札幌
寝て起きたら札幌にいた。
札幌で朝御飯を食べようと思ったけど,牛丼屋も何も見当たらなかったので駅弁を買ってさっさと離脱。6時2分発旭川行き。雲海がすごい。
滝川
どうして北海道なのに暖かい飲み物が売ってないんだっ!!!!!!!!w
あー漢字間違えた……。
旭川
旭川に着いた。北海道らしい計画都市で,碁盤の目状になっている。Sim cityみたいだが,なかなか生活者には優しく,住みやすそうな街だ。
旭山動物園行きのbusには行列が出来ていた。そんなにすごいのか。
とりあえずこれからau shopで携帯電話を充電してもらって,旭川市をうろうろする。
旭川にて
隣の高校生が,公務員試験か何かの問題を出し合っていた。「日本最北にある島は?」
彼らは択捉島だと言っていたし,問題集にもそう書いてあるのだろうけど,やはり僕には礼文島(あるいは北海道本島)だとしか思えない。
いずれにせよ,それらについては明後日見てくるつもりだ
旭川ラーメン
南永山駅で途中下車して,旭川ラーメン村に行ってきた。行ってきたのだが,生憎日曜日の13時ということでどの店もとても混んでいて,東京の有名店並みの行列だった。「山頭火」までそんな感じだったのでイヤになって,結局駅前にあった店「竹よし」に行った。
10年前に週間現代の評価で北海道東北地区1位になったとのことだったので全く期待していなかったのだけど,麺と汁がとてもよく絡んでいて(まぁ汁がやや濃すぎるという理由もあるのだが),またチャーシューも柔らかくて美味しかった。印象としてはじゃんがらラーメンの少し上ぐらい。
それにしてもラーメン村の行列にはびっくりした。やはりああいうfood parkは,食事施設というよりは観光施設なのだろう。次は曜日と時間帯を見てから来ようと思う。山頭火は(東京でも食べられるし)ともかくとして,一番南東にあった店はどうも美味しそうだった。
上川
いよいよ石北本線,地方交通線になって,道東感が出てきた。もちろん単線,車掌無し,1両編成,非電化。
上川駅で50分待ち。上川駅の周りには何もない。まるでうちの実家の最寄り駅のようだ。15時と云うことで,鐘が鳴っている。ウテナの世界。確かに西の方に鐘らしきものが見えるが,駅からは遠いので行けそうにない。
そういえばこの先は,普通列車と快速列車が各1本,特急列車すら4本しか走らないという,大分ー宮崎県境顔負けの線区らしい。なんとまぁ。
常紋・金華
石北本線は上川~北見間で2つの峠を越える。僕は峠越えが大好きで(とは言っても最近の鉄道は地下を通るけど),土合駅付近とか横川軽井沢間とかは惚れ惚れする。
2つ目の峠では,タコ部屋労働が行われていたことで有名な常紋tunnelを通った。
確かにとてもとても山奥で(携帯電話は当然圏外で),線路もtunnelもぐにゃぐにゃに曲がりくねっていた。
峠越えと同じくらい,僕は「山中の無人駅」というのが大好きで,これまでに結構沢山の無人駅で,暗い中,独りで電車を数時間待ったことがある。と言うわけで,常紋tunnelのすぐそばにある金華駅でもそれをやろうかな,と思っていたのだが,さすがに暗くて寒くて,その上次の電車は3時間後の終電,となるとさすがにヒヨる。だから「金華駅で誰か降りたら僕も降りよう」ということにした。
当然ながら誰も降りなかったので,今回は通過となった。またいつか来よう。
そうだ!冬に来よう!!
流氷を見に来る旅,というのをしなければならないだろうから丁度良い。何年後になるかはわからないけど。
それまでに廃駅になりませんよーに。
北見
北見に着いた。が,本当に何もなかった。東急百貨店っぽいものはあったが,さすがにそこで夕食を食べる気にはならなかったので,Mister Donutで夕食。まるで山形市みたいだ。
1時間ほどでさっさと離脱。
網走
とうとう網走にまでやってきてしまった。網走といえばОхотско海と流氷と網走刑務所。なんという網走。
静かな町だった。網走の町を4kmほど歩いた。まるで冬だ。暖房が必要だ。確かに駅舎は暖房が効いていた。
住んでいる人たちがいた。当たり前だが不思議だ。安部首相のposterが貼ってあった。そうか,ここも日本なんだ。
とりあえずInternet caféについた。
網走つづき
この店はすばらしい。Showerもあるし,椅子も柔らかいし,それでいて値段がなんと1200円。食事には湯水のようにお金を使う分,宿泊代はとにかくケチりたい僕には最高だ。ここは僕の拠点一覧に加わることになった。同等観光の拠点にしよう。
というわけで絶望先生とらき☆すたを見る。そうか!この半年間僕は冬眠してたんだ!これは冬眠なんだ!
これまで僕は,人生は旅である,と思ってきたのだけれど,どうやらそうではないような気がし始めた。旅とは,時間的・空間的な3次元の移動であり,その間には無数の新しい相互作用が生じるdiagramである。しかし人生というのは,時間軸の分割を考えたときに各分割の中では時空各1次元ずつの2次元の移動しか起こらず,またそのpathも規則的であるから可能な相互作用は限られてしまう。
なんか難しいことを書いているようだが,これは僕の頭の中につい最近生じたimageで,うまく日本語に翻訳できていないから難しく聞こえるだけ。言いたいことはきっとものすごく単純なこと。
ともかく,我々の人生の大部分というのは空間的には直線的な移動で,相互作用としてはごくわずかな限られた相互作用のみで,構成されているのだという気がしている。
今の僕はまさに非日常という状況下にいるわけだから,そういうことがよくわかるのかもしれない。
ではなぜ人々はみな生きているのだろうか。これは最近僕が抱えている最大の悩みである。どうして人々は馬鹿正直に生きているのだろうか。どうしてポンと死んじゃったりしないのだろうか。
1つの回答として最近考えているのは,その1次元的な往復運動の果てに何か夢とか希望とか云ったものが「存在」しており,それを目指して走っているのではないか,ということである。もちろんそれらは実存として「存在」してはいない。あくまでも幻想であるのだが,逆にそうでもしないと生きていけないのが人生ってやつなのだ,と。そうなると,夢も希望も何もない僕は生きていくことができないから,先のような疑問を抱くのは当然なわけだ。
もし僕がОхотско海に消えたり,あるいは明後日乗った飛行機が墜落したりしても,あまり心配しないでほしい。どうせ僕は近いうちに死ぬのだから。
Comments
alice 2007/09/07(Fri) 02:03:06
おつかれーーー
祈!合格
Misho 2007/09/07(Fri) 22:06:12
とりあえず第二志望は受かったぴょん☆