら,民主化問題については僕は何も言えそうにない。こういう問題がある,ということは以前から知っていたが,しかし当事国の実状については殆ど何も知らないのだ。言葉だけを聞けば「民主化」というのは何となく良いような気がするが,しかし素人が適当なことを言うのは良くない。何せ,首都を先日までYangonだと勘違いしていたのだから。

しかし,日本人記者が死んでしまったという問題については短期的問題であり,誰でも理解できる話だ。

これは,取るに足らない問題などでは決してない。「自己責任論」を展開されたどっかの馬鹿達とは全然違う問題である。このことを国民は良く理解し,そして国は軍事政権に対して強硬に対応すべきだ,と考える。

まず注意しなければならないのは,民主化運動に対して行うのは「治安回復の為の措置」であるべきだ,という点である。単純に攻撃すれば良いというものではなく,攻撃を実行するかどうかの判断は慎重に行われなければならないし,攻撃自体も非常に慎重に行われなければならない。流れ弾に当たったのならば,まぁ仕方がないのだけど。

そして次に,外務省の当時の危険情報は「渡航の是非検討」だったということだ。その状況ならば,「今を伝える」ことに情熱を燃やす記者ならばそりゃあ行くだろう。

或いは,被害者が記者であった,というのも問題といえば問題である。軍事政権が知性と理性を持っているならば,報道関係者に弾が当たらないような配慮を(可能ならば)すべきだったはずだ。勿論当時の状況を知らないので,例えば弾が飛び交うような状況ではそりゃあ流れ弾に当たって死ぬこともあるだろうが,例えば参加者数人をねらい打ちしたのならば,それくらいの配慮は出来たのかも知れない。まぁ,流れ弾に当たって死ぬのは仕方がないことなので,あまりこれをうるさく言うつもりはない。

最も問題なのは,その後の対応の問題だ。至近距離で打たれた疑惑がある,というのには今後の調査が待たれる所であるが,問題は,cameraが返却されない,ということである。これは非常に心証の面からも,或いは「知性と理性」の考え方からも良くない。何としてでもcameraを取り戻さなければならないだろう。

このような理由から,この死亡事件はとても大きな問題なのだ。政府の「渡航延期勧告」と「退避勧告」を無視して「戦場」に突っ込んでいき,そして彼らを解放させるために被害者家族が「自衛隊の撤退」を要求し(普通はこういう場合は「死んでも良いから政府の好きにして」というのがスジだろう。),まさに「武装勢力の交渉道具」になってしまった馬鹿な「volunteer」や「記者志望の学生」とは,まさに雲泥の差なのだ。

補足しておくが,当時,記者も人質になっていたと思うが,その記者はまだマシだ,と僕は考える。また,別に僕は武装勢力が悪で,その交渉道具になったからダメだ,と言うのではない。日本政府の判断を曇らせるような行動をするのがダメだと言っているのだ。


中長期的な問題達

すぐに片づくことではないけれども懸念している問題がいくつかある。

まず,中国とどう付き合うか。別に北朝鮮はどうでもいい。核爆弾を用いても,所詮東京が吹っ飛ぶ程度で,日本自体に問題はない。ただ,中国がもしも本気で「脅威になろうとする」ならば,日本自体がどうにかなりかねない。

次に,日本の科学技術の問題。かぐやが月周回軌道に乗ったことに安心しているが,京速computerは実現するのか,学力低下にどう対応するのか,など,気になることはたくさんある。

勿論日本の政治も気になっている。とりあえず「毎月16,400円払えば,35年後に毎月数十万円もらえますよ」とかいうような,どっかの悪徳会社みたいな制度(たしか「こくみんねんきん」とか言ったような気がするが)の督促は無視することにしたが,さてこれからの少子高齢化,どうなるのかなぁ。

ところで,Soomaaliyaはどうなったのだろう。あの辺は安定したのか。他にも沢山の失敗国家がある。その国々は今どうなっているだろう。

地球温暖化についての宗教的対立も問題だ。地球温暖化は問題なのか問題でないのか。科学の限界を露呈する結果となりそうだ。

中华人民共和国と中華民國との対立も気になっている。沖縄がその道具になることも懸念するし,台灣海峡の航路の問題もある。

中华人民共和国といえば,Россияと並んで,環境問題が気になる。食の安全性もあるが,中国経済が今後どうなるのは世界経済にも大きな影響を及ぼすことと,環境や食の問題は北京五輪などをthroughするあたりで中国経済の今後を左右することを考えると,なかなか深刻な問題だ。


他にも色々と気になっていることはあるのだが,今パッと他の重要な問題を思い出せないし,思い出せる問題はどれもこれらに比べればそれほど大事じゃないし,そして何よりそろそろ10月7日の太陽が昇るので,これくらいにしておこう。

嘱託殺人。殺してくれるなら有り難いものだ。愛の流刑地みたいな話。本質は同じ。


流動性危機が生じそうだ。剰余資金は数十万円あるが,流動的資金が5万円(と生活費)しかない。そこに住居の賃貸借契約更改手数料6万円が請求された。1万円足りない……。定期解約?


