最近懸念していること
今日は10月6日。明日と明後日は今月最後の休日なので,今晩は時間がある。というわけで,最近気になっていることを全部書いてしまうことにする。
短期的な話(1) --- 沖縄歴史教科書問題
日本人ならば当然この問題については各自思うところがあるのだろう。僕も勿論思うところがある。
第1に,「大事なのは史実」ということだ。日本史の教科書なのだから,政治的問題やら朝日新聞社の方針やらは考慮せず,史実を伝える必要がある。
例えば中国などでは,「正史編纂」と云うように,自分の王朝の都合の良いように歴史を改竄する作業が伝統的に行われてきた。これ位は高校で世界史をやった人なら誰でも知っていることだろう。中国は歴史が長く,様々な王朝の興亡があったので,「せいとうせい」というのはとても重要だろう。勿論話は中国に限ることではなく,日本でも同様のことは少なからず行われただろう。世界史を学ぶ意義の1つ「歴史に学ぶ」を適用すると,まず,人は少なからず自分の都合の良いように歴史を改竄したがる傾向にあることが分かる。
僕は,しかしその傾向を理性と知性で抑えて,本当はどうであったのかを調べ,更にどのような圧力が精子を作ろうとしているのか,つまり史実をねじ曲げようとしているのかを知らなければならない,と考える。そして,日本人ならこれに共感してくれるものと信じる。
たかだか60年前のことである。60年前の史実さえ容易にねじ曲げられるような国民に何が出来よう。沖縄歴史教科書問題は,日本人の知性と理性を試している。
さて,じゃあどっちなのか。強制は有ったのか無かったのか。そんなことは僕には分からない。分からないけれども,分かることはいくつかある。
ひとつめ。当時の教育を受けた人間なら,捕虜よりは自決を選んで当然だと云うこと。つまり,若者達は軍に「間接的に」強制された,ということは間違いないこと。幸いにしてこれは教科書も残っているし,証言も一貫している。
ふたつめ。沖縄の人の証言はアテにならないこと。60年前のことなのに,人によって証言が食い違う。ぼけ老人の戯言なのか,或いは圧力の結果か。前者の方が脳としてはまだマシだと思うが。というか,軍の関与を沖縄の人の証言で示すのは難しそうだ。軍人個人の命令なのか組織的な命令なのか,は,証言からでは分からない。
みっつめ。どうやら沖縄県民は「強制はあった」と云う方向に圧力をかけたいということ。2ちゃんねるでもさんざん指摘されているが,あの集会が11万人であることは疑わしい。その上,警察も人数を「把握しているが発表しない」と云う。どうやら沖縄県民……は言い過ぎかもしれないが,少なくとも沖縄県警の知性はその程度のようだ。2週間前に行ったばかりの所を悪く言わねばならないのは残念だが。
よっつめ。どうやら朝日新聞とか古館伊知郎は「強制はあった」と云う方向に持っていきたいようだ。一方2ちゃんねらーは「なかった」と云う方向に持っていきたいようだ。
残念ながら僕に分かることはこの程度しかない。しかし,少なくともこれは間違いなく正しい,と僕は確信している。
第2に,宗教性という問題である。
例えば,合唱の魅力の1つに,声を揃えて歌うことによる一体感,というのがある。般若心経を大勢で読むのもなかなか盛り上がるし,創価学会の葬式などで題目をみんなで読むのもとても良い。「僕も弔ってる!」という気がするではないか。和尚さんの読経を聞いていてもただ眠いだけである。まぁ大乗仏教とか云うやつなんだろうけど,でも聞いてるだけで功徳があるなんてのは怠惰な人間の方便としか思えないんだな。僕は創価学会のあの勧誘の強引性とか脱退の難しさとかは大嫌いだが,この上座部仏教的な価値観は大好きである。とか言っておいて,もし実際に入っても熱心に勤行するわけがないのは火を見るより明らかだが。(僕は勿論学会員ではない。念のため。)
何が言いたいかというと,一体感を伴って何となく盛り上がってしまうと,それは政治集会というよりは宗教集会になる,ということだ。或いはもっと言うと,政治問題とか政治議論などでは(絶対の真実が存在しないので)ちょっと手を加えるだけで宗教的になってしまうのだ。
勿論,当人達は「自分は絶対正しい」と思っている。ပ္ရည္ထောင္စုမ္ရန္မာနိုင္ငံတော္での,民主化を要求する集団示威運動に参加していた人々も,沖縄の糸満公園に集まった人々も,地下鉄にsarinを撒いたオウム真理教信者も,自分は絶対に正しい,と思って行動しているのだろう。勿論2ちゃんねるで朝日新聞を批判している人々(僕を含む)もそうである。そういった意味で,そういう「一体感を伴って何となく盛り上がって」いるような状況に立ったとき,その場面というのには幾分かの宗教性が含まれる。そして往々にしてそれは完全に宗教となる。
宗教性には十分注意せねばならない。これは僕の専門である科学の世界についても言えることである。地球温暖化も一種の宗教であり,超対称性理論は宗教にとても近い。
宗教が悪いと言うつもりはない。大事なのは,自分が今宗教の中にいることを知っておくことである。これは,その宗教を外から相対化する為に最低限必要な条件である。
さて,この最低限の条件を満たせたなら,「第1の点」の議論,つまり史実はどうなのかという議論に歩みを進もうではないか。
短期的な話(2) --- 麻生太郎議員
麻生太郎議員が,2ちゃんねるやニコニコ動画,秋葉原などで人気だ。しかし,これも気をつけないと宗教に陥ってしまいそうである。
一般に,2ちゃんねるで大人気になったときには,ちょっと気を付けなければならない。2ちゃんねるという性質上,若干の宗教性を含んでしまう。
それにmass mediaが飛びついて,番組上で持ち上げ始めたらいよいよ大変である。Mass mediaというのは完全に宗教団体なので,彼らが持ち上げたものはその瞬間に多分に宗教性を含む。そしてtelevisionというのは馬鹿の為にあるものなので,televisionの放送局は一度持ち上げたものは必ずいずれは非難し,貶す。ほら,現に最近「小泉改革の負の遺産」とか言われ始めただろう。
補足しておこう。Televisionというのは視覚と聴覚に影響を及ぼす上に,完全に受動的であるので,televisionを見ている人間は「白痴化」する。ちょっと持ち上げると,ちょっと盛り上がる。そしてどんどん盛り上げれば加速度的に盛り上がっていく。白痴化しているから制動が効かないのだ。そして,庶民は「あの偉い人は最低だ!」みたいな話が大好きだ。そうでもしないと今の自分が見窄らしく思えてしまう。だから或る程度上がったものを叩き落とせば,またこれは盛り上がる。
どうも僕には,最近のmass mediaの「麻生持ち上げ」は,2ちゃんねら(あるいは若者)の「麻生好き」を利用して,「福田潰し」の伏線を作っておこう,という営みにしか見えない。穿ちすぎだろうか。
僕は麻生太郎さんが大好きだ。2ちゃんねらもアキバ系も多くが麻生支持だ。しかし,では麻生太郎以外はダメなのか。その点を十分注意しなければ,またmass mediaの術中に填ってしまう可能性がある。これで福田内閣の行政が停滞したら,それはかなり日本国の大問題である。2ちゃんねらは十分注意して欲しい。
短期的な問題(3) --- ပ္ရည္ထောင္စုမ္ရန္မာနိုင္ငံတော္での民主化を求める運動
この問題は難しい。そして中長期的な問題である。残念ながら,民主化問題については僕は何も言えそうにない。こういう問題がある,ということは以前から知っていたが,しかし当事国の実状については殆ど何も知らないのだ。言葉だけを聞けば「民主化」というのは何となく良いような気がするが,しかし素人が適当なことを言うのは良くない。何せ,首都を先日までYangonだと勘違いしていたのだから。
しかし,日本人記者が死んでしまったという問題については短期的問題であり,誰でも理解できる話だ。
これは,取るに足らない問題などでは決してない。「自己責任論」を展開されたどっかの馬鹿達とは全然違う問題である。このことを国民は良く理解し,そして国は軍事政権に対して強硬に対応すべきだ,と考える。
まず注意しなければならないのは,民主化運動に対して行うのは「治安回復の為の措置」であるべきだ,という点である。単純に攻撃すれば良いというものではなく,攻撃を実行するかどうかの判断は慎重に行われなければならないし,攻撃自体も非常に慎重に行われなければならない。流れ弾に当たったのならば,まぁ仕方がないのだけど。