まぁ,定期を担保にして借りればいいのだけど,でも何となく金利が勿体無いw。2円ぐらいだけどww

金曜日

金曜日は唯一の休日。

朝から駒場に行く。10時40分の混雑はよく知っているので,10時25分に渋谷に着くようにがんばった。新学期早々だから学生も多い。さっさと減れ。

数学科的な解析力学。これは山本義隆の復習になって楽しい。授業進度がとてもゆっくりだから快適だ。ちなみに単位は付かない(ノ∀`) アチャー

そして昼休みに本郷へ。途中で表参道で優雅な昼ご飯。そのせいで3限に遅刻。

3限はالإسلام法。専門分野とは全く関係ないし,ただただ言われたことを学ぶだけで良いので楽だ。そして4限のالعربية。不規則動詞の変化に本気で絶望した。そうしているうちに100年……ではなく100分が経っていたのだと気づいた。

そしてPeskinを読んで帰宅。

どようび

土曜日はseminarの日。日曜日もseminarの日。というわけで朝から本郷へ。

精神に憑いていた重い気分を晴らすためにpianoを弾くが,右手の力が抜けなかったため残念。

今日のseminarはWeinbergの2.5と2.6。基礎的な部分なのでじっくり。質量が無い粒子は扱いづらい。

そして明日のseminarの予習をして帰宅。毎日が午前様。Mr. Morningがeveryday。なんという。


今学期(……だけかは分からないが)はとにかく忙しくて精神的に余裕がない。まぁ精神に余裕があるとそこからむしばまれるから,ギリギリの方が良いんだけど。

週に3回seminarがあるというのが致命的で,このせいで土曜と日曜がつぶれ,毎日18時から24時までがつぶれる。っていうか土曜と日曜に両方seminarとか,本当に無理だ。あと,実はナニゲにال عربيةがかなり負担だ。電車の中と自転車の上と食事時間と木曜日がこれでつぶれる。


彼は「救いが欲しい」と言ったが,救いなんてそもそも無いのだから,初めから色々なものを諦めていた方が良い。信じる者は救われる,というが,明らかに報酬が投資額に見合わないのでこれは間違いだ。

死なないから生きている,という立場は楽なのだ。楽じゃなくなったら死ねばいいのだから。

かくのごとく何も考えずにただ黙々とseminarをし,講義を受け,実験をし,という生活で生きていけるのは,よく考えたら,というかよく考えなくてもとても幸せなことなような気がする。

一方,生きる意味も価値も楽しみも理由も無いままにただ黙々と目の前の予定をこなす生活は,そうでない人(数年前の僕のような)から見ればとても不幸せなことなような気がする。

しかしそういう幸せとか不幸せとかいうものを全て取り払って生きているので,結局ここが一つのpotentialの極小点なのだ。

生きる意味も価値も楽しみも理由もいらない。


いらない,というのは日本語としてすこしちがうか。

にちようび

にちようびは朝からseminar。今日は発表の日だったが,相変わらず寝坊して5分遅刻した。あまり頭が回らなかった。どうもPeskinは苦手だ。

その後,夕食に回転寿司を食べて,さっさと帰宅。とは言っても22時なのだけど。

そして裁縫。指に針を刺してしまった。それも,尖ってないほうを。糸がきれいに赤くなった。

世界広しといえども,針の尖ってない方を指に刺してしまったことのある人間はそうそういないのではないかとおもう。

また何かTBSが偏向報道したらしいですね。まぁ捏造の朝日,偏向のTBS。いつものことです。

TBSの人間も,TBSの番組なんて見てる人間も,白痴ばかりですから仕方ありませんね(ノ∀`) TV programなんて,知性に障碍のある人間の見るものですから。