そして次に,外務省の当時の危険情報は「渡航の是非検討」だったということだ。その状況ならば,「今を伝える」ことに情熱を燃やす記者ならばそりゃあ行くだろう。
或いは,被害者が記者であった,というのも問題といえば問題である。軍事政権が知性と理性を持っているならば,報道関係者に弾が当たらないような配慮を(可能ならば)すべきだったはずだ。勿論当時の状況を知らないので,例えば弾が飛び交うような状況ではそりゃあ流れ弾に当たって死ぬこともあるだろうが,例えば参加者数人をねらい打ちしたのならば,それくらいの配慮は出来たのかも知れない。まぁ,流れ弾に当たって死ぬのは仕方がないことなので,あまりこれをうるさく言うつもりはない。
最も問題なのは,その後の対応の問題だ。至近距離で打たれた疑惑がある,というのには今後の調査が待たれる所であるが,問題は,cameraが返却されない,ということである。これは非常に心証の面からも,或いは「知性と理性」の考え方からも良くない。何としてでもcameraを取り戻さなければならないだろう。
このような理由から,この死亡事件はとても大きな問題なのだ。政府の「渡航延期勧告」と「退避勧告」を無視して「戦場」に突っ込んでいき,そして彼らを解放させるために被害者家族が「自衛隊の撤退」を要求し(普通はこういう場合は「死んでも良いから政府の好きにして」というのがスジだろう。),まさに「武装勢力の交渉道具」になってしまった馬鹿な「volunteer」や「記者志望の学生」とは,まさに雲泥の差なのだ。
補足しておくが,当時,記者も人質になっていたと思うが,その記者はまだマシだ,と僕は考える。また,別に僕は武装勢力が悪で,その交渉道具になったからダメだ,と言うのではない。日本政府の判断を曇らせるような行動をするのがダメだと言っているのだ。
中長期的な問題達
すぐに片づくことではないけれども懸念している問題がいくつかある。
まず,中国とどう付き合うか。別に北朝鮮はどうでもいい。核爆弾を用いても,所詮東京が吹っ飛ぶ程度で,日本自体に問題はない。ただ,中国がもしも本気で「脅威になろうとする」ならば,日本自体がどうにかなりかねない。
次に,日本の科学技術の問題。かぐやが月周回軌道に乗ったことに安心しているが,京速computerは実現するのか,学力低下にどう対応するのか,など,気になることはたくさんある。
勿論日本の政治も気になっている。とりあえず「毎月16,400円払えば,35年後に毎月数十万円もらえますよ」とかいうような,どっかの悪徳会社みたいな制度(たしか「こくみんねんきん」とか言ったような気がするが)の督促は無視することにしたが,さてこれからの少子高齢化,どうなるのかなぁ。
ところで,Soomaaliyaはどうなったのだろう。あの辺は安定したのか。他にも沢山の失敗国家がある。その国々は今どうなっているだろう。
地球温暖化についての宗教的対立も問題だ。地球温暖化は問題なのか問題でないのか。科学の限界を露呈する結果となりそうだ。
中华人民共和国と中華民國との対立も気になっている。沖縄がその道具になることも懸念するし,台灣海峡の航路の問題もある。
中华人民共和国といえば,Россияと並んで,環境問題が気になる。食の安全性もあるが,中国経済が今後どうなるのは世界経済にも大きな影響を及ぼすことと,環境や食の問題は北京五輪などをthroughするあたりで中国経済の今後を左右することを考えると,なかなか深刻な問題だ。
他にも色々と気になっていることはあるのだが,今パッと他の重要な問題を思い出せないし,思い出せる問題はどれもこれらに比べればそれほど大事じゃないし,そして何よりそろそろ10月7日の太陽が昇るので,これくらいにしておこう。
Comments
Laki 2007/10/15(Mon) 00:14:36
>>針の尖ってない方を指に刺してしまったことのある人間
跡が残ったことはあるけど,血が出るほど刺したことはないw
Misho 2007/10/15(Mon) 00:27:40
( ´・ω・`)つ [もう一歩で賞]