そういえば,TBSは亀田親子を応援してたようですが,処罰が下りそうになると途端に非難を始めたようですね。

まぁ亀田親子は微笑ましいバカですからどうでもいいのですが,TBSのこの変わり身の早さは何なのでしょうか。

連帯責任を回避したのか,世論に迎合してバカな視聴者を欺くつもりなのか,それともガンガン非難して知的障碍者どもの同情を誘うつもりなのか。知性に障碍があると,往々にして判官贔屓になりますからね。

これで同情の土壌を醸成しておいて,来年あたりまた亀田で一儲けするつもりなのでしょう。「反則行為で非難されまくって改心して復活」とか。こういうのを喜びそうな人たちはたくさん居ます。単に,知的障碍だからです←結論。

しんどい。ただただしんどい。疲れた。疲れた。疲れた。

何というか,終わりの見えない長距離走のような。今自分が何km地点に居るのかが分からないからとても辛い。いつが死ぬときなのか。それが分からないのが一番辛い。

出来るだけ早いほうが良い。ついうっかり明日死んでしまってもそれはそれで構わない。今なら死んでも全然問題ない。10年後にもまだ生きてることなんて想像したくない。

きょうもしっかりゆううつでした。

あぁ生きるのが面倒だ。さっさと死んでしまえばいい。


死ぬのなら確実に。死ぬときはゲンミツに。

なかなか難しいから困る。衝動的にゲンミツに死ねる方法があれば,自殺はより一般化するだろう。

あははははははははははははははははははははは

今日は奇跡的にヒマだ。19時30分に帰宅だなんて何日ぶりだろう。というか「午後」の帰宅自体が5日ぶりだ。

しかもやらなきゃいけない勉強もほとんど無い。こんな日は3週間ぶりだ。

だから掃除をしよう。そしてひたすら眠ろう。明日も朝から学校だから。

生きていること自体はもはや宗教的な何かで,その宗教に浸かっている人間から見れば自殺は忌むべき行為だろう。逆にその宗教を信じない人間は速やかに死なねばならない。これが自然淘汰の繰り返しの帰結。これは一種の致死表現形なのだろうから,そのような表現形を持った僕のような人間はさっさと死んでしまえばいい。自殺を志願するような人間は死んでしまった方が自然にそぐっている。そして既に自殺をした人間は全く以て正しいわけだ。

それにしても日本の自殺者30000人のうちほぼ半数が無職だというのが面白い。やはりそのような人間(表現形が生存に不利だった人間)はさっさと死んでしまうのだ。当たり前と言えば当たり前だけど。


あれ。自殺原因の統計の中には,生活問題とか健康問題はあるけど,精神問題という項目は無いのだな。そのようなcategorizeは為されていないのか。まぁ精神問題なんてのは脳の異常だから,病死ってことにしといてくれると嬉しいんだけどなぁ。

それにしても,日本では知能に異常のある人間が多数派を占めていて,僕のような精神に異常のある人間は少数派なのだなぁ。自殺はダメだ,なんて云ってるのは,精神的に非常に健康的で,かつしっかりした知能を持っている人間と,それからそれにぶら下がっている人々であるかのような気がしてきた。思いこみだな,うん。これはさすがに言いすぎだ。まぁ,馬鹿は死ななきゃ治らない,だから多数派を占める。困ったものだが,自然の摂理ではある。


あーあ。


またつまらないことを書いてしまった。精神に異常があるというのもこまったものだ。


ってかもうこんな状態になってしまったら,譬え死ななかったとしても,マトモな生き方は出来ないなww。こんなのでまともに生きていけるはずがないw。

まぁいいさ。奇人とか変人とかとして過ごせばいいさ。

やっぱり精神に異常がある人間よりも知能に異常がある人間の方が得だなぁ。


あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは

最低だよ!最低!!


最低の人間!これ以上ひどい人間は見たことがない!さっさと死んでしまえ!死んで何もかも終わればいい!何もかも終わってしまえwwwwwwwwwwwwwwww

毎日,目が覚めて,あぁまだ生きているのか,と落ち込む。そしてもう一眠りして,いつの間にか昼を過ぎてしまっている。

いつになったら死ねるのか。それだけをただ楽しみに,頼みにしながら死までの期間を過ごしている。


まだ生きてる。憂鬱だ。

最悪な状況に置かれても精神が健全ならまだ何とかなる。

端から見て大した状況でなくても精神が終わってればもうさっさと死んでしまえばいいんだ。今日も死ななかった。それともやはり自分で死なねばならないのか。

あの子はどうやって自殺したのかなぁ。あいつはどうやって自殺したのかなぁ